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第3話 安堵の食事

 地表に露出した玄武の岩盤に二人は少し離れて座り込む。


 かつての世界では時の遷移が存在したが、残存しているのは永劫の明るい闇夜だけだ。いつまで待っても太陽は昇らず沈むことも訪れない。


 ただ二人は不変の空の下に佇んでいる。


「少しは落ち着きましたか」


「あぁ……」


 心配するスミレからの言葉に反応はするも、少し前の悶着に対する謝罪は無かった。そのせいかスミレはエタではなく、1本だけ背高く生えているエノコログサの首振りを目で追っている。


「………………」


「………………」


 沈黙がこの場にのぞむ。


 ただでさえ静かな世界だ、生ける者が口を開かねば誰がこの静黙を拓くのだろうか。


 穏やかな風が吹いている。虫の羽音一つ立たず、周りにはエタとスミレしかいない。邪魔するモノも見守る者もいない、たった二人きりの気まずい時間。会話も交わさない絶妙な時間。安堵な気候だが、双方は和やかな雰囲気ではいられない。そんな時間がただひたすら流れた。


「なあ、お前は俺にどうして欲しい?」


 歪な関係に甘んじていられない。


 そう思ったエタが沈黙を破った。


 切り出すタイミングを逃してしまい、それからずっと空と野原を交互に眺めていたスミレは、ようやくエタの顔を一瞥する。


「その問いは、私に怒っているということですか」


 スミレからはエタの感情の判別がつかない。目元が髪の毛に隠れて見えないせいだ。


「ただの質問だ。それと、さっきのことは忘れてくれ」


 幽霊を殺そうとした件のことだろう。


「そうですね」と一呼吸置いた後スミレは続ける。「理想をぶつける、ということになると、エタには誰も殺して欲しくないです。幽霊さんたちの怨嗟の声もエタの辛そうな顔もこれ以上見たくありません」

「ハッ、そりゃ無理だな。さっきも言ったが、俺の生業だ。染み付いて離れない」


 そう吐き捨てたエタは物憂げでどこか諦めたような顔をしていた。


 自分がこれまで積み上げてきたものを壊したく無い、いや、壊せなくなってきているのだ。訳のわからない世界を一人で彷徨い、希望の光を掴むために戻れないところまで来てしまっている。永らく何をしていたのだろうと、もはやスミレと会う前のことなどほとんど覚えていない。ただ一つ憶えているのはーー。


「私はエタの辛さを共有できませんし、気持ちを推し量ることしかできません」


「じゃあ、お前に何が出来るんだよ……」


 また辛そうな表情がエタの顔に表れる。


 幾星霜の時間、一人だったエタにとって会話が出来る相手はどれほどの太陽だったのだろう。霊との殺し合いから離れ、気ままに閑談する日々を求めていた。その太陽の願いならなんでも聴いてあげたい。しかし、何かをもたらすことすらままならず、己の使命に命を捧げることしかできない自分を何と憂いたら良いのだろうか。


 一人嘆くエタを横目に、スミレは立ち上がる。


「エタがあの土地から私を解放してくれた時に言ったはずです」


 気づけばスミレはエタの正面に立っていた。


「私ができることは何でもします。だから一人で抱え込まないで下さい。私はあなたの側にいます」

 男の絶望を晴らすように少女は言い放った。


 エタの心は打ち震えた。


「少しばかりわがままな私ですが、精一杯頑張りますので!」


「そいつぁ……悪くねえな」


 エタは膝に肘をつき額に手を当てスミレを見上げずにいた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 *


 エタとスミレは再び歩き始めた。足取りは幾分か軽くなっている気がする。


「それで今からどこに行くんですか」


「ああ、その前に何か食べるぞ」


「それって、料理してもいいってことですか!?」


「勘違いすんな、お前が何を出来るか確かめるだけだ」


 辛口を叩くわりには満更でもない調子であったのが、スミレには分かった。


「何か作って欲しいものはないですか?」


「そうだな、ここら辺では()()というイネ科の植物が食えるって聞いたが」


「それなら炊くために火と水が必要なんですが用意出来ますか?」


「問題ねえ」


「なら大丈夫です。任せてください」


 スミレの顔は自信に満ちていた。




 三日ほどして二人はコメが自生する水田地帯を探し出した。


「これが田園地帯ですかー!」


 スミレは空中で興奮している。


 目下には黄金の稲禾が風に合わせて踊っている。空は晴天ではないが、紫紺の天空とさんざめく星屑が幻想的な景観をもたらしている。少し離れたところには小川が流れているようだ。


