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第5話 探索

 校舎に入って最初に出迎えたのは黒い黒い大樹の一部であった。壁を破壊して表面が表れているが、それでもこの桜の一抹に過ぎないと思わせるほどのサイズ感を、これでもかとさらけ出している。


「バックに生えている桜の幹だな」


 大木を注意深く観察するエタとは対照的に、スミレはピタピタと興味深く木の皮に触れていた。


 妖桜の木肌は一片が鋼鉄のように固く、切れ味こそ無いものの打撲で十分霊を殺すことができるだろう。ゴツゴツした表面は、手や足の掛け場にもなりやすい。いざという戦闘時にも使えそうだ。


 改めて東口周辺を見渡す。


 ガラス戸は割れて、樹木がめり込んでいる壁には相応の裂け目が見て取れる。備え付けてあるはずの下駄箱や手すりは、設置されていた痕跡だけ残していた。その他の部分、たとえば床や桜が露出していない階段側の壁、天井は、外装以上に綺麗に、というか閑散としている。目立つほどの傷は見当たらず、風によって運ばれてきた土埃で煤けたくらいだ。


「どこから探索を始めますか?」


 スミレは上階を見上げている。


 2階に続く階段の踊り場は星の光を妨げるものが無く、淡い明るさを受けて耿々(こうこう)と光って見えた。


「下から洗ってく。件の霊が学校(こん中)にいるなら、逃げ場を無くして屋上で仕留める」


「追い込み漁ですね」


「そういう事だ」


 1階は職員室や給食室、校長室など学校運営の基幹となる横長の部屋が位置されている。


 どの部屋も机、椅子、棚などの設備の一切は取り払われ、かつて置かれていた跡だけが存在していたことを証明している。ただ視界に映るのは、黒ずんだ壁と校庭に直通する金属の窓枠だ。閉める扉も無い。


「特に動かされた様子も無いですね」


「内部に植物も生えていないな」


 東口から西口まで連なる理科準備室、理科室、東トイレ、多目的室、保健室、放送室、応接室、校長室、職員室、事務室、西トイレ、図工室、給食室には幽霊はいない。


 しかし、最後に訪れた給食室は他の部屋と違って、設備が不気味なほどそのまま在置していた。


 当時いた生徒の食を支える設備は全て綺麗に残っている。電気を通せば、使えそうなものばかりだ。冷蔵庫もオーブンも水道も綺麗だ。ただご丁寧に刃物の類いは持ち去られている。一体なぜ……?


「とても大きいですね、このお釜!私がまるまる入っちゃいますよ」


「それはおそらく米を炊くための釜だな。給食を全校生徒に配る分、器具も大きいんだろ」


「じゃあこれ使えますか!?」


「米は持っているが、火と水がねえな」


「えー、じゃあまた田んぼのところまで戻りますか」


「終わったら、それもいいかもな」


 2階には基本的に1年生と2年生の教室が五組ずつ配置されている。また、同階に図書室やパソコン室といった学習の基盤も置かれている。


 2人は階段近くの1-1教室に入って行った。


 いつかの新入生が(くぐ)って行った開きっぱなしのドア。雑草だらけの校庭が見える窓。黒く焦げた跡のある天井や壁。教室の象徴とも言える黒板は真ん中で大きく割れている。濁るように色褪せた教室の床にはサクラの花びらが寂しく座っていた。


 机も椅子も無い静かな教室の中、スミレがぽつりと呟く。


「ここが教室ですか……」


「そういえばお前、学校行ったことねえんだっけ」


「はい」


「何で行ってなかったんだ?」


「あんまり覚えてないんですけど、父が『行っちゃダメ』って言ってた気がします」


「気がするって、お前の父さんは何してたんだよ」


「さあ、あまり会う機会も無かったはずです」


「変な奴」


 そう言い残して、教室を出た。


 2階にもいない。


 既に探索は3階まで終えたところで、疑惑の念が出てきた。実はこの学校には手掛かりなんてものは何もなくて、徒労に終わってしまうのではないかと。焦りと緊張がほとばしる。


「また凄い汗」


 焦燥が顔に漏れていたのか、スミレは心配そうに声をかける。


「……なんでもねえ」


「大丈夫ですよ。ここに何も無くたってまた別の場所を探しましょう。それに私、給食室でお米をたっぷり炊いてみたいです」


 手を後ろに組んで、エタの前に乗り出す。


 彼女は、手を引っ張ってくれる。


「……そうだな、こんな辛気臭えとこパッパと済ませて飯でも食うぞ」


「はい!」


 気勢を上げた2人は4階の廊下を覗きこむ。


 この階層は5,6年生の教室が置かれている。卒業して次のステップへ踏み出すための教室。未来を見据えた生徒の希望が溢れる空間。最も、この世界に1年なんて概念は無いわけだが。


 静寂に支配された廊下は、夜の光を浴びて仄暗く(おごそ)かだ。校庭の反対側にある体育館が見える窓からは、季節を問わず桜吹雪が舞い込んでくる。桜の大幹も歩廊に迫り上げているが、被害は小さい。代わりに、ピンクのカーペットが廊下にびっしりと敷かれていた。ドアや割れた窓から入り放題になっていたのが原因だろう。


「綺麗……」


 スミレは思わず恍惚とする。


 確かにこの光景はうっとりするだけの価値はある。夜光が窓から差し込み、薄紅色に染め上げられた廊下は無愛想な俺をしても綺麗と言わざるを得ない。願くば、2000年前に実現して欲しかったものだ。


