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<EP_005> 母としての幸せ

アステリオスを産んだことでパシパエの呪いは解けた。

パシパエにとってアステリオスは呪いの産物でしかなく、牛頭で醜かったアステリオスは忌むべき存在でしかなかった。

同じ時期にイカロスを産んだナウクラテーがアステリオスの乳母に命じられるのは当然のことであった。

最初に会った時、ナウクラテーは牛頭のアステリオスに恐怖を覚えたが、その唇が自分の乳房を求めたとき、確かな温もりとともに「この子は、イカロスと同じ、ただの愛されるべき子供なのだ」という真実を悟った。


星空の潮風にナウクラテーの黒髪が煌めき、たなびいていた。

ナウクラテーは、船の上の少年たちを愛おしそうに撫でながら、少女に語りかけた。

「ある時ね、私が少し部屋を離れただけで、アステリオスが火がついたように泣き出したの。他の誰があやしてもダメ。でもね、私がイカロスを抱いて戻った途端、ぴたっと泣き止んで……。這いずりながら私の足元にしがみついてきたわ」

彼女は少女の瞳をじっと見つめ、優しく微笑む。

「その時、震えるほど嬉しかった。私は王の奴隷でも、ダイダロスの妻でもない。この子たちが私を『私』として求めてくれている。母親という役割を超えて、ただ一人の人間として必要とされているんだって、初めて気づけたのよ」

ナウクラテーの両脇の少年を強く抱きしめ、目は輝いていた。

自分を抱きしめる母の手を二人の少年は優しく握りしめた。

「アステリオスはとっても甘えん坊でね。はいはいができるようになっても私から離れようとしなくてね。イカロスは反対。目を離すとすぐに遠くに行こうとしてね。イカロスを追って行こうとするとアステリオスが泣き出してね。もう大変だったの」

ナウクラテーは二人の少年を見比べながら、遠い目をしながら笑いながら話した。

その話に二人の少年は照れたように頭を掻いて聞いていた。

「この子たちはとっても頭が良くてね、三歳になる頃には文字が読めるようになっていたわ。アステリオスは言葉は話せなかったけど、良く絵本を見て笑っていたわ。イカロスは自分で作ったお話を一生懸命話してくれてね。私はそれを黙って聞いていたわ」

ナウクラテーは幸せそうな顔で少女へと話し続けた。

「アステリオスはお昼寝の前にね、よく絵本の読み聞かせをねだってきたわ。でもね、私は文字が読めなかったから、即興でお話を作って二人に聞かせていたの」

「どんなお話だったの?」

少女が尋ねる。

「即興で作った、でたらめなお話よ。誰もが自由になれる星の国のお話……。昼寝が終わるとね、アステリオスは絵を描いたわ。私がその場しのぎで作った、嘘っぱちのお話を絵にしてくれたの。とってもキレイな絵だったわ。それを見て、イカロスは更にお話を広げて私に話してくれたわ」

そこまで話して、ナウクラテーの顔が再び曇った。


三歳になったイカロスとアステリオスを連れて、ナウクラテーが牧場へと出かけた時であった。

好奇心旺盛なイカロスは草むらを走り回り、甘えん坊のアステリオスはナウクラテーの裾を掴んで歩いていた。

その時、走り回っていたイカロスが転んでしまい泣き出してしまった。

ナウクラテーとアステリオスが駆け寄ると、イカロスの泣き声に一頭の雄牛が興奮して暴れ出し、ナウクラテーたちに向かって突進してきた。

「危ない!」

ナウクラテーがイカロスとアステリオスを守るように抱きしめ、身をすくませた瞬間、アステリオスが叫び声を上げて前に出た。

「アステリオス、ダメ!」

ナウクラテーが叫ぶが、既に雄牛は眼の前に迫っていた。

アステリオスは、突進してきた自分よりも何倍も大きな巨牛の角を掴むと、そのまま投げ飛ばしてしまった。

投げ飛ばされた雄牛は背骨が折れ、そのまま泡を吹いて絶命した。

ナウクラテーは驚きとともに、アステリオスを抱きしめた。

「ありがとう、アステリオス。私を守ってくれたのね。怪我はない?」

ナウクラテーの言葉にアステリオスは鼻を鳴らし、誇らしげに胸を張っていた。

イカロスは胸を張る兄を無邪気な笑顔で手を叩いて称賛していた。

しかし、遠くからそれを見ていた王の兵士たちの目には、違って映った。

「あの化け物は三歳にして雄牛を屠る力がある。やはり化物だ」

「いつか人間を襲うに違いない」

その評判は広がっていき、遂にはミノス王の元にも届いたのであった。

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