第九章 亜人との出会い
その後、ミーアとの約束の日——月の十日と二十五日の昼——に合わせて、
山へ行くことが習慣になった。
最初はイザーク先生と一緒に出かけることが多かったが、三度目からは祖母も加わり、
五度目からは「近い範囲なら一人でも可」という許可をもらった。
山の中が、だいぶわかってきた。
どの木の根元に苔が多いか、どのあたりに水が湧いているか、
どこに魔獣がよく現れるか。
魔獣については——正直、最初はかなり緊張した。
初めて一人で入った時に、遠くで大型の魔獣と鉢合わせしたことがあった。
体長は馬より一回り大きく、四本足で、背中に鎧のような鱗がある。
固まった。
魔獣はこちらを見た。
私は動かなかった。
自分の気配を、限りなく小さく押さえた。
息を止め、魔力を内側に引き込み、存在そのものを消すように。
魔獣はしばらくこちらを見ていたが、やがて興味を失ったように踵を返して去った。
私はゆっくりと息を吐いた。
その日の夜、祖母に報告すると、「なかなかやるじゃないか」と言われた。
「魔獣は魔力に敏感だよ。あんたが本当に気配を消せていたということだ。
魔力がある人間を察知した場合は、もっと積極的に来る。
でも「何もいない」と判断したから去った」
「……でも、あたしの魔力はかなり大きいですよね。
完全に消せているとは思えないんですが」
「そこが面白いところでね」
祖母が少し面白そうな顔をした。
「あんたの「気配を消す」制御は、魔力を小さくするんじゃなく、
山の自然魔力に溶け込ませる方向になっている。
つまり「存在しない」んじゃなく「山の一部になっている」」
「……独学の癖、ですか?」
「そうだね。でも結果として、それがあの山ではうまく機能している。
山の自然魔力が大きいから、それに紛れることができる。
平地や王宮ではできないやり方だけど、山では完璧だ」
「……へえ」
「才能があるというのは、こういうことだよ。
意図せず最善手を取ってしまう」
正直、才能という言葉は前世から苦手だった。
才能があると言われると、期待されているようで、プレッシャーになる。
でも今の祖母の言い方は「だから頑張れ」という意味ではなく、
「面白い」という純粋な観察に聞こえたので、そんなに嫌じゃなかった。
◆◆◆
亜人と初めて出会ったのは、山へ入って七度目の時だった。
一人で、いつもより少し奥まで入ったところだ。
ふと、視線を感じた。
木の上から、見ている。
私は立ち止まり、ゆっくりと上を見上げた。
太い枝の上に——人がいた。
正確には、人に近い何かだ。
人間より少し大きく、耳が尖っていて、目が赤みがかった金色をしている。
肌は浅い褐色で、体中に細い模様のような紋様がある。
年齢は——見当がつかない。若く見えるが、目が古い。
私たちは、しばらく見つめ合った。
祖母の言葉が頭にあった。「向こうが接触してきた時だけ、応じる」。
だから私は動かなかった。
ただ、視線を外さずに、静かに立っていた。
すると。
「……なぜ魔力を消している」
低い声だった。向こうから言葉を発してきた。
「驚かせたくないから」
私は正直に答えた。
「普通の人間は、ここまで入ってこない」
「そうですね。私は普通の人間ではないかもしれませんが、
驚かせる気も、傷つける気もないです」
相手はしばらく沈黙した。
それから、ゆっくりと枝から降りてきた。
地面に着いた時、私は相手が男性の成人だとわかった。
背は私の倍近くある。体格もがっしりとしている。
でも動きは静かで、足音がほとんどしない。
「小さな人間だ」
「十歳なので」
「……十歳」
相手が少し目を細めた。
「この山に十歳の人間が一人で入るのか」
「訓練のために来ています。魔力の制御の練習で」
「魔力……」
相手の目が、わずかに変わった。
「お前の魔力が、この山に馴染んでいる。気がついて来てみた」
「馴染んでいる、というのは——先ほどの「山の一部になっている」という感じですか?」
「……それを理解しているのか」
「つい最近、祖母に教えてもらいました」
相手は私をじっと見た。
それから、短く言った。
「名前は」
「セレスです。あなたは?」
「カイン。この山の中腹にある集落の者だ」
「……狼亜人の?」
カインが少し驚いた顔をした。
「知っているのか」
「祖母が昔来たことがあると聞きました。三十年以上前の話ですが」
「三十年……その祖母の名は」
「エリス・ラングレーです」
カインが目を丸くした。
「翠銀の魔女の孫か」
「知っているんですか?」
「集落に伝わっている。あの時代に来た人間は、珍しかった。
約束を守る人間だった、と語り継がれている」
私は少し驚いた。
三十年以上経った今も、祖母のことが語り継がれているとは。
「……祖母は誠実な人ですから」
「その孫が来たか」
カインはしばらく私を見てから、踵を返した。
「今日は戻れ。次に来る時は、この木の幹を三度叩け。
俺が来る」
「……また話せますか?」
振り向かずに、カインは答えた。
「来ればわかる」
そして木の間に消えていった。
私はしばらく、その場に立っていた。
それから屋敷へ向けて歩き始めた。
帰る足取りが、なんとなく軽かった。
その夜、祖母に報告すると、祖母は「そうか、カインが」とだけ言った。
「知っているんですか?」
「知ってるよ。あの集落で、私と最後に話した子の……孫かな。
名前が伝わっているなら、向こうも私のことを伝えていたということだ」
「……素敵な話ですね」
「三十年越しの縁だ」
祖母はお茶を飲みながら、静かに笑った。
「あの集落は義理堅いからね。一度縁を結んだら、長い」
「私もその縁を継げますか?」
「あんたはもう継いだよ。今日の話し方を聞けば、そう判断してもらえる」
私は山の方向を、窓越しに見た。
次も行こう、と思った。
今度はカインが何を話してくれるか、楽しみだ。




