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第五章・後 翠銀の魔女は見抜く

 祖母に魔力のことを打ち明けてから三日が経った。


 「おしゃべり部屋」でのお茶の時間は、以来毎日になった。

 表向きは「孫娘が祖母に懐いて一緒にいる」というだけの光景で、

 祖父も母も特段気に留めていない。


 祖母はよくしゃべる。

 昔の冒険談、魔法の理論、亜人や魔族にまつわる大陸の話。

 聞いていて飽きない。


 一方で、祖母は観察もよくする。


 話しながら、私のことをずっと見ている。

 目の動き、言葉の選び方、反応のタイミング。


 前世のあたしは、観察されることには慣れていた。

 上司に査定され、取引先に値踏みされ、同僚に比較される。

 だから気づきはするが、動じることはない。


 ただ、祖母の観察は少し質が違った。


 値踏みでも査定でもなく——「謎を解こうとしている」目だ。


 それがわかっていたから、私もいつかこの日が来ると思っていた。


 三日目の夕方のことだ。


 祖母がお茶を淹れ直しながら、さりげなく言った。


 「セレス、一つ聞いていいかな」


 「はい」


 「お前は、いつ頃から今のように考えられるようになった?」


 「今のように、とは?」


 「物事を俯瞰して見る、ということだよ。

 政治の話をしても、人の動きを読む話をしても、

 お前は驚かない。知っている顔をする。

 子供が本で学んだ知識とは、少し違う反応をする」


 私はお茶を一口飲んだ。


 「……勉強熱心なので」


 「それだけじゃない」


 祖母が椅子に深く座り直した。


 「リーナは優秀な子だ。でも、あの子の賢さとお前の賢さは、種類が違う。

 リーナは習って身につけた賢さ。

 お前のは——経験で積み上げた賢さだ」


 「……」


 「十歳の子供が持つ「経験の量」じゃない」


 祖母の声は穏やかなままだった。

 責めてもいなければ、驚いてもいない。

 ただ、確認している。


 私はしばらく黙っていた。


 魔力の秘密を話した時、祖母は怒らなかった。

 秘密を守ると言った。

 そして「急ぐことは何もない」と言いながら、

 着実にそばにいてくれた。


 この人に嘘をつき続けることは——できる。

 技術的には可能だ。


 でも、したくない、と思った。


 「……一つ、信じにくい話をしてもいいですか」


 「どうぞ」


 「信じてもらえなくても、構わない話を」


 「聞く」


 私は少し間を置いてから、話し始めた。


 「あたしには、この体で生まれる前の記憶があります。

 別の世界で、別の人間として生きていた記憶が」


 祖母は黙っていた。


 「そこは、魔法も魔力もない世界でした。

 剣もない。馬車じゃなくて、鉄でできた乗り物が走っていて、

 空を乗り物が飛んでいた。

 あたしは「鈴木奈穂」という名前で、二十八年間そこで生きました。

 事務の仕事をしていました。帰り道に事故に遭って、死んで——

 気がついたら赤ちゃんになっていました」


 沈黙が続いた。


 祖母はじっと私を見ていた。


 「……三歳の誕生日の朝に、記憶が戻ってきた。

 それから今まで、「前世の記憶がある」ということを話したことは、

 誰にもありませんでした」


 「……お母さんにも?」


 「お母様にも」


 「なぜ話さなかった?」


 「心配させたくなかったから」


 私は正直に言った。


 「それに——信じてもらえないかもしれない、という気持ちもあった。

 信じてもらえなくても傷つかないように、最初から話さない、というのが

 前世からのあたしのやり方でした」


 「……臆病なのか、慎重なのか」


 「両方だと思います」


 祖母はしばらく、遠くを見るような目をしていた。


 それから、お茶を一口飲んだ。


 「鉄の乗り物が地面を走る世界、か」


 「はい」


 「空を飛ぶものも」


 「はい」


 「それは……どんな世界だ?」


 私は少し驚いた。


 信じるかどうか確認するのではなく、内容を聞いてきた。


 「どんな、というと……」


 「魔法がない代わりに、何があった?」


 「技術がありました。人間が道具を作って、それで魔法の代わりをしていた。

 遠くの人間と瞬時に話せる道具、光を記録できる道具、病気を治す薬……

 魔法とは違う仕組みで、似たようなことができていました」


 「ほう」


 祖母が少し前のめりになった。


 「光を記録? どういうことだ」


 「目で見ているものをそのまま、紙のようなものに写し取れるんです。

 今この瞬間の景色を、そのまま保存して後で見られる」


 「……それは面白い」


 祖母が少し考えてから、また聞いた。


 「その世界で、お前はどんな仕事をしていた?」


 「書類を作ったり、数字を管理したり、他部署との連絡をしたり。

 地味な仕事でした」


 「楽しかったか?」


 「……楽しい、という感じではなかったですが、

 悪くはなかったです。ただ、疲れることは多かった」


 「なぜ疲れた?」


 「理不尽なことが多くて。

 怒る人、約束を守らない人、押し付ける人……

 そういう人たちに対して、怒りたいのに怒れない場面が積み重なって」


 「それで「面倒ごとを避けたい」という信念ができたのか」


 「……そうかもしれません」


 祖母は静かに頷いた。


 「そうか」


 それだけ言って、また少し間があった。


 「……信じますか?」


 私が聞くと、祖母は少し笑った。


 「信じる、信じないの前に——」


