第7話 悠久の到来
腕から下ろされたスミレは一瞬ふらつくが、エタの体を借りて体勢を立て直す。
目の前には、燃え盛る炎のように成長が止まない大きな妖桜と、それに取り憑いている無数の長い腕や手が二人を待ち構えている。
見渡すそれは圧巻のものだった。
校内でも垣間見えた樹幹は、黒々として甲虫の前羽を思わせる。そこから紫炎の上空へ無限に伸びる枝は、およそ数えきれないほどに枝分かれを起こしている。そして、桜の象徴にして満々に咲き誇る花。鮮やかな5枚の花弁は見る者全てを魅了し、空に散っては枝の梢にまた不滅の花をつける。おそらく捕食霊が食べた霊をエネルギーにして咲き続けているのだろう。
元来、花は咲いたら枯れるもの。
散ることを知らずに永遠に咲き続ける眼前の桜は、刻む時間の概念が無いこの世界にお誂え向きなようでーー。
「……傲慢な奴だ」
「それ、私に言ってます?」
思わず漏れた言葉にスミレが突っかかる。
「言ってねえよ。それよりどーすんだ?」
「大丈夫です。まずは私を背中に乗っけてあの桜の根本まで運んで下さい。そこからはなんとかします」
「りょーかい、すぐ行くぞ、捕まってろ」
返答する間もなくエタのボロボロのローブにしっかりとしがみつく。
掴まれた感触を確かめるや否や、地面にヒビが入るほど両脚に力を込め、閃光の如く飛び出す。
二人が校舎から離れる姿を視認した捕食霊は、再び自らの腕を捕らえに向かわせる。手の数は校内よりも遥かに多く、ゆうに100本はあるように見えた。全てがエタとスミレを捕まえるため、二人めがけてその腕を振りかざしてきた。
「顔上げんな、舌噛むぜェ!!」
霊の拳がエタの頭に接地する寸前、前のめりになって躱す。
スミレの髪の毛が掴まれそうになる、まさに紙一重で飛んで身をこなす。
前方から襲撃してきた4本の腕は、右手で構えたナイフで半分におろす。
学校の4階で幽霊を追いかけた時と同じ、異常なまでの運動神経。加速的に上がっていっている。
「邪魔だ、邪魔だあぁぁ!!!」
エタの口調が上擦っているように感じる。スミレの位置からその表情までは知りかねるが、きっと口角は上がっているのだろう。彼のこともまた、捕食霊と同じようにどうにかしてやらねばならない。
薄い血の色に染まっていた地面が、途端に黒ずむ。
もう桜の根本まで到着していた。
「あとは自分でなんとかすんだろ」
エタはそう言い残して、すぐに捕食霊の足止めに行った。
ここから先は時間との勝負だ。
スミレは即座に桜の樹冠を目指した。
取り急ぎ飛んで行った桜の樹冠、辺り一面が花弁で埋め尽くされている空間に、予想通りその存在はいた。
「力を貸してください!」
小さな青い霊魂が千とそこら。その中に、さっきまで追いかけていた学校の霊もいた。
「あの捕食霊さんを成仏させたいんです」
それぞれ握り拳ほどの大きさの核のようなものが、この狭い空間に無数に浮かんでいた。
その中の霊魂の一つがスミレに恐る恐る返答した。
「私達もそうしたいのは山々です……」大人びた女性の声だった。「でも、見たでしょう、あの姿を。彼らは満たされぬ空腹を満たすために、人も、霊も、花も見境なく貪っているのです……」
「あの時の戦からずっとそうだ」今度は弱々しい老人の声だ。「空腹に喘ぐわしらに捧げ物が来る時もあったが、もう無い」
擦り寄ってきた魂があった。学校の霊だ。
「助けて、くれよ……」
物悲しそうに助けを求める。私はその声をよく知っている。
「大丈夫です。私に任せてください!」
優しく、だけど不安にさせない無邪気な明るい声で答える。
スミレは助けを求める誰かの力になりたかったのだ。
*
「どうやら、話はついたみてーだな……」
エタは、スミレとそれを追いかける無数の霊魂を流し目で確認する。
対峙する桜と捕食霊の意識を全てエタに向けるために、より激しくヒットアンドアウェイを繰り返していた。
霊の腕や樹枝は切れるものの、硬い樹皮は刃が刺さる程度で大したダメージにはなっていない。
幸い、スミレたちは、戦っているエタに目もくれないでどこかへ走り去っていった。
そうでなきゃ、こんなボロ雑巾みたいな姿を見たらスミレはすぐに駆け寄ってきちまう。
捕食霊は、自らが匿っていた霊魂がどこかへ行くことが気になるようで、ザワリザワリと蠢いている。気移りしないように、桜の枝が何本も刺さった左足で石を蹴った。
「どうしたぁ、キズモノには興味がねぇってか? 安心しろよ」
折れかけている右腕を左手で支えて、切先を向けて挑発する。
「まだ、食後の運動には早えだろ。じっくり付き合ってやるよ!!」
エタは、自分に託された役割を死んでも果たさんと、再度力を振り絞りナイフ片手に立ち向かった。
走り出す足を固定しようと、桜の根が土を盛り上げて地面に表出した。
もちろん、エタは見落とさない。ブワリと飛んで躱すが、宙に浮いた状態を狙って腕が四方八方から襲いかかる。
「オラァッ!!」
空中で体を捻り、攻撃してきた9本のうち6本を切り伏せる。残り3本のうち1本は躱し、1本は硬い樹皮を脇腹に仕込んで盾にして守ったが、最後の1本は避け切れず右足のふくらはぎを食い破られてしまう。
攻撃を受けたエタは受け身を取れないまま乾いた地面に墜落する。
「……久しぶりだな、この感覚」
追撃を躱そうと身構えるが、足がもう動かない。固定されている。
「ここまでか……」
そう遺して、へらりと顔をひしゃげた。
3本の枝が背中から胸へ貫通し、血肉と内臓が体内から噴き出す。
これがトドメとなり巌咲の地にて、エタの生命活動は今、悠久に停止した。
10万5042回目の死である。