第6話 逃亡と
エタはスミレをお嬢様抱っこしながら屋上の一角に降り立つ。
「悪りいな、花びらと腕の対処に手間取った」
スミレが釣り上げられていた場所には事切れた半透明の手首が数本横たわっていた。
「大丈夫です」
「何が大丈夫だ、強がってんじゃねーよ」
漏らしてしまった助けを聞かれたのかと、慌てて言い訳を始める。
「つ、強がってなんかいません!本当に大丈夫です!」
つい、エタのローブをシワができるほど強く握ってしまう。気を張った裏返しだろう。
「どーだか」
腕がエタたちをめがけて殴りかかる。
手前にサッと避けたところは抉られて、4階の生徒会室の床が見えた。
「ここじゃ分が悪すぎるな」
スミレを抱えたまま穴が開いた地点に飛び込む。
後を追うように4本の腕が生徒会室に突っ込むが、押し合って部屋の天井を崩落させてしまった。無論、潰されてなどない。
「今度は逆だ! てめーらが俺たちを追いかけてみろよ! ギャハハハハハ!!」
エタは意地が悪そうな笑みを浮かべ、快哉を叫ぶように汚い笑い声を上げる。
巌咲に取り憑いた霊は、挑発に反応するように身の毛のよだつ叫び声を街中に轟かせる。空気がビリビリと威圧感を帯びて震える。
*
「私たちが追っていたあの幽霊は一体どこへ逃げたんでしょうか?」
お嬢様抱っこをされたまま、スミレは疑問を浮かべる。廊下は依然より桜の花弁が散っていた。東側の階段は樹木の幹で行き先を阻まれている。
「逃げてなんかねえ、むしろ俺たちが屋上に誘き寄せられたんだ。屋上はサクラの花で一面になっていた。あのサクラの花は目眩しと同時に微量だが、生気を吸い取って成長していたわけだ。きっと追っていた霊は…ほら」
視線を桜の方へ向ける。いくつもの怨嗟の声が響いている。その中に追っていた霊の気配をスミレは確かに感じ取った。
「子供の幽霊…」
「お前そんなことも解んのか」
「一応ですけど…」
「っと、来やがった!!」
壁を透過した腕が左足を狙って握緊めようと襲うが、踏み込むテンポをずらして飛んで躱す。避けられた腕はガラガラの教室に突っ込んで壁を破壊した。
「エタ、前!」
「やつも本気だな!」
目前にはおよそ10本以上の手腕が廊下いっぱいを埋め尽くしていた。
しかしエタはものともせず右へ左へ避けながら切り裂いて、入り混じる腕の猛攻を掻い潜って西側の階段まで辿り着いた。だが、そう簡単に外へ出させてくれるわけでは無いようだ。
「これは…」
「あの幽霊の腕ですね」
東の退路を桜の幹で塞ぐ代わりに、西側は幽霊自身の腕を何重にも張り巡らせて壁を作っていた。4階から3階への階段は完全に絶たれてしまう。
「どうしましょう、切って進みますか?」
「いや、それだと突破するのに時間がかかって捕まっちまう。だから……」
不敵に笑うエタに頭上から5本の腕が同時に襲いかかる。
潰したはずの手のひらには何もなく、衝撃でひび割れた床に桜が舞う。
そこに、潰される寸前に天井へ飛んだエタが割れた中心点をめがけて特攻する。
「床をぶち破んだよ!」
勢いのまま階下へ。
階下へ。
階下へ。
瓦礫と埃が舞う中、エタはスミレと共に一階へ着地する。触れられるように実体化した霊の手の甲が重なって緩衝材の役割をはたした。
急角度の飛び蹴りの足に轢かれた捕食霊の手の甲は手のひらから呻きをあげている。すぐには襲えなさそうに見える。
「この幽霊が起きる前に、早く逃げましょう」
「いや、逃げねえ」
抱き抱えられたまま急かすスミレに対して、少しの戸惑いを見せることなく決断する。
「どうしてですか、このままではあの幽霊に食べられちゃいますよ」
「んなの関係ねえ、俺が戦いたいから戦んだよ。久しぶりだなあ! この感覚は」
ゾクゾクするような嬉しさにほくそ笑むエタは、霊媒師より戦闘狂と形容するほかがなかった。
スミレの心に引っかかっていた違和感が消化された。
彼ーーエタは数千年の孤独の果てに戦うことに拠り所を見出したのだ。スミレの時も、野良の幽霊に話を聞いた時も、彼は戦うことを望んでいた。殺すことを求めていた。戦うときは相手が居るから、その相手と例え死闘になろうとも、戦闘中は一人じゃない。戦争で死んだ幽霊が、自分の悠久なる孤独を癒してくれると願っている。だから彼は戦いを希うのだ。そのくせ心の奥底では寂しくてたまらない。殺してしまった現実と怨念の声に苛まれて、また心が荒んでいく。行動原理がブレていく。エタの戦争の背景を解き明かすという動機は、いつのまにか孤独という毒に蝕まれて、建前ですらなくなっていた。
「ーーわかりました。私が言ったこともありますし、校舎裏へ行きます」
言葉をまとめたスミレが今にも暴れそうなエタに言葉をかける。
「その代わり、エタは捕食霊を殺さないで時間を稼いでください」
「……どーいう魂胆だ」
「私があの幽霊が成仏出来るような方法を見つけますので、それまで耐えてください」
「勝算は」
「……3割くらい」
「十分だ」
ニヤリと笑って割れた窓ガラスを飛び越えた。
先の光景は空の紫と桜のピンクが淡く皓々と光り輝いて、不気味ながら美しく彩られている。
「……それだけ?」
「あ?」
「聞くことはそれだけなんですか? 作戦の方法とか、何秒持たせるかとか、私に何か聞くことはないんですか?」
あまりにガバガバな自分の作戦に聞き返さないエタを不思議に思う。まだ出会って数日そこらの子供に自分の命を預けてと言っているようなものだ。人間か断定できない生命体に。
エタは少し考えて、腕の中に収まっているスミレに不器用に笑いかけた。
「んー強いて言えば、お前は絶対に死ぬな! 以上」
「はい!!」
さっきまでの不安めいた表情から一変、パァッと明るく返事を返した。