勝者は?
ここはどこだ? ああ、そうか夢の中か。いや? 天国か? それとも地獄か?
まあどちらにしてもおれは寝ているんだな。試合はどうなった? おれは縁忠に勝てたのか?
(日野陽助)
と目の前に現れたのは、白銀の毛並みを持つ大きな犬だった。その瞳は深い青色で、おれをじっと見つめている。その存在感はただの犬とは思えず、どこか神秘的で威厳すら感じさせた。
(ベアトリクス……なのか?)とおれは思わず問いかけた。
(わたしはベアトリクス――貴様の中に宿る犬因子の具現だ)
(そうか……それでおれは勝てたのか?)
(勝敗など些事)
(いやいや、些事じゃねえよ。おれは――)
(――勝ちたかった、とでも言うのか? 己の力の制御もできないのに?)
(…………)おれは何も言えなかった。
ベアトリクスは少し困ったように頭を傾げると、ゆっくりと歩み寄り、おれの前に座った。そして、大きな前足をそっと持ち上げておれの胸に置いた。
(今のままでは、いずれその力に飲まれるだろう)
(飲まれる……)
(あの暴走を使い続ければ、お前自身の存在が消え失せる可能性すらある)
おれの胸に置かれた前足から、不思議な暖かさが伝わってくる。けれど、それと同時に言葉の重さにおれは震えた。
(どうすりゃいいんだ?)
(答えは己で見つけろ)
己で……そんな簡単に見つけられるはずないだろ。おれは現代人だ、答えが用意されているこの現代社会で己で見つけることなんてないだろ。
(己で見つけろ……って簡単に言うけどよ。おれは答えを探すより、検索窓に打ち込むほうが得意なんだよ。現代人なめんなよ)
おれの言葉に、ベアトリクスは鼻先でふっと笑ったように見えた。その白銀の毛並みが揺れるたび、どこか冷やかしとも取れる余裕を感じる。
(答えを探すのではない。答えはお前自身の中に既に存在している。お前が見つけるのは、その答えを引き出す方法だ)
(お前さ、それ何? かっこいいこと言ったつもりか? おれには難しすぎて意味が分かんねぇよ)
そう言い返すものの、内心ではわかっている。ベアトリクスの言うことが正しいってことくらい。今の自分じゃ、この力を使いこなすどころか、暴走を止めることすらできない。実際、あの試合で力に飲まれたおれは、ただ暴れるだけの存在になってしまっていた。
(はぁ……)夢の中でもため息は出るらしい。
ベアトリクスはその青い瞳を細めた。まるで、おれの覚悟を試すように。
(覚悟を持て。力を制御するのは一朝一夕では叶わぬ。だが、お前にはその資格がある)
(資格……おれに?)
(然り。お前が持つ「弱さ」こそが資格だ。己の弱さを知る者だけが、本当の強さを手にすることができる)
弱さ。おれの弱さ。陰キャだって笑われてきた過去。みんなとうまく話せず、逃げてばかりだったおれ。だけど、その弱さを受け入れることで、おれは今日ここまで来た。だから……
(弱さを知るってのは、強くなるためのスタートってことか)
(お前自身が比渡ヒトリに託された力と向き合い、それを受け入れる覚悟を持たねばならぬ)
ベアトリクスはゆっくりと立ち上がり、振り返って歩き始める。そして、おれに振り返りながら、低く響く声で言った。
(目覚めよ。そこに答えがある)
その言葉を最後に、ベアトリクスの姿は白い光となって消えていった。そして、おれの視界もまた白に染まり――
――おれは目を開けた。知らない天井だ。
おれはぼんやりと天井を見上げ続けた。目が覚めたというのに、現実感が薄い。夢の中のベアトリクスの言葉が、まだ耳の奥で響いている気がする。
おれの手が温かい。
と、自分の手を見てみれば、比渡がおれの右手を握っていた。どうやら眠っているようだ。
なに? もしかしておれのこと好きなの? 普通おれみたいなキモイ陰キャの手なんて握りたくないと思うんだけど。
「起きたか、日野陽助」
「あ?」
