第十四章 全力の欠片
場所は屋敷の裏の広い農地の端、一番端の区画だ。
秋の収穫を終えた後で、今は何も植わっていない。
空き地に近い状態で、万が一何かあっても作物への被害は最小限だという祖母の判断だ。
空は高く晴れていた。
イザーク先生と祖母が、私の後方に立っている。
「セレス嬢、準備ができたら始めてください」
先生の声。
私は目を閉じた。
体の奥にある、底なしの湖。
今まで、ここに触れる時は常に「ごく少量だけ」だった。
スポイト一滴。針の穴。
今日は——「半分」を出す。
「半分」とは何か。
正直わからない。だから「自分が思う半分」を出す。
深呼吸を一つ。
蓋をゆっくりと、今までより大きく開ける。
その瞬間——
世界が変わった。
魔力が体の外に流れ出た。
「流れ出た」というより、「溢れ出た」に近い。
自分の手の周りに、光が集まった。青白く、静かで、でも眩しい光。
それが広がって、体全体を包んだ。
地面の草が揺れた。
農地の端にあった石積みが、わずかに浮き上がった。
空気が鳴った。
「……セレス、十分だ。止めなさい」
祖母の声が、少し遠くから聞こえた。
私は蓋を閉じた。
光が収まった。揺れが止まった。浮いていた石が落ちた。
全身が、少し重かった。
振り向くと、祖母とイザーク先生が立っていた。
二人の顔が、見たことのない表情をしていた。
「……先生、おばあちゃん、大丈夫ですか?」
「私たちは大丈夫だよ」
祖母が少し苦笑いのような顔をして言った。
「ちょっと圧がすごかったけど」
「止めるための魔法を一応展開していましたが、必要なかった」
先生が眼鏡を押し上げた。
「セレス嬢、あなたは自分で止めましたね」
「はい」
「「半分」を出した途中で、自分で制御できていると判断して止めましたか?」
「……はい、大丈夫だと思ったので」
先生と祖母がまた目を合わせた。
「……この子はやっぱりとんでもないね」
祖母がぼそりと言った。
「「半分を出してみてください」と言ったら、「半分を出して、自分で止める」ところまでやった。
普通の人間が初めて大きな魔力を出す時は、自分では止められないことが多い。
だから私たちが後ろにいた」
「……でも、止められました」
「そう。それが異常なんだよ」
先生が続けた。
「七年間の独学が、確実に活きています。
あれほどの魔力を出しながら、制御の糸を一本も手放さなかった。
これは——並の訓練では到達できない領域です」
「……」
「あとは経験を積むだけです。理論は完成している。体が慣れれば、あとは自在に使える」
私はしばらく黙っていた。
「……一つ確認していいですか」
「なんでしょう」
「今のは「半分」でしたが、全体を出すと——どうなりますか」
先生が少し間を置いてから答えた。
「理論的に言えば、この地方全体に影響が及ぶ可能性があります。
地形が変わるとか、空気が変わるとか、そういう規模で」
「……それは困ります」
「そうですね。だから「全力」を出す必要は、おそらく一生ないでしょう。
今日のような「必要な分だけ、精密に」が、正しい使い方です」
「わかりました」
私は空を見上げた。
秋の青い空が、広く広がっている。
あたしには、底なしの力がある。
でも、使う気はない。
使いたい時にだけ、必要な分だけ、正確に。
それ以上は必要ない。
前世でも、力がある人間がいつも最善の結果を出していたわけではなかった。
適切な場面で適切な量を使える人間が、本当に信頼される人間だった。
それはどの世界でも変わらない、と思う。
「……ありがとうございました、今日は」
「こちらこそ」
先生が微笑んだ。
「……良い生徒です、本当に」
「先生、お世辞は苦手なので」
「世辞ではありません」
先生が、珍しく少し強い口調で言った。
「これだけ言っておきます。
私はこれまで多くの生徒を教えてきました。
才能のある者も、努力できる者も、大きな魔力を持つ者も見てきました。
でも、セレス嬢のように三つ全てを持つ生徒は——見たことがありません」
「……三つ、というのは」
「底なしの魔力量。七年間積み上げた制御技術。そして——」
先生が眼鏡を押し上げた。
「一切驕らない精神です」
それは——前世での苦労のせいか、今世での七年間の王宮生活のせいか。
どちらでもあるかもしれないと思いながら、私は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
空から、秋の風が吹いた。
農地の向こうに、ヴェルタ山脈の峰が見えた。
あそこの向こうには、ミーアがいる。
そして王都では、二人の王子が次の手を準備している。
その両方の間で、あたしは——今のまま、静かにここに立っている。
それで十分だ、と思う。
できれば、これからも、そうでありたい。




