第14話 真相問答
俺の胸に突き刺されたナイフは、間違いなくさっきまでスミレが持っていた稲刈りのナイフだった。傷口から、紅い血が溢れ出して新調された服を染める。
「ここからは私からの答え合わせです」
真っ白なワンピースが似合うスミレは、今は怪しく笑っている。
「スミレ、どういうことだ」
後ろ手を組むスミレを睨む。身に置かれた状況に反して、心内は異様に落ち着いていた。
「スミレ、とは誰のことでしょう?」
二重人格? 違う、スミレの人格に何かが乗り移った。まるで、幽霊に憑りつかれたような――。
「……お前は誰だ」
「はじめは貴方が寝ているときを狙おうと考えました」
「スミレをどこにやった」
「ですが、貴方は寝ないものでして――」
「何故こんなことをした、スミレ!!」
『――黙りなさい――』
彼女がそう命令したとき、まるで世界が停止したように思えた。しかし、川のせせらぎも聞こえない。風の肌触りも感じない。葦のたなびく姿も見当たらない。星の煌めきも土の青臭さも唾の苦ささえ何も感じない。五感が時間の感触を否定している。
思えた、のではなく、実際にこの永遠の世界が彼女の唱えるままに完全に停止したのだ。
心臓の脈動しか聞き取れない。身じろぐことすら許されない彼女の”圧”で、思わず首を垂れる。膝を草地につき、彼女との頭の位置が逆転する。
『私はこの世界の神だ』
神、だと。こいつ、自分のことをこのクソッタレな世界を拵えた神だと言ったのか。
『話は貴様が死んだ後で聞く』
俺が死ぬ、なんて笑わせる。俺の身体はスミレにも話した、死んでも蘇る呪いの体質だ。どんなに惨たらしく殺されても、それを思い出させるように元の身体に戻しやがる。捕食霊が何度刺しても、何度潰しても、何度喰らっても死にきれなかったこの体だ。死ねるもんなら、今すぐ死んでやる。
足音なんてものは聞こえなかったが、自称神が近づいてくるのが分かる。
地面と向き合う俺に触れ、胸に刺さったままの穂刈ナイフに左手を添え、頭越しに囁く。
『――おやすみなさい――』
同時にナイフが引き抜かれる。血はこれ以上広がらなかった。
その言葉は、脳と心臓を貫いて全身が受け入れるように浸透した。俺の意識が何か発する前に急激に遠ざかり、悠久の奥へと離れていく。
身体は停止した世界で何も言わず、痛みもないまま全てが考えられなくなった。
俺の身体は俺の身体だったものへ変質し、思考の主導権までも失われる。
それから1分ほど経った後、彼女が口を開く。
『――もう自由にして良い――』
瞬間、川がせせらぐ。風が吹き、葦がたなびく。星は煌めき、土は香ばしく、彼の口から苦い唾液が溢れ始める。
ただ一つ始まらなかったのは、下を向いたまま膝をついて動かないエタの魂だった。
「さて、貴方が死んだところで答え合わせの時間です」
目の前の死体を見下ろし、スミレの口調で、スミレの雰囲気で彼女が話し始める。滔々と血が創傷から流れ出る。
「はじめは、貴方がこのナイフを渡したときです」
彼女は引き抜いたナイフを軽く振り回す。刃の先から新鮮な血が飛び散る。
「眠ったときに首か心臓を一突きして殺そうと考えたのですが、貴方は全然寝ないし食べないんです。よく考えたら当たり前でした。この世界では眠くならないし、お腹も減らないのが普通です。そういう世界が私に任されたのです。ですから、他の方法で貴方を殺す必要がありました。幽霊の身体では貴方に勝てませんし」
彼女は足元にある白い草花を摘み取る。やや太い緑色の茎と、分かれた先から傘のように丸く広がる白い5弁の花。
「そのとき捕食霊の話を聞きました。私、閃いたんです。その幽霊に貴方を殺してもらおう、って。それから、スミレを無意識に誘導させ、捕食霊と貴方の一対一の場を作りました。時間も稼いで、貴方は捕食霊に殺されたって、スミレが知ったらどう思ったのでしょう? でも貴方は死ななかった。これは私にとって完全に誤算です。何より、正気を失っているのがよくなかったです。あのまま修羅になり果てることだけは止めなければなりませんでしたが、スミレが上手くやってくれました」
手に携えた白い花を優しく手折る。花弁を1枚、千切って野に放す。
「そのあと、貴方たちは奮戦して捕食霊を倒す手前まで至りました。あとは、あの米釜さえ投げ込めば殺さずに成仏させられる。しかし、それでは私の意図ではありません。だから、多少強引でも私が動く必要があった。……もうわかりますよね。思惑通りに動いたときはつい笑みがこぼれてしまいましたが、やっぱり貴方は死ななかった。でもそれはできたら、の話です。ほかの狙いがありましたから――」
「それは、エタの心情を確かめるためですか?」
彼女の花を千切る手が止まる。声は自らの身体が発していた。その声に驚きもせず、話を始める。
『……ああ、そうだ、スミレ。私の目標は言っただろう』
「この世界を常世にする、ですよね。でも私は納得も同意もしてません」
『使命のためだ。私の望む世界では、不幸せな幽霊を生み出すわけにはいかないからね』
彼女は花を千切る手を再開する。
「だからって、こんなひどいことをエタになんて言えば……」
『話す必要など無い。あの男は私が殺した』
「…………どうやって?」
