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CHANGE the WORLD  作者: じゅげむ
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2022年3月8日「鈴来老人と工場」

 コトの工場での役割は廃材置き場での分別運搬。そして島外の遺伝子研究所に液体を入れた容器を運ぶ。この二点だけだった。

 班長は「コトにしか頼めない」と言っているのは、この工場での島出身がコトだけだという理由しかない。つまりはそれぐらいしか役に立てないと彼女自身痛感している。

 もし、もう一つ役割があるとするなら。

「遺伝子操作は倫理を破壊する。即刻中止せよ」

 工場の機械音であたりはうるさくなるが、廃材置き場は比較的静かな所為か老人のしゃがれた叫び声が聞こえやすかった。

「コト、朝は起こしてくれて助かったよ」

 廃材置き場でしゃがみ込むイワサは、カートを押すコトに挨拶をする。

「お気になさらず」

「雨呑研究所はすぐさま工場を立ち退け」

 イワサは廃材置き場で分別作業を開始するために、ゆっくりと腕をまくった。

「今から研究所か」

「ええ、まあ」

 いやな気がしたがもう遅い。イワサは声のする方を聞くまいと俯き、静かな凛とした声で頼んだ。

「あの爺さん知り合いだったよな。島の外に出るついでだ、家まで連れ戻してやれ」

「遺伝子操作は反対だ。反対、断固反対」

 小さな体でどこからでてくるんだその声量は。コトはフミ同様、昔とは比べ物にならないくらい険しい剣幕でデモ活動をする老人のもとに渋々近寄った。

「鈴来のじいちゃん」

「馴れ馴れしく話しかけるなこの倫理破綻者ど、も。やあ、コトちゃんじゃないか」

 阿修羅のような剣幕から、近所の気優しい老人の顔に戻る。工場の外でプラカードを掲げる老人は、地元でただ一人立ち退きをしない鈴来老人だ。

 学校を工場として差し替える以前に、コトたちの住んでいた島は過疎化が進んでいた。そして雨呑研究所が土地の権利を買い取り、住民に立ち退きを命じた。しかし、代わりの住宅マンションを島の近くの陸地に建設した。ほとんどの島民が移動したのだが、彼だけは去るどころか猛抗議を一人で続けている。

「じゃないかじゃない。毎日仕事の邪魔をされたら迷惑だって」

「デモとはそういうもんじゃ」

 この鈴来老人には何を言っても無駄なのは経験済みだ。何を言おうが毎朝ケロっとやってきて、スイッチが入ったように抗議を始める。本州に移った息子夫婦が引っ越しを提案しても、出ていこうとしない。

「話聞くから、とりあえず出入口まで行くよ」

 鈴来は肩を落としながらカートを押すコトについていく。静寂が続くが、林道を虫の声が彩ったお陰で苦ではなかった。

「お母さんは見つかったかい」

 打って変わって静かな声に、コトはほっとした。

「今日役所で戸籍附票探すつもりなんだ。やっぱり二年も居ないとね。雨呑研究所の人も探してくれてるけど」

「あいつらは人のコトなんぞどうでも良いんだよ」

 吐き捨てる声音にコトはまた始まったとため息をつく。鈴来老人は胸中を吐き出すように続けた。

「遺伝子工学は人の生活を良くしてるんだってば」

 受け売りの言葉だと鈴来はすぐに気付いた。

「コトちゃんの前で言うのもなんだがの、子供の容姿や能力を生まれる前に決めようなんざ、人間のする行いじゃないんだよ。すべては、天が決めることなんだ」

 コトは自身の鼠色の前髪を拭う。

「まあ、じいちゃんの言いたいこともわかるけど。遺伝子のうちから病気に強い子を作れるんだよ。それってすごくない」

 フミもそうであったなら、今も日に焼けた腕を振り回して元気に走り回っていたかもしれない。

 鈴来老人は再び大きくため息をついた。

「コトちゃんも変に大人びてしまったなあ。工場のやつらの真似か。あいつらはよそ者。しかも研究所の試験病棟出身のやつらばかりなんだから、研究所の肩を持つのは当たり前なんじゃよ。あの工場が来てから水の味も変わってしもうたし」

 鈴来老人はコトが小さい頃から世話になった地元の住人だ。母が仕事で忙しくて寂しかった時、灰色の髪を理由に仲間外れにされた時、彼には何度も元気づけられた。

 ぞんざいに扱いたくはないものの、自分がいま勤めている会社の悪評は聞くに堪えない。身を摘ままれている居心地の悪さを覚える。

 島の唯一の出入り口に着くと、ほっと息をついた。

「ほら。入口までついたから、あとは自分ちに帰るんだよ」

 対岸には陸地が見え、眼前に海が広がる。

 かつてこの島は船でしか行き来できなかったが、研究所が依頼した地下海底トンネルの工事のおかげで徒歩で対岸に行ける。

 見えない陸地の研究所をねめつけつけるが、鈴来老人は深呼吸した。

「仕事は、きつくないか」

 研究所の悪態をついていた口から、優し気な声音が漏れ出す。

「もう二年目だし、慣れたよ」

 いま事故のことを言ったら頭に血が上って工場に引き返すかもな、と考えたが弱弱しく尋ねてくるので口をつぐむ。

「普通なら、遊んで、学んで。青春真っ盛りなのになあ」

 普通、あまりコトには嬉しくない言葉だ。小学校もフミ以外はこの頭髪で仲間外れにされた苦々しい記憶がある。

「気を遣ってくれてありがとう。じいちゃん」

 血のつながりはない、偶然近くに住んでいただけの男性だ。一日の過ごし方やこれまでの生き方は異なるが、互いに孤独を感じる日々に耐えている。他人と共有しにくい孤独を、コトとこの老人は無意識に分け合っていた。

「秋になったら、虫取りでもしよう」

「夏じゃなくて」

「ああ。鈴虫なんかをな、とって窓辺に置くと、ちょっとした音楽になる」

 そのころには、お母さんも帰ってくるだろう。

 叶うかわからない願望を前に、朝日は燦燦と海辺を照らす。

「じゃあ楽しみにしとくよ。記念に日記にも書いとく」

「コトちゃん日記書いとるんかあ。儂も最近物忘れが激しいから始めてみようか」

 鈴来老人に別れを告げ、コトはカートを押して海底トンネルに向かって歩き始めた。

 コトを見送ると鈴来は林道に生えた一本の気に寄り掛かった。そしてなし崩しに体から力が抜ける。荒くなる息と激しい鼓動を抑えるが、いつもの発作よりも長く続いた。

 木々の葉の隙間から差し込む日を見上げる。助けを呼ぶ必要はない、いつも通りに収まると自身に言い聞かせる。

「約束を守らんと、申し訳ない」

 彼の頭の隅で、虫の軽やかな音色が聞こえた気がした。


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