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私の婚約者の腕にくっついていた小さくて可愛い儚げな生き物

作者: ful-fil

 その人は背が高かった。


 顔も家柄も良い青年たちで構成された近衛騎士団。

 その中でも抜きんでて長身だという。

 近衛の制服がよく似合う、伯爵家の三男坊。

 剣術の腕前は近衛の中でも上位だとか。

 沈着冷静、無口だが責任感の強い人柄。

 『この男がいれば安心。我が家の守護神になってくれる』と父親が太鼓判を押した。


 ……好みじゃないわ。


 私、カトゥス伯爵家の一人娘フェリス・シルヴェストリス・カトゥスは政略結婚の相手として引き合わされた彼、近衛騎士レオン・パンテーラをさりげなく観察していた。

 座っていてもわかる背の高さ、鍛え抜かれた肉体、堀の深い顔立ち、意志の強そうな顎、短く刈った黒い髪、広い肩幅、ごつい手、年は私より三つ上。


 ……全然、どこも好みじゃないわ。


 目の前にいる男性は私の好みからは程遠い。

 政略結婚だから仕方がないが、私の好みは昔から『頼りなくて、ほっとけない、年下の男の子』なのだ。

 10歳の時に友人の弟の可愛さに瞠目して以来、私のハートはか弱くて儚げな少年にのみキュンキュンしてきたのだ。

 家付きの一人娘だからいずれ婿を取るのは仕方がないとして、できれば好みのタイプの美少年と結ばれたかった。

 非力で泣き虫な可愛い男の子をあらゆる危害から守り、配偶者として養う、そんな幸福な未来を夢見て後継者教育を頑張ってきたというのに、婚約者が決まったと思ったらデカくて強そうな年上の騎士。

 天はわれを見放したか。


 穏やかな春の午後、テラスで向かい合ってお茶を飲んでいるけれど、会話はまったく弾まない。

 貴族ならTPOに合わせて気の利いた会話の一つや二つ、サッと出してくるものなのに。

 私が『好みじゃない』とやさぐれた気分なのと同様、相手もこの縁談に不服なのだろうか。

 それはそれでまた腹立たしい。

 私が不細工だとでもいうのかコノヤロー。


 自分が相手をハズレ扱いするのはいいが、自分が相手からハズレ扱いされるとカチンとくるのが女心というものである。

 この婚約、解消してやろうかしら。


 少なくとも私は本音を顔には出していない。

 営業スマイル浮かべてあげてるんだから、そっちも微笑んだらどうなんだ。

 歩み寄りを示さないなら、こっちだって考えがあるわよ。

 このうららかな春の庭で、花の香りと木漏れ日に包まれて、よくそれだけ仏頂面ができるな、少しは『綺麗ですね』と褒めたらどうなんだ、私をじゃなくてもいい、庭を褒めろ、庭を。


 私はガーデニング愛好家ではないが、庭を眺めるのはそこそこ好きだ。

 庭師の精魂込めたトピアリーも一見の価値がある。

 古風なつるバラのアーチも綺麗だと思うし、花壇の草花も可愛い。

 餌を求めてやってくる小鳥や、花の香りに引き寄せられて飛んでくる昆虫たちも可愛らしい。

 ミツバチの丸っこいフォルムと胸のあたりのモフモフ感は昆虫の割には小動物っぽくて特に愛らしいと思っている。

 その他にも愛すべき生き物たちが庭にはたくさん……。


「あら?」


 ふと、目の前の男性の腕の一点に目が留まった。

 左手の肘の辺りに赤いものがついている。

 肩に向かってゆっくりと登っていく、赤い小さな丸いそれは……。


「レオン様、左の袖に」

「袖に?」

「テントウムシが止まってますわ」


 微笑ましい気持ちで教えてあげると、目の前の男はガタンと椅子を揺らして立ち上がった。

 顔から遠ざけたいのか、腕をピンと伸ばし、ブンブン振り回す。

 だがテントウムシは離れない。


「く、来るな!」

「テントウムシは上へ上へと登っていく習性がありますのよ」

「この、このっ!」

「登っていく途中ではそう簡単には飛び立ちませんわ」

「ではどうすれば!」

「てっぺんまで登らせれば勝手に飛び立っていくと思いますけれど」

「そんな!」


 この場合のてっぺんは腕の付け根、肩である。

 制服の肩の縫い目のところまで来たら『登り切った』と判断してテントウムシは飛び去るだろう。

 だが彼の顔色はそれに耐えられそうになかった。


「失礼」


 私は立ち上がってヒョイと手を伸ばしてテントウムシを摘まみ取った。

 おお、なんと可愛らしいナナホシテントウ。

 手のひらにいる可憐な虫を愛でつつ人差し指を立てると、テントウムシは上へ上へと登っていき、指先に到達したところで『フー、やれやれ、やっと着いた』といった雰囲気で羽を広げ、大空へと飛び立っていった。

