第23話 普通
スミレはアンリの提案をはっきりと断った。スミレからすれば、もともと自分からエタにわがまま言ってついてきた道中であるし、エタが認めたならまだしも一方的に引き抜かれるのは、永くエタと旅をしていきたいスミレに首を縦に振る道理はなかった。もちろん、殺されかけたことも殺したこともあったため、最良の関係ではないが、後者は彼自身というかスミレの中に眠る自称”神”が覚えさせていないので無暗に突かなければ会話にひびが入ることもあり得ないし、前者の半分幽霊のスミレを攻撃するのも当時の彼の心境的には詮方ないとも言える。ともかく、エタと交わした「元の場所で殺してもらう」約束と、神と交わした「霊媒師を全て殺す」契約が完了するまではエタの目の届くところにいたいというのが、この時のスミレの混じりっ気のない本心である。
このスミレの純真かつ迷い無い即答はアンリの蝸牛神経にひどく障った。というのも、スミレとエタの関係についてはアステリアを抜ける最中にある程度聞いていたのである。その会話の中には、初対面にエタに殺されかけたことも、スミレがタチバナの木から出て霊と言葉が通じる半霊のような状態であることも、エタ自身が持つ再生能力も、粗雑で非道なほどに無愛想な態度も、旅に出て武力以外の方法で幽霊を殺してきたことも含まれる。これらの会話を通して、現在スミレはエタに不満足な印象を抱えていると、アンリは結論付けた。
アンリがそう考えた根拠には、彼女とかつて「悠久の霊媒師」と呼ばれていたエタとの遥か昔の事案が大きかった。エタの死亡回数が4万飛んで17の時、幽霊と相打ちになって再生途中だったユウキュウを無理やり引きずりだしたのがアンリ・ミラテッドである。これ以前にもユウキュウとアンリは出会ったことがあったらしかったが、少なくともエタは覚えていないようであった。ユウキュウは彼女が突き立てている鉄の棒を睨みながら、口ごもっていた。
「…………」
「アンリよ。礼はいらないわ」
「誰が礼なんてするか、邪魔しやがって。もう少しで奴らから答えを聞けるところだったのに」
この時からすでにユウキュウは大戦の答えを求め彷徨う亡霊となっていた。精神状態はひどく憔悴しているが、スミレと出会った時のような孤独感や猜疑心はまだ薄かった。
「あんたまだそのやり方続けてんの? 何度殺っても奴らは呻きや悲鳴のような列のなさない声をあげるだけ。いい加減諦めたら? この世界ではなにもかもが無意味なんだって」
アンリがユウキュウより死亡数が少ないのは、新世派によって導かれたであろうこの世界の状態を彼より把握していて、そのうえで死ぬことができないという絶望的な現状を彼女一人の力では打破できないと諦めたうえでの消極的な行動である。はじめは、研究職ゆえの好奇心と果敢な行動を起こしていたが、万死を重ねた経験で降りかかった火の粉を振り払うこと以外は幽霊との戦闘はせず、逃げと観察に徹していた。事実、この説教をする以前のおよそ200年間彼女は一切の死亡をしていない。それがアンリ・ミラテッドにとっての普通であった。
「諦める、だァ?」
「ええ、だからあんたが知りたい答えはもう手に入らない。永久なるこの世界に適応するしかないの!」
「舐めんじゃねえ……誰がこのクソみたいな世界に従うか! わけわかんねーまま放り出されて、数えきれないほどに死んで、それでも死ぬことすらできなくて!! 俺は……俺は、知る必要がある。こんな世界になった原因を、あの大戦が起こった原因を!! そのためなら、幽霊も神も全部ぶっ殺してやる!!!」
アンリの目に映ったのは、全身から憎しみを散出させている一匹の鬼であった。そこにはかつて出会った霊媒師はなく、悉皆を殺害せんとするただ一つの鬼であった。
「凄い…………あんた『悠久の霊媒師』、だったわよね」
