2022年3月28日「コトと伊崎」
朝はいつでもめぐってくる。人の感傷すら押し流し、日がすべてを照らす。
島の白い浜辺に流れ着いたコトは、晴れた輝く水平線を見つめていた。傍に、見た目とは裏腹にあまり重量のない岩の蛇が横たわって寝ている。そんな彼女の傍に、一匹の犬がやってきた。
「まろ、ついてきてたのか」
まろはふて癖れてそっぽをむいた。置いていきやがってとでも言いたげだ。
「コト、無事だったか」
伊崎が走り寄ってコトの肩を抱く。そしてまろの背もそっと撫でた。
「おっと、所長は無事なの」
安堵の涙をこぼす伊崎の背中を、コトは優しく撫でた。
「あいつは元気だ。良かった、コト。海に落ちるなんて、死んだらどうするんだ」
伊崎の背を撫でながら、コトは彼の手が異様に小さくなっていることに気づく。
「体がまた」
「いいんだ。俺はお前たちの傍にいながら、何もできなかった男だ。最後に君に会えただけでも、いい人生だったと思える」
「思い出したのか、全部」
伊崎は寂しそうに笑った。
「わからない。わからないんだ、でも、君たちの傍にずっといたかった。その気持ちさえあれば海だって渡れる。それだけは覚えているんだ」
朝日の中に消えそうな彼を死なせてはいけない、コトは首を振った。
「乾学生についていけ。そうすれば、辺田の元に辿り着く。あいつ、人手不足だって言ってたろ。悪いようにはしないはずだ」
「せっかく、会えたじゃないか。なんでそんな」
「死ぬより悪いことなんてない。ね、体を治してから会いに来たっていいじゃないか」
コトだってせっかく会えた父に別れを告げたくはない。しかし、コトの力では父母、そしてフミを治すことは到底できない。伊崎も承知している。
「もう二度と会えなくなるかもしれない、そんなの嫌だ」
「戻ってきてくれるんだろ。だったら、ついでにフミや母さんを治せる方法を勉強してきてよ。待ってるから」
伊崎は胸ポケットに隠したノートから写真を取り出す。母と子が写った、なによりも大切なものだ。
「必ず戻ってくる。約束だ。俺は、絶対に忘れない」
朝日が二人と一匹を照らし、やがて浜の影は二つになる。白い浜には、誰にも届かない咽び声が響いた。それを犬はじっと見て、決して傍を離れようとはしない。




