2022年3月8日「コトと役所」
「コトちゃんこんにちは」
役所の受付にも見知った島民だった人が多くいた。彼らは正規の職員ではないものの、作業着を着ているその理由がわかる大人がいてくれる。それだけで身をつまされる思いにならずに済む。
「こんにちは。戸籍附票を頂きたいのですが」
待ち時間に記入した紙の上に、控えめに健康保険書を添えて渡す。
受付の女性が本人確認証を手にし、まじまじと手に取ってつぶさに見る。この時ほど、コトは生きた心地がしなかった。ばれたらどうしよう、時計の短針が進む音が異様に遅い。
「この前、ここの役所で照明写真撮ってたわね」
「え、ええ」
いつ見ていたんだろうと驚いたが、急に作って怪しまれたのだろうか。働き始めたのが二年も前だから、怪しまれただろうか。
「うん、お返ししますね」
両手で保険証を受け取り、肩の荷が下りる。ぞんざいにポケットに入れるのを、女性は見逃さなかった。
「あらあら、大事なものなんだからなくしちゃだめよ」
「は、はい」
偽物だと気づかれたのかと思った。もう二度とこの健康保険証は使いたくないとため息をついてると、女性が再び申請書と受付のPCを見ながら尋ねてきた。
「本籍地も合ってます。お母さん、まだ帰ってきてないの」
最後の方は囁き声だったが、探りを入れているわけでもなく心配している様子が伺えた。
「もし、近くで見かけたら心配してるって言ってください」
女性は悲しそうな顔をする。
「職場も薄情よね。従業員がひとり蒸発したっていうのに」
どこか恨みがましい声音に、他に理由があるのかと思ったが詮索はしなかった。
コトは受付の待機椅子に座ろうとしたが、席に人が座れるところなどなかった。普段区役所に行くことなどないコトだが、島民以外にも研究所の付近に店を構えにきた見知らぬ人たちがいる。陸地の人たちだろうか。
「区役所ってそんな人混むんだ」
なにやら特別ブースと銘打たれた箇所に常に人がいる。苛立たしげな訪庁者の声が印象的でいい気はしなかった。
コトはおもむろにポケットに手を突っ込み、何かに当たったと思い取り出すと、封筒が出てきた。ふと封筒のことを思い出して外のポストに行く。投函しようとしたが、書かれている宛先に目がいった。
労働管理局、美しい字で書かれたその筆跡は間違いなく班長の字だ。
「お前の不注意が周りに大きく迷惑をかけることをもっと自覚したほうがいい」
手を離そうとしたとき、出口のドリーの言葉が脳内で木霊する。コトがドリーに苦手意識を持つのはぶっきらぼうな点以外にも、じっとこちらを見据える目と聞き逃せない言葉を使ってくることだった。
班長は厳しい人だが、大変世話になり優しさも持ち合わせた良い人だ。だが、この封書についてはなにも言わなかった。この封筒は労働管理局に届いて、どうなる。組織の不利益になるのか。組織がもし被害を被ったら、明日からどうやって生きていけばいい。
変化は恐ろしい。
コトは手を引っ込め、思わず封を開こうとしたがそれも叶わなかった。ひとまず考えようと、とぼとぼと区役所に戻っていった。