今の余韻に浸るおれの邪魔をしないでくれ。と、隣を見れば、おれの隣のベッドには縁忠が横たわっていた。
ここは保健室か。
「ボロボロじゃねぇか……お前、どうした?」
「お前もな」
と、カラダを動かそうとしたおれだが、動かない。
「……そうか、悪かったな」
「ふっ、謝る必要はない。おれに謝るより先にヒトリに謝れ」
なにを謝る? あ、そうか、おれ負けたのか。
「ああ、起きたら謝る予定だ」
「ヒトリが飼い主だとしても、そこまで心配してくれる飼い主はなかなかいないぞ」
そっちか。比渡はおれなんかを心配してたのか。悪かったな比渡。
比渡は、おれの右手を握り続けたまま、ふにゃふにゃと寝言を漏らしている。その顔はどこか安堵したようでもあり、疲れ切っているようでもある。
「お前がどう思ってるか知らないが、ヒトリはお前のことを本気で大切に思ってる。だから……自分を見くびるな、日野陽助」
ここで説教かよ、後で飼い主に説教されるからお前には説教されたくないんだよ。
「……それで、試合ではどうだったんだ?」
意図せず、話題を変えようとする自分がいた。
「……」
縁忠は少し沈黙した後、言葉を選ぶようにゆっくり話し始めた。
「力だけで言えば、お前は十分だった。だが……制御が利かなくなった瞬間から、闘いじゃなくただの暴走だった。それが結果として、試合をうやむやにした」
「そうか」
言葉の端々に、縁忠の優しさと厳しさが混じっているのを感じた。それが逆に、自分の不甲斐なさを突きつけてくる。
「お前に足りないのは強さじゃない。覚悟だ」
起き上がる縁忠は真っ直ぐおれを見据えた。その視線がやけに重い。
「覚悟ねぇ……」
夢の中でベアトリクスが言っていた言葉と重なる。
「そうだ。力を持つ者には、それを使いこなす覚悟が必要だ。でなければ――」
縁忠が言葉を続けようとしたそのとき、比渡がむくりと起き上がった。
「日野君……目が覚めたのね」
「比渡……悪かった」
「え?」と比渡は目をぱちぱちさせた。たぶん、今の「悪かった」が何を意味するのかわからないんだろう。
「おれが力に飲まれたことだよ。おれが自分の力をちゃんと制御できてなかったせいだ。ほんと、ごめん」
おれは少し自嘲気味に言葉を続けた。
「いいのよ、あなたは頑張ったわ」
と、比渡はおれの頭をなでてくれた。
「おれは今回の試合で弱いって分かった」
「あなたは弱くないわよ」
「でも――」
「――でもじゃないわ。自分の弱さを知って、それを乗り越えようとしてる時点で、日野君は強いのよ。少なくともわたしはそう思う」
その言葉が、胸に染みた。
「……ありがとな、比渡」
おれはまた瞼を閉じた。
比渡の優しい声と手の温もりが、どこか救いのように感じられた。試合に負けたという事実も、暴走してしまった自分への嫌悪感も、少しずつ薄れていくようだった。弱さを知り、それを乗り越える――そんな簡単なことじゃない。でも、比渡の言葉が、おれにほんの少しだけ希望を灯してくれた気がする。
数日後、
回復したおれは自分で半壊させたアリーナを見つめていた。
「あなたと縁忠のせいで個人戦は中止になったらしいわ」
「そんな刺々しく言わなくてもいいだろ」
「でも、今回の試合であなたの注目度は上がったわ」
注目度か。誰が制御できない力を欲しがるんだか分からねぇけど、注目されているのはまぁいいことにしておこう。
「比渡」
「何かしら?」
「おれは最強になる。その時、もし道を間違えることがあれば、おれをぶん殴ってくれ」
「ええ、ぶん殴ってあげる」
比渡はそう言って優しく微笑んだ。
その笑顔が、おれの心に火をつける。自分の力を試してみたくなった。ただ暴れるためじゃなくて、それをどう使うかを考えるために。
「最強の青春王におれはなる!」
――この物語は、卑屈で陰キャな一人の少年が最強の青春王になる物語だ。
第一部完