 可愛いわあ~。


 良い物を見た。

 それはそれとして手を清めねばならない。

 昆虫や動物は可愛いけれど、触った後は手を洗う必要があるのだ。


 手を洗って戻ってくると、図体のデカい婚約者が放心状態で椅子に斜めに座っていた。

 顔から生気が抜けている。

 先ほどの恐慌状態といい、この人もしかして。


「レオン様、昆虫がお嫌いですか?」

「……面目ない」


 大きな体を小さく縮めて、婚約者は昆虫が苦手であることを認めた。


「子どもの頃から虫が怖くて。飛んでくるのも怖いし、地面を這ってくるのも怖いし、ジャンプしてくるのなんか最悪で。どっちに跳ねてくるかわからないじゃないですか。脚が多いし、普通の生き物だと思えなくて」

「脚が多い」

「馬でも犬でも手足の数は四本でしょう。鳥だって翼が手の代わりだと思えば足と翼で四本です。六本もあるのはおかしいでしょう」

「まあ、そうですね」

「目玉も不気味だし、触覚が動くのも気持ち悪いし、なんといっても腹が、裏側がぞっとするような造形で!」

「裏側が」

「夏の終わりにひっくり返って死んでるセミとか見たくないんです、恐ろしくて!」

「はあ、それでは先ほどのテントウムシなどは」

「自分の服にくっついてるのを見た瞬間、ショックで心臓が止まるかと思いました」

「それほどまでに。蝶も苦手ですか?」


 春の庭なので、今まさに花の蜜を吸いに来た蝶々がヒラヒラ飛んでいるのだが。


「離れた所から目視する分には叫ばずにいられます」

「近くに飛んで来たら?」

「職務中であれば耐えます」


 職務中でなかったらどうするのだろう。

 彼は情けない顔でうなだれた。


「近衛であれば王宮内での勤務がほとんどですから、虫に出くわすことはまずないと思って願書を出したのです。実際、野外遠征はほぼありません。たまに庭園での警護があると緊張しますが」


 庭園。


「もしかして今日のこの席も?」

「テラスで、すぐそこが庭なので緊張が隠せませんでした。いつ虫がこっちに来るかと思うと」


 会話がはずまなかったのは春の庭、いや、春の昆虫たちのせいか。


「醜態を晒してしまい、申し訳ありません」

「いえ、人間だれしも苦手な物はありますから」

「しかし大の男が虫が怖いなど」


 シュンと俯く悲し気なポーズにドキンとした。

 ああ、これは、この感覚は。


「レオン様、もしも、もしもですよ? 結婚後、家の中に虫が入ってきたらどうします?」

「情けない話ですが悲鳴をあげて助けを呼ぶと思います。立ち向かえる気がしません。済みません、情けない男で」


 彼は俯く姿勢から私を見上げた。

 雨に濡れた子犬のような瞳だった。


 ズキューン!


 か、可愛い、守ってあげたい!

 え、嘘、タイプじゃないのに、私の好みは年下のはずなのに。

 デカいし、ごついし、年上だし、騎士なのに、いたいけな子犬に見えるのはどうしてなの?

 このときめきは、そうなのかしら?

 私、天使にハートを射抜かれちゃった……?


「レオン様」


 私は彼の手を取り、がしっと握りしめた。


「安心してくださいませ、レオン様。私が貴方をあらゆる虫から守ってみせますわ!」



「うわあーっ!!」


 野太い悲鳴が響き渡る。

 書斎の方だ。


「レオン様、どうなさったの?」

「フェリス、助けてくれ! 虫が、虫が室内に!」

「今行きますわ!」


 剣術の腕なら近衛で上位、だけど虫には滅法弱いレオン様。

 雨に濡れる子犬のような旦那様を恐怖から救い出すため、私はハエたたきを持って駆けつける。

 虫に恨みはないけれど、夫を怖がらせるわけにはいかないのよ。


「ああ、怖かったよ。ありがとう。君は僕の女神だよ」

「いつでも呼んでくださいませ」


 軽いハグと頬へのキス。

 夢に描いた通りの新婚生活。

 か弱い旦那様を私が守るの。

 天は私を見捨てなかった。

 あの日のテントウムシに感謝だわ。

ヒロインの名前:フェリス・シルヴェストリス・カトゥス=Felis silvestris catus=猫の学名。ヒーローの名前:レオン・パンテーラ ≒ パンテラ・レオ=Panthera leo=ライオンの学名。生意気な猫ちゃんがでっかいライオンを『守ってあげる!』って言ってます。

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― 新着の感想 ―
虫ちゃん、可愛い!派ですわ。 害虫は苦手ですがヤツが出ると呼ばれます、わたくしを殺戮マシーンとしてしか認識していない職場の方々‥ 可愛い年下少年も歳を重ねると甘えた役に立たないおっさんになるという現実…
これは、良い組み合わせでカップリングしましたね……。 お見合いを斡旋した戦略家に脱帽です。 (キワモノはキワモノとしか結ばれない……ひどい)
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