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<EP_008> テセウスの影

「結局ね。あの子が迷宮に閉じ込められてから、18年で、28人もの奴隷が、あの暗闇の中で命を落としたわ」

ナウクラテーは、自らの指に絡まる見えない糸をなぞるように、虚空を見つめた。

「彼らはアステリオスに殺されたんじゃない。出口のない絶望に、自分たちの心と体が耐えきれなかったのよ。誰かが死ねば、空いた席を埋めるように新しい奴隷が放り込まれる。その繰り返し。 アステリオスは、その28人全員を、あの子なりのやり方で看取ったわ。霊廟の壁際に並んだ28の亡骸と、その足元に置かれた28の弔いの詩……。それが、世界から『人喰い』と呼ばれた怪物の、18年間のすべてだったのよ」

彼女は、隣で俯くアステリオスの大きな手の上に、自分の手を重ねた。

「そして、あの男がやってきた……」


当時、アテナイはミノス王の攻撃を受けて劣勢であった。

そのため、アステリオスのいる迷宮へ奴隷を送ることを強いられていた。

迷宮へ連れて行かれた者は全員が帰ってくることはなく、迷宮の奥深くに住む怪物に食べられてしまったとアテナイでは噂になっていた。

これに憤慨したアテナイの王子テセウスはアイゲウス王の反対を押し切り、自らが29人目の奴隷となることを志願した。

こうしてテセウスはクレタ島へと上陸したのであった。


クレタ島に上陸したテセウスを一目見て、ミノス王の娘アリアドネは恋におちた。

テセウスの鍛え上げられた胸板、雄々しい姿にアリアドネは虜になった。

アリアドネはミノス王に頼んで、テセウスを自室へと呼び寄せた。

アリアドネは傲慢なミノス王、高慢でヒステリックな母パシパエ、なによりも退屈なクレタ島での生活に飽き飽きしていた。

自室へ招いたテセウスが自らの身分を名乗ると、アリアドネは自分を妻とし、アテナイへ連れ帰ることを条件にテセウスへ迷宮の脱出法を教えると言った。

テセウスは、この条件を承知した。


アリアドネはその夜、ナウクラテーの元を訪ねていった。

「ナウクラテー。あなた、迷宮に入っても常に地上に出てこれるわよね。何か秘密があるのかしら?」

王女であるアリアドネの質問にナウクラテーは素直に答えるしかなかった。

「ええ。ダイダロスの毛糸を持っていますから。それを辿れば地上へと帰ってこれますよ」

ナウクラテーの答えにアリアドネは密かにほくそ笑んだ。

「ねぇ、ナウクラテー。そのダイダロスの毛糸を私に貸してくれないかしら。アステリオスは私の弟よ。たまには姉として弟の様子を見に行きたいわ」

アリアドネの言葉をナウクラテーは訝しんだ。

地上にいる時でさえ、アステリオスに会おうとしなかったのに、急に会いたいというのは不自然だったからだ。

しかし、奴隷であるナウクラテーに王女の頼みを断ることなどできなかった。

「姉であるアリアドネ様がお会いになれば、あの子もきっと喜びますわ」

そう言って、ナウクラテーは予備として置かれていたダイダロスの毛糸をアリアドネへ手渡した。

「化物であるアステリオスを”あの子”だなんて、人間扱いするのね。あなた変わってるわ」

ダイダロスの毛糸を受け取ったアリアドネは、そんな一言を残して去っていった。

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