『そのための時間だ。ちゃんと説明してあげよう』
千切り終えた彼女の手は、新たな花を求めてスミレの身体を動かす。
『あの男の再生能力は死んだ瞬間に発動するものだ。同時に、持ち主の身体を不変のものにし、血を沸かせながら死ぬ前の万全の状態に戻す。つまり、能力の正体は死の瞬間をトリガーとする時間遡行だ。自身が死んだ瞬間に身体を固定し、死ぬ前の身体へ時間を逆行させる。感触も、思考も、無論、感覚も死ぬたびに己が身体に戻ってくる。ああ、可哀そうに! 死ぬときに食らった痛みも苦しみも絶望さえも、蘇るときにもう一度味わわなければいけないなんて! 兎に角、あの男はどういうわけか神の力を手にしていたというわけだ。私や君のようにね……』
スミレは黙って聞いている。彼女は手に取った白い花の弁をまた一枚ずつ散らしていく。
『この能力の要は、死んだ瞬間に発動するという条件だ。つまり、死の瞬間を過ぎれば能力は発動しない。ここまで言えばわかるよね。そう、私はあの男の死を固定させたんだ。死という状態を固定させ、再生する契機を失わせた。……答え合わせとするならこんなものだ。ほかに聞きたいことは?』
「……なぜ、を聞いていません」
『なぜ殺したか、はもう言っただろう』
「……?」
『使命のためだ。私の世界に有機体と濁る魂は不要だ。そして、私に代わる立派な神様になって貰わないといけないからね、スミレ』
一通り説明し終えたところでちょうど花弁が切れた。彼女は、また新しい花を探そうとスミレの身体を動かそうとする。しかし、身体はいうことを聞かず、手持ち無沙汰のまま動かなかった。
「まだです」
『それは質問かな?』
「まだエタとの約束を果たしていません」
それはスミレを狭き世界から解き放った希望の言葉。自身の終焉を求めるための自由の契約。そして、互いを信じ合い支えあう心身の約束。
『元の場所で殺してもらう、か……』
彼女はため息をつく。その息は漏れることなくスミレが呑みこんだ。
『スミレ。君は昔から頑固なところがあったけど、今回は承諾できかねるな。その約束を叶えさせるわけにはいかないし、第一、約束相手はどこにいる?』
「私の目の前に」
『それはいずれ土塊になる物体だ。それとも死体と飯事でもしていたのかい?』
「いいえ、彼は生きています」
『それはない、私が殺したからね。現にこの男は息をしていないし、魂だってそこにある。彼もこの世界の幽霊として受容されたんだ』
「……でしたら、私がエタを生き返らせます」
空気が歪み、彼女の目の色が変わる。
『――本当か?――』
「確信は無いですが、やり方は分かります」
『本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当か?』
「……はい」
まるで別人のように食いつく彼女の様子を見てスミレは少し後悔する、がそうも言ってられない。スミレにはエタがいないとだめなのだ。
ひたすらに問いただしてきた彼女は、返事を聞くとクスクスと気味が悪く笑い出す。
『そうか、スミレ、神の力を自覚したのか! いいぞ、ハハッ、よくやった! あの男と接触したからか? そうなのか!? 華が咲いたのか?』
はな? 何を言っているのだろう? 彼女は変に上機嫌になる。まるで悲願が叶ったような振舞いだ。
「でも、約束があります!」
『なんでも聴こう!』
「私の意識があるときに、私を含めてこの世界に干渉しないでください」
『それは、君が死ぬときもか?』
スミレは静かにうなずく。
彼女は少考の後、返答をする。
『ダメだ』
「何でも聞くって言ったじゃないですか!」
『君に死なれると本末転倒だ』
「じゃあ、この話はなしと言うことで!」
『ま、待て、少し考えさせろ!』
「少しですよ?」
彼女はスミレの提案に思索を広げた。スミレはその様子を感じてニコニコしながら、小さな黄色い花を撫でる。
『……何がおかしい』
「いえ、あなたのそんな慌てる姿を初めて見たので、嬉しいんです」
彼女は見た目相応の焦燥を見せたことを少し恥じた。
『私からも条件がある』
2分ほど経って彼女が口火を切った。
『この世界にはあの男のように、不浄な幽霊を成仏させている人間が何人かいる。そいつらを未練がない形で全て始末してくれ。未練や不浄が残っていると、巖咲のような怨霊になってしまうからな』
「つまり、今のエタのように心残りをなくした状態で霊媒師さんを全員殺せばいいんですね?」
思えばエタはどこか満ち足りた表情をしていた。確かに、蹲っている魂は落ち着いた色をしている。
『ああ。その条件を守る限り、私も手出しはしない』
「約束ですよ?」
『契約だ』
スミレは右手、彼女は左手を出し指切りげんまんを行う。
「指切った!」
『……では頼んだ。きっと彼は覚えていない』
一つの身体で約束をした彼女は、スミレの意識の裏側へと沈んでいく。水面に物体を落として発生する泡のように大きな波紋がうねり、やがて小さな水泡が表象へ浮かんでくる。
「……ようし!!」
世界が自分一人になって活を入れる。両の頬をパチンとたたき、正座に変えて未だに時が止まっている男の右手をそっと握る。
スミレは深呼吸を置き、目を瞑って意識を集中させる。彼女が沈んでいった裏ではない、淵く、昏く、靜かな領域へ――。