 「前に?」


 「辻褄が合う、という話だ」


 祖母が私を見た。


 「十歳の子供にしては知りすぎている。経験が深すぎる。動じなさすぎる。

 魔力の制御を七年間独学でできるのも、普通の子供ではあり得ない。

 「二十八年分の記憶と経験がある」と聞けば、全部説明がつく。

 信じるというより、そういうことか、と思う」


 「……おばあちゃんらしい判断ですね」


 「感情より証拠だよ」


 祖母がにこりとした。


 「それから、もう一つ」


 「はい」


 「別の世界で生きていた話は、私だけの秘密にしておく。

 魔力の話と同じだ」


 「……どうして?」


 「必要になった時に、自分で選んで話す方がいい。

 そういう大事なことは、本人が話すタイミングを決めるべきだ」


 私はしばらく、その言葉を受け止めていた。


 「……ありがとうございます」


 「礼を言うほどのことじゃない」


 「いいえ」


 私は少し考えてから、続けた。


 「前世で、自分のことを正直に話せる人が、ほとんどいなかったんです。

 仕事のことばかり話して、自分自身のことは話さなかった。

 今世でも——お母様には心配させたくないし、祖父様には

 どう話せばいいかわからないし。

 だからこうして話せたのは、初めてに近い」


 「……重かったろう」


 「重かった、というより……一人だった、という感じです」


 祖母は何も言わなかった。


 ただ、立ち上がり、お茶を注ぎ足してくれた。


 それだけだった。


 でもその「ただそれだけ」が、妙に胸に沁みた。


 「一つだけ聞いていいですか」


 お茶のカップを受け取りながら、私は言った。


 「なんだ」


 「おばあちゃんは、なんで最初から私をそんなに真剣に見ていたんですか?

 馬車から降りてきた瞬間から、ずっと観察していた気がして」


 祖母が少し考えてから、ぽつりと言った。


 「リーナから手紙が来た時、不思議なことが書いてあったんだ」


 「お母様から?」


 「ああ。「セレスが三歳になってから、急に変わった」と。

 笑い方が変わった、言葉の選び方が変わった、目が変わった、と。

 でも「何が変わったかはわからない」と。

 リーナは不安そうには書いていなかったが——私は少し気になってた」


 「……三歳の誕生日に記憶が戻ったので、確かにその頃から変わったはずです」


 「だろうな。だから昨日、馬車から降りてきたお前の目を見た時に、

 これは普通の子供じゃない、とはっきり思った。

 ただ、何が原因かは、昨日の時点ではわからなかった。

 だから観察していた」


 「……ちゃんと見えていたんですね」


 「長年生きてると、目は良くなる」


 祖母が苦笑いのような顔をした。


 「悪いことばかりじゃないよ、年をとるのも」


 私は少し笑った。


 「……おばあちゃんは、どう思いますか。あたしのことが」


 「どう、というのは?」


 「前世の記憶がある、という事実に対して」


 祖母はしばらく考えてから、ゆっくりと言った。


 「面白い、と思う。

 それから——少し、かわいそうだと思う」


 「かわいそう、というのは?」


 「二つの分の人生を持ちながら、どちらでも自分の全部を話せなかった。

 それは、孤独だったろうと思って」


 「……」


 「でも今は、ここにいる。

 前世のことも、魔力のことも——私には話せた」


 「はい」


 「それでいい。それで十分だよ、今は」


 私はしばらく黙っていた。


 窓の外に、ヴェルタ山脈の峰が夕日に染まって見えた。


 橙と紫が混ざった空の色。

 前世でも今世でも見たことがなかった、きれいな空だと思った。


 「……おばあちゃん」


 「なに」


 「一つだけ、聞いてもいいですか」


 「さっきもそれを言ったが」


 「そうでした。……おばあちゃんは、怖くないですか。

 あたしの力が」


 祖母が少し間を置いた。


 「怖い?」


 「底なしの魔力を持つ孫が、実は二つの人生分の記憶を持っている。

 そういう存在が身内にいることが、怖くないですか」


 祖母はしばらく、本当にしばらく、沈黙した。


 そして答えた。


 「怖くはない」


 「……なぜ?」


 「お前が怖いことをする人間に見えないから」


 「でも、もし——」


 「「もし」は要らない」


 祖母が静かに、でもはっきりと言った。


 「今のお前が、どういう人間かを見ている。

 怖いかどうかは、力の大きさじゃなくて、使い方で決まる。

 お前は七年間、誰も傷つけずに隠し続けた。

 力を持ちながら、使わないことを選んだ。

 その選択を見ていれば——怖いとは思わない」


 私はその言葉を、胸の中にゆっくりとしまった。


 「……ありがとうございます」


 「何度もお礼を言うな。うちの孫はそういうところが律儀すぎる」


 「前世からの性格です」


 「直せ」


 「努力します」


 祖母がふん、と鼻を鳴らした。


 でもその口元は、かすかに緩んでいた。


 こうして、あたしの「前世の記憶がある」という秘密を知る人間が、

 この世界に初めてできた。


 重さが、少し軽くなった気がした。


 完全になくなったわけではない。

 でも、一人じゃなくなった重さは、確かに違う。


 ……前世でも、誰かに話せていたら、少し楽だったかもしれない。


 今更思っても仕方ないけれど。


 まあ、今世でできたなら、それでいい。


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