犬屋敷当主の息子
「……化物かよ」
観客席からは、誰もがそう呟くほどに、Sクラスの強さは群を抜いていた。
おれと比渡は黙ってその光景を見ていた。
「……あれがSクラスか」とおれ。
「分かりやすいわね」
比渡は腕を組みながらそう呟く。彼女の目は冷静だが、どこか燃え上がるような闘志を感じる。
「犬屋敷当主の息子だ。あれくらいの余裕がなくちゃダメだろ」と、観客席の方から聞こえてきた。
犬屋敷当主の息子か……。
「犬屋敷当主の息子だからって手加減できない。どれだけの実績があろうと、それは犬屋敷当主と先代の方々の実績。縁忠が上級の鬼を一人で倒した記録はないわ」
「つまり縁忠は複数の人間で上級の鬼を倒したのか?」
「らしいわ」
「らしいって、比渡も詳しくは知らないのか、てか何歳のころの話だ?」
「彼が十二の時ね」
まじか……十二の時に上級の鬼を倒す経験してんのかよ。
「御家がすごいと異常な期待が寄せられるんだな」
「犬屋敷の当主の息子――彼はそう言われるのを嫌がっているわ」
八坂縁忠は特に勝利を誇るわけでもなく、自然体でアリーナから去っていく。彼にとってこの試合は、ただの「通過点」に過ぎないようだった。
「八坂縁忠か……」
「あら、注目されているのはあなたも同じよ」
あ? おれも同じ?
と、おれが観客席の方に聞き耳を立てれば、
「Sクラスにすごいのがいるって毎年のことだ。それよりFクラスにいるだろ?」
「ああ、日野陽助だろ?」
「そうそう、そいつがどう八坂様の息子とやりあうか楽しみだろ」
え? なんかおれ、観客に注目されている? どうして?
「超人型、それもベアトリクスの犬因子に打ち勝ったあなたは見過ごせないのよ」
「ベアトリクスの犬因子、それってそんなにすごかったのか」
「もちろん、わたしと一緒に育った犬だもの」
「そういえば、ベアトリクスって――」
「――そんなことより、次の試合はわたしたちなんだから移動よ」
おれがベアトリクスのことを訊こうとしたところで比渡は移動を始めた。
まあ、後でいいか。今はEクラスとの試合に集中しよう。
おれが次の試合のことを考えながら移動していると、縁忠がおれの目の前に現れた。
「おっす……」
おれが挨拶すれば、縁忠はニコリと笑顔を作り、
「日野陽助、君はおれを普通の目で見てくるんだな」
「あ?」
そりゃあ普通の目で見ているさ、目つきが悪いって言われるくらいに普通も普通。あぁ、どうしておれの両親はおれの腐った目をもう少し優しい目にして産んでくれなかったんだ……。
「犬屋敷当主の息子。おれはそう言われて育った」
「おお、そうか」
「おれ的に、君のその接し方には好意を持てる。唯や良乃やヒトリと同じ目でおれを見てくれるからだ」
なんだ? おれの目ってそんなに悪くない? こいついいやつすぎるだろ。
「あんたも苦労してるんだな」
「苦労か……確かにそうなのかもしれない。造化鬼神を見つけ出して倒す、それがおれの一族の目的だからね。観客からは異常な期待を寄せている」
「一人じゃどうにもできないだろ」
「ああ、その通りだ。だから期待に応えられないまま二千の年を数えた。いまだに鬼は発生し続けている。忠実な犬のように、鬼を狩り続けている」
「そんな自分の一族のこと語る前に、おれたちFクラスとの試合に備えろよ」
「Eクラス相手は余裕か?」
「Sクラスにあれだけ余裕見せられたからな、Eクラスはおれ一人でやってもいいけど、正直言って体力は温存したい」
「そうか……」
「まあ、あんたの余裕をぶっ壊すのはFクラスってことだ」
じゃあな、とおれはその場を去ろうとすれば、
「日野陽助」縁忠に呼び止められた。
おれは振り返ると、
「君がいるおかげか分からないが、昔よりヒトリは明るくなった」
「あ?」
比渡が明るくなった? それはおれのおかげではないだろ。Fクラスの秋や実凪のおかげだろ。
「鬼因子……というのを聞いたことあるか?」
鬼因子? なんだそれ。犬の他に因子があるのか?
「いいや、ないね」
「そうか……『桃太郎』を読んだことはあるか?」
「まあ、日本に生まれたら聞いたことくらいあるだろ」
「犬、猿、雉。このセカイには三つの派閥がある」
「それって、犬因子、猿因子、雉因子がこの世にあるってことか?」
縁忠は静かに頷く。
「派閥ってことは犬と猿と雉は仲良くないんだな」
「そうかもしれない。派閥については詳しくはないんだ」
「だったらこの話はなんだ? ただ桃太郎を語り合おうってことか?」
「いいや、疑問が生まれたんだ」
「『桃から生まれたのはなんだ?』という疑問だ。桃から生まれたのはただの人間か? 鬼神なのか?」
「何を言いたい?」
「桃太郎とは、ただの人間に育てられた鬼ではないのかと思っただけだ」
まあ、普通の人間には鬼を倒す力なんてないだろうな。
おれは犬因子が投与されるまでは普通の人間だったし、普通の人間には鬼なんて倒せないだろうな。
「鬼は死ぬ間際に憎悪の言葉を口にする――『人間は許さない』や『鬼の一族の恨みを知れ』などと、鬼は人間を憎んでいる」
「どうして鬼が人間を憎むか知っているのか?」
「いいや、おれが持っているのは豊かな想像力くらいでしかない――ただ」と縁忠は言って、「どれだけ願おうと鬼は人間には戻れないということだ」
「戻れない?」
「同族を憎むやつは鬼だ。だからおれは、鬼を殺しつくしてやる」
縁忠の目には憎しみが宿っていた。どんな矛盾をはらんでいようと、鬼となった者には容赦しないと言っているようだった。
おれは息を吞むことしかできなかった。
「じゃあ、決勝で会おう」
と縁忠は去っていった。