「これがコメか」


 エタは本来そこにあったはずの雑草だらけの畦道に腰を下ろした。


 先っぽが黄緑色に染まった穂を掬い上げる。実の一つ一つは膨らんでおり、葉や茎に栄養はしっかりと行き届いている。病気や虫食いも見られない。


 成熟まで少々不十分だが、2人で食べる分には足りないことはないだろうと考える。


「おい」


 金の絨毯の上でぐるぐる回っているスミレに声をかける。


「なんですか」


「これを使え」


 エタは腰からナイフを取り出す。光る刃物を見てスミレは一瞬怯むが、以前刺されかけたナイフとは形状が違うことに気づく。


「予備だ。これでコメを刈り取ってこい」


 スミレは布で巻かれたナイフの柄を握る。軽やかな印象と異なり、金属器らしくずっしりとしている。サビや刃こぼれをしないように丁寧にメンテナンスを心がけているようだ。


「その間に俺は釜を用意する」


 言伝を残してエタは山の方へ足を運ぶ。口下手で言葉に棘があるエタだが、今回は頼ってくれた。スミレには、それが嬉しい。


「はい、分かりました」


 そう了承した少女は田んぼで稲刈りに、男は山で釜作りにそれぞれ行った。


 さて、数時間後エタは山から立派なタケを持ち帰っていた。


「調子はどうだ」


「良い感じです、たくさん獲れました」


 ふいと、先まで座っていた畦道を見遣る。


 そこには長さがバラバラの稲が大量に横たわっていた。


「もう十分だ、こっから食べられるまでが長えからサクサクやるぞ」


「はい!」


 それから刈り取った稲を事前に取ったタケで作った物干し竿に干すこと10日。種もみを稲から外す脱穀、食べられる状態にするためのもみすりを行う。スミレが駄々をこねたため、玄米を精米にまでする。