「……だったらどうした」
「私と一緒に――」
行動しない? とアンリが言い終わる前に悠久の霊媒師は、右手に持つ唯一の武器で彼女の正中線を切りつけた。その一薙ぎで、彼女の鼓動は悠久に停止した。
アンリからすれば、ユウキュウの攻撃行動は想定の範囲内であった。しかし、一人の長旅が彼女の心情に揺らぎをもたらし、諦観を破ってしまった。再生途中のユウキュウに話しかけたのも、共同を発案したのも、孤独に耐えられなかったためである。もちろん、ここで殺される腹積もりではなかったが、戦闘経験と潜ってきた修羅場の差が、一瞬の覚悟と生存能力に直結し、死亡してしまった。
しかし、ユウキュウにとっても意識外であったのは、真っ二つになった身体が煙たい羽音とともに接着し、興奮気味に話しかけてきたことである。
「――行動しない? イカれてるわ、あんた」
「ヂィッ」
鈍い舌打ちとともに下に振り下ろした両刃のナイフを即座に切り上げる。アンリの腹までは切ったが、上体を反らしていたため空を切った。アンリははみ出る腸を気にしながら、大鎌を背中から取り出す。
「殺し合いがお好み? いいわよ、付き合ってあげる」
「ウ゛ラア゛ァッ!!」
この時アンリには策があった。先の斬り合いで戦闘においてはユウキュウに長があると知り、正面では彼に協力させることには無理があると悟った。きっと、彼の何倍も殺されるだろう。だが、幾ら不死身でも私たちは人間だ。疲れも飽きもいずれ来る。それが普通だ。その時に改めて協力を打診しようと、首を飛ばされながら考えていた。ただ一つ見積もりを誤ったのは、彼の精神が人間のそれを越えていたことである。
それから100年程度と思われる時間が経った。その間二人はひたすらに殺し合っていた。いや、この書き方は間違っている。1年を超えたあたりでユウキュウの武器が朽ちた。3年を超えたころにアンリの鎌は紛失した。二人には手に取れる武器が無くなっていた。5年を過ぎたときに殺し合いは一方的な蹂躙に成り代わっていた。逃げるアンリをユウキュウは逃さなかった。泣き叫ぶアンリをユウキュウは笑いながら殺した。10年に差し掛かるときアンリは抵抗することを辞めた。ただ殺されては再生してまた殺されることをしばらく繰り返した。寝も食べもせずに殺すことと殺されることを残り90年間、何度も何度も繰り返し繰り返した。そしてアンリが死体と果てているときに、思い立ったようにユウキュウは立ち上がり、二度こけて、西へふらふら歩いていった。このこともエタは覚えていない。死亡回数は4万2428回に上っていた。
アンリの行動原理は「普通」の上に成立している。返霊事変以前、他者から逸脱することを彼女はつねに恐れていた。彼女に普通を強いる両親が、表向きには交通事故で亡くなってしまったからである。親が夭折したことも、ENOという異端の組織に所属していることも普通ではないと彼女は理解していた。しかし、返霊事変後、秩序が崩壊した世界でなおも普通を求めた彼女は、自分とは相対的に異端な人種を探した。それがユウキュウである。イカれ狂った精神と大戦の真実に執着する悠久の彼は、彼女にとって異端であり、異端なる彼からすれば自分こそが普通であると思えた。あのユウキュウこそが自分を普通たらしめる人間だとそう考えて疑わなかった。
だが、三度会ったユウキュウは以前の彼とは違っていた。出会い頭に殺してこないし、隣の少女の言うことを律儀に守っているし、むやみやたらに発狂せず幽霊を殺さなくなっていた。そこにいたのはユウキュウではなく、エタと呼ばれる霊媒師であった。この時、アンリの普通は崩れた。ユウキュウでない彼と自分を相対化しても、自分が普通でいられる保証はない。自分が異端になり果てることが目に浮かんでいた。しかし、彼の隣にはスミレという神秘を内包した少女がいた。




