2022年3月8日「ミツハとコト」
ミツハは面白いやつだった。
最初は研究所で喚き散らして迷惑な奴だ、さっさと帰ってもらおうと思った。どもる乾学生の代わりに外に連れ出した。
運搬した装置を乾学生に渡し、外の店で何か食べながら話そうと持ち掛けると。
「え、いいの」
ミツハは若干涙を浮かべながら答え、腹の音が大きくなった。
見た目はズボンにシャツと簡素だが、少しすえた匂いがしたので何か事情があるのかもしれない。
コトはミツハを知り合いが働いている店に行った。
「なにか腹ごなしに食べなよ。いろいろあるよ」
人ごみを前に、ミツハは浮かない顔だ。
「待って、やっぱいい。あたしお金もってないから」
言い淀むミツハを見ていると、初めて陸地に運搬作業をしたことを思い出した。コトは近くのベンチで待つよう言った。そして、コトはいくつかある店の中で、人がなるべくすいている所を選んだ。
「おっちゃん、ほっとドックひとつ」
あいよ、と太い腕から小さな商品が渡される。
「あい、500円」
「え、これで」
「仕入代がかかるんだよ。嫌なら他をあたるんだな」
コトがポケットからじゃらじゃらと小銭を引き出している間、店主が一連の二人の動きを見ていたのかミツハを盗み見る。
「はい、おっちゃん」
汚れた手から硬貨が渡される。そして、ホットドックを受け取ったコトの前にソフトクリームが出された。
「頼んでないよ」
「友達と食いな」
コトは礼を言い去っていった。店主は島で営んでいた時のソフトクリーム機に再びカバーをかける。
ミツハの横に座った。肘に挟んでいたホットドックを渡し、両手で掴んでいたソフトクリームのひとつを食べ始める。
「本当にいいの」
「おまけでソフトクリームも貰ったし。貸し一つね」
ミツハはためらっていたが、一口かじるとそのまま勢いが止まらずあっという間に食らいつくした。コトは半分笑いながら、ソフトクリームを渡す。
「アイスは急いで食べちゃダメだよ」
言ったそばから猛烈な勢いで食べ始めたが、やがて三叉神経が冷却されて痛みで眉間を抑える。
「いてててて」
「言わんこっちゃない」
ミツハは照れ隠しに笑う。
「ありがとう。お金は絶対返すよ。あの、名前教えて」
「コト」
ソフトクリームをなめると牛乳の甘みが舌を潤した。母や島民がまだいたときは、母の仕事帰りを待つときによく駄菓子屋のベンチを使った。あの店主はいまはすっかりホットドック屋だが、いまでも昔の道具を大事に使っているのだろう。
それからはすぐに仲良くなった。互いに同じ十四歳、コトはフミ以外の気やすい友人はいなかったので時間を忘れて話に没頭した。何が好きか、歩いてここまで来たとか、訪れる人間をこっそり見てどこの学校かとか。他愛ないことを楽しんだ。
やがて、ミツハから話題の核心に触れ始める。
「コトって仕事してるの。いいなあ」
仕事をしているのを良いと言われたことはなかったので、思わず内心で喜んでしまう。
「ミツハの言ってた裏バイトってさ、なに」
「雨吞研究所で出来るって聞いたの」
「地元じゃダメなの」
ミツハの意志の強い目がきっと光る。
「絶対ダメ」
有無を言わせぬ物言いに身を引くと、ミツハも感じ取ったのか頬をかいた。
「うちの地元、遺伝子カスタム済みじゃないと働ける場所ないの。特に見た目がね」
遺伝子カスタムは、受精卵の時点で子供の個体値に変化をつけさせる技術だ。コトたちの時代では遺伝子工学はトレンドで、ミツハが言うには生まれる前の遺伝子操作の有無でこれからの人生は大きく変わるらしい。
「ミツハ美人だから、そんなことしなくてもいいのに」
コトが素直な感想を言うと、ミツハは顔を赤らめる。
「何言ってんの。ふふ、でもありがと」
ミツハは立ち上がり背伸びをした。
「これからどうするの」
「もう一回頼んでみる。さっき会った男のひと、押しに弱そうだったし」
乾学生の温和な顔が浮かぶ。
コトも今日は役所に用事がある。コトは別れを告げると、町の外に出ていった。その後姿を、ミツハはじっと見つめている。