 概念的な時間感覚がない世界のため、ここら辺の時間はかなり適当にやっている。が、なんとか試行錯誤を繰り返して2人分の精米が完成した。


「あとはお任せください!」


 それまでの作業は分担していたが、力仕事が多いせいかスミレはあまり活躍できなかったのか、やけにはつらつとしている。


「お釜はどこですか」


 腕まくりまでして意気揚々としている。


「ちょっと待ってろ」


 エタは未だに使っていないタケの一節分を縦に半分に割る。


「タケは発火点が高えからこれで炊けるはずだ」


 タケの中に水を張れば、コメを炊くことができる釜が出来上がる。


「あとは火の用意ですね」


「今回はこいつを使う」


 エタの手のひらには、黄色い外殻に紅色のドロリとした液が包まれている木の実が一つだけ転がされていた。


 採取したばかりではなく、長年取っておいた秘蔵の品のような古臭さを感じる。


「こいつは殻が硬いんだが、割ってやると」


 と言いながらナイフで殻の一点に傷を付ける。亀裂が入り込み、すぐに内部の液体が漏れ出したと思えば勢いよく炎が発生した。


「この木の実は内部の液体が大気と触れ合って燃焼反応を示すんだ。俺がいた大陸に生えていた」


「便利ですね」


 炎が消えないようにタケを薄く削いだ薪をくべる。


「じゃあ後は頼んだぞ」


「頼まれました!」


 スミレは待ち侘びた役割を果たさんと、自信ありげに答えた。


 タケでできた釜に精米し終えたコメを入れ、コメがちょうど浸るくらいに水を注ぐ。


 釜を火にかけ、同じくタケでできた蓋をする。


「あとは火を強くしたり弱くしたりすればお米が出来上がりますよ」


「……何を作んだ?」


 エタは土草の上で胡座をかいている。


「お米の味を最大限生かすためにおむすびを作ります」


「オムスビ?」


「お米を形を整えて食べやすくした日本の伝統的な食べ物です。御伽話にもよく出てくるんですよ」


 釜の隙間から湯気が立ち昇る。弱火に抑えるために焚き木を投入するのを止める。


「お前……感覚とかあんのか?」


「何の話です?」


「五感の話だ」


「暑い寒いは分からないですけど、痛いは多分ありますし味覚も嗅覚もあると思います」


「そうか……」


「どうしたんですか、急に」


「気になっただけだ」


「変な人です」


「気にすんな」


 軽口を叩いていると、釜の方からいい匂いがしてくる。蓋からくつくつと、泡ができては弾ける。


「……そろそろいいんじゃねえか」


 匂いに釣られてそわそわしているエタが気を急いてきた。お腹は空かないはずなのに、美味しい匂いには耐えられないようだった。


「まだです。赤子泣いても蓋取るな、です」


「………………」


「………………」


「おい、もうできたんじゃねえか」


「まだです。もう少し待ってください」


「………………」


「………………」


「なあ」


「もう出来たと思いますよ」


「じゃあ早くそのオムスビを作れよ」


「はい。ちょっと待ってくださいね」


 蓋をどける。釜の中からいかにも食欲を掻き立てるいい匂いが溢れた。エタは湯気を手で払いながら、出来上がった至宝を覗き込む。


「これが、コメ……」


 ふっくらとした白と薄茶色の粒は、一節分のタケの釜にぎっしりと詰まっている。ホカホカの熱気に震わされた小さな楕円形は光り輝いて見える。


「うまそう……」


「苦労したかいがありましたね」


「って言っても収穫と精米だけだけどな」


「いえ、受け継がれた結晶です。ありがたくいただきましょう」


 きっとこれを作っていた人たちは、この光景を市井の衆人に味わってもらいたかったのだろうと、スミレはしみじみ思った。


「少し熱いですね」


 スミレは両手を澄んだ水につけ、炊かれた米を握り拳大ほどの大きさに握る。形が崩れないようにしっかりと三角形に整える。熱気が外気と混ざりきる前に2個3個と形成していく。


 エタはただそれを傍観していた。


「よし、できました」


 笹の葉の上に綺麗な三角形のおむすびを4つ整列させる。釜には米の取りこぼしが一粒も無い。


「もう、食って良いのか?」


 完成を待ち侘びたエタは両手におむすびを持っている。強く握っているせいでおむすびの下部が凹んでいる。


「その前に、私がいた国には食事をする前に、いただく命や作ってくれた農家さんに感謝を伝える言葉を言います」


 今にも食らいつきそうなエタを静止し、手を合わせることを促す。エタは言われるがまま、おむすびを戻し手の平を重ねる。


「いただきます」


「いただき、ます」


 感謝を終えたスミレは自らが模ったおむすびに手を伸ばす。しっかりと携えたおむすびを頂点を一かじり。


 それを見て、エタも再びおむすびを握りしめ、口を大きく開ける。


 一口。


「う、うめぇ」


「美味しいです」


 口の中に美味なる感触が広がる。ぷっくりとした米はうまみが集い、おむすびとして成った食感は感動に尽きた。


 確かに一粒一粒の形は歪で、米同士にもムラがあるが、そんなことを考える余裕も心境も2人には無かった。


 遥か昔に確かにいた作り手の努力が偲ばれる。


 一口、また一口と食べる手が止まらなくなったエタとスミレは、あっという間におむすびを平らげてしまった。


「ご馳走様でした」


「……」


「ほら、エタも」


「あ、ごちそうさま」


 食後の片付けをさっと済ます。イネを干した竿も火にかけて使えなくなった釜も自然由来だから、そこら辺の地面に埋めた。


「おむすび美味しかったですね」


「またいつか食いてえな」


「お米はたくさん取りましたし、また作りますよ」


「マジか! お前、出来るな!」


「役に立つって言いましたから!」


「そら頼もしい」


 2人は星が見下ろすなか、笑いあった。


 旅を始めておよそ1ヶ月。2人の気持ちが初めて一致した瞬間だった。

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