<EP_007> 迷宮の弔い人
アステリオスは立場上はミノス王の息子であり、ヘリオス神の娘パシパエの実子でもある。
アステリオスはラビリンスに幽閉されていたが、その世話をするためアテナイより奴隷の男女が連れてこられた。
ナウクラテーはダイダロスの糸を持って彼らをアステリオスの元へと連れて行った。
アステリオスの部屋の前に来ると、ナウクラテーは引き返し、奴隷の若者を迷宮の奥深くへと置いて地上に帰っていった。
若者が来ると、アステリオスは彼らを歓迎しようとした。
アステリオスにとっては共に暮らす人間であるからだ。
既に文字を書けるようになっていたアステリオスは石板に文字を書いて彼らとコミニュケーションを取ろうとした。
しかし、彼らは奴隷であるため文字を読むことはできず、アステリオスの行動を理解することはできなかった。
彼らは牛頭の化物が奇声をあげながら石板を片手に奇妙な行動を取ることに恐怖した。
アステリオスは歌を歌って彼らを楽しませようともしたが、彼らにはそれは不気味な咆哮としか受け取られなかった。
彼らはアステリオスに恐怖し、部屋の隅でただうずくまるだけであった。
ナウクラテーはアステリオスと奴隷の若者のために食料を毎日のように届けた。
ダイダロスの毛糸を小指に結び、迷宮へと降りて、奥の部屋の前で合図する。
それを奴隷の若者が取りに来るのが日課であった。
最初の若者が連れてこられて1ヶ月が経った頃、ナウクラテーはいつものように食料を持って迷宮へと降りていった。
奥の部屋の前でいつものように合図を送るが、若者が出てくる気配が無かった。
意を決して中に入ると、そこには血まみれで息絶えた若者の死体を前にたたずむアステリオスがいた。
床は血に染まり、部屋の中は鉄の臭いで充満していた。
その凄惨な光景にナウクラテーは震える声でアステリオスに尋ねた。
「アステリオス、これはいったいどういうことなの?」
アステリオスは身振り手振りで若者が自らの首にナイフを突き刺したとジェスチャーで答えた。
「自分で首を刺したと?」
ナウクラテーの言葉にアステリオスは首を大きく縦に振った。
若者の顔は恐怖に歪んでいた。
ナウクラテーはそれで全てを悟った。
若者はアステリオスとの共同生活に耐えられなくなり自殺したのだ。
ナウクラテーは若者の死体を前に跪いて手を組んで祈りを捧げた。
すると、アステリオスも同じ様に跪いて手を組んで祈りを捧げていた。
死体をそのままにすることもできないので、ナウクラテーはアステリオスとともに、迷宮の一部屋を霊廟とし、そこに若者の死体を運び込むと壁の前に座らせ、再び祈った。
「死んだ人はお空へ帰るのよ、だからこうしてお祈りして、見送ってあげましょうね」
自分の脇で同じ様に祈りを捧げるアステリオスの頭を撫でながらナウクラテーはそう伝えていった。
「この人の魂はお空を飛んで、故郷のアテナイに戻ったの。そして、天国への道を辿るのよ。そのために、祈ってあげましょう。彼らの御霊が天国へ届くようにね」
そう優しく伝える母の目を見て、アステリオスは何度も頷いた。
若者に祈りを捧げ、ナウクラテーが戻ろうとした時にアステリオスが袖を掴んできた。
ナウクラテーはアステリオスの手を振りほどくと部屋を飛び出し、重い扉を閉め、自らの身体で抑え込んだ。
扉の中からアステリオスの咆哮と扉を叩く音が聞こえてきたが、ナウクラテーは涙を流しながら押さえていた。
「ダメよ、アステリオス。私と帰ればあなたは殺されてしまうわ。お願い、おとなしくここにいて頂戴」
母の涙ながらの訴えに、扉を叩く音が止んだ。
「ごめんね、アステリオス…」
ナウクラテーは溢れる涙を拭いもせず、ダイダロスの毛糸をたぐりながら地上へと駆け上がっていった。
ナウクラテーの言葉に甲板のアステリオスは俯き、涙を流していた。その両脇をイカロスとナウクラテーが寄り添い、優しく背中を擦った。
「そんなことはずっと続いたわ。アテナイから何人もの奴隷が連れてこられたけど、ほとんどの人はアステリオスを恐れ、彼とコミュニケーションをとろうともしなかった。たまに、文字が読める奴隷が来たこともあったけど、人間には日の光が必要なの。ある者は身体を壊し、ある者は壁に頭を打ち付け、ある者は自らの身体にナイフを突き立てて死んでいった」
ナウクラテーはアステリオスの背中を擦りながら、悲しそうに話した。
「そんなことが続けば、アテナイでは噂が立ってしまったの。ラビリンスに入った者はミノタウロスに殺されて食べられてしまう。ミノタウロスは人喰いの化物だっていうね。あなたもそう聞いてるでしょ?」
ナウクラテーが少女に尋ねると、少女はおずおずと首を縦に振った。
「でもね、アステリオスは人を食べたりしてないわ。死んだ奴隷を霊廟に見立てた一室に運び込み、壁際に座らせて彼らの冥福を祈っていたの。霊廟の壁にはアステリオスが書いた空と海が広がっていたわ。死んだ奴隷がアテナイに戻れるように、天国へ行けるように、アステリオスは毎日祈っていたの」
ナウクラテーに背中を撫でられ、アステリオスは何度も首を縦にふった。
甲板の上にはアステリオスの涙がこぼれ落ちていった。
「あなたも 周りが勝手に作り上げたあなたの姿に、本当のあなたが押し潰されそうになっているのかしら。……でもね、アステリオスを見て。世界中から人喰いだと蔑まれても、この子の手は、死者のために祈り、空を描き続けていたのよ」
泣いているアステリオスの手を取り、こちらを見てくるナウクラテーのまなざしに、少女はそっと目を背けながらも、大粒の涙を流している、伝説の怪物の姿に自分の姿を重ね合わせた。