 感傷に浸っていたスミレとエタであったが、目線の先に花弁の絨毯が跳ね上がっている事を目で捉えた。


 風は吹いていない。十中八九、捕食霊だ。


 エタはここに来た事が無駄では無かったことを安堵すると同時に、逡巡せず追跡を選択。


 一階の東口からジグザグに探索を進めてきたエタとスミレは、4階の西階段をちょうど上ってきたところだ。一方、跳ねた絨毯は東側の突き当たり、大体100メートル先を曲がった。あの先は生徒会室を除けば、屋上に繋がる階段があるはずだ。


 スミレを一瞥する。


 彼女にもしっかりと見えていたようで、目を合わせて頷いてくれた。


「早く追いかけましょう」


「しっかり手、掴んどけ」


 エタはスミレの腕を掴む。


「ふえッッ!?」


 両脚にめいいっぱいの力を込め、深く踏み込み、足のバネを使って大きく()()()()。次の一歩を5メートル先、その次の一歩は10メートル先、そのまた次の一歩は20メートル先。エタの通った後の狭く細く長い廊下に、衝撃が走るようにピンクの花弁がブワリと舞い上がる。その速さはまさに時間を置き去る光のごとく、捕捉した獲物を捕えるために100メートルの廊下を一瞬で駆け抜けた。


 突き当たりの壁まで追い付く。会話を交わした2秒後のことである。


 急ブレーキをかけ、スミレの安否を確かめる。


「生きてるか、スミレェ」


「3たす3ははちぃ」


「よーし、ダイジョブそうだな」


「全然ダイジョバないですよ! なんですか、あの速さは!」


 頭に鶏が回ってそうなスミレだったが、すぐに気を取り戻してくれた。


「特訓だ、特訓。それより捕食霊(やつ)は?」


 曲がった通り左側を睨む。屋上の扉と生徒会室の表札が目に入る。両方ともピクリとすら動かない。


「多分こっちです」


 スミレの人差し指はさらに上の階を指していた。やはり、スミレには痕跡か気配のような何かを感じ取れるのだろう。


「屋上だな!!」


 扉は閉じ切っている。大半の幽霊は透過するため、扉の開閉をする必要が無い(というか出来ない)。


「オラァ!!!」


 鉄でできた扉を右足で蹴破って、空の麓へ出る。


 屋上へ現してすぐ目に飛び込んできたのは、視界一面に広がる壮観なピンクの宇宙。


 屋上、いや、学校の敷地内全域を覆うほどのサクラの大樹が、満開の花を咲かせて2人を待っていた。


 愛用の小刀を手にしたエタと、その少し後ろを猫背気味のスミレがついていく。


「どこにいやがんだ!」


 目線を右に左にズラす。屋上に犯人らしき姿は見当たらない。


「スミレ、捕食霊(やつ)はどこにいる?」


「……分からないです」


「何!?」


「逃げていた子の気配が消えたんです。さっきまでいたのに……」


「それは本当か?」


「嘘は吐きません!」


 ……4階で捕食霊と思われる影を見たのは西側から約100メートル離れたところだった。2人で見たから存在自体は間違いない。跳ね上がりを視認してからスミレを見るまで2秒、会話に3秒、移動して2秒。そこから屋上のサクラを見るまで23秒程度。つまり何者かの存在を認識して逃げた先と思われる屋上に辿り着くまでおよそ30秒……。その間どこへ逃げた?上か、下か?いや、もしそうなら屋上へ逃げ込まず4階の窓から逃げた方が手っ取り早い。一体どこへ逃げた?


 ……違う。捕食霊は逃げたんじゃない。やつは、いや、()()()()()()()()んだ、このサクラの花しか見えないこの屋上に!


「逃げるぞ、スミレ!!」


「はい?」


 手を掴もうとスミレの方向を向く。


 エタにスミレの言葉が届く前に、桜の木から伸びる無数の手管が襲いかかってくるのが目に映る。


「触んじゃ」


「ねえええええ!!!」


 校内で捕食霊を追跡したときより速く、身体を飛ばす。


 しかし、スミレへ伸ばした手は虚空を掠り、スミレは先に掴まれた3本の腕によって宙吊りにされてしまった。


「キャアアッ」


 自分の視界が突然逆さまになったことに驚愕の声を上げたが、常に浮いている姿なもので恥もへったくれも感じなかったスミレは、預かっていた稲を刈ったナイフをとっさに腹から取り出す。自身の体重分の物までなら体に仕舞えることに気づき、いざというときのために隠しておいたのだ。


 髪の毛を乱暴に掴んでいる腕に向かってーー。


「ええい」


 刃は当たること無く、モヤがかかった腕をすり抜ける。そう言えば、長年持ち歩いた愛器じゃないと幽霊に傷をつけることすら出来ない、とエタが忠告したことを思いだす。


「どうしよう、どうしよう」


 ナイフを両手に携えたまま、思考を巡らせるが何も出てこない。


 その上、拘束している3本の腕に加えてさらに2本の腕が自身に向かって来ているようだった。手の指は5本に留まらず、8本以上ある手も見える。手のひらからは人間の口腔の形が顕現していた。腕部分も異様に長く、関節も複数存在している。明らかに人間の機能に収まらない異形が桜に取り憑いている。


 手のひらの口が涎を垂らしている。私を食べようとしているのか。


 何も出来ない。つい、瀬戸際で止めていた言葉が零れてしまう。


「助けてください、エタ」

 

 音もなく風が鳴く。


 閃光のような速さが、スミレを取り囲む5本の触腕に切れ込みを入れると即座に両断する。


 宙に放り出されたスミレは、男の胸の中に収まった。


「触んじゃねえって言っただろうがぁ!!」


「エタ!」

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