2022年3月28日「作られた命とオリジナル」
雨呑七十周年記念式典が、今こそ開かれるという時だった。中央広場には特設ステージが設けられ、出番目前というのに辺田所長は所長室のテラスで舞台を見下ろしていた。いや、辺田のクローンであるこの男は。
「所長、いま何時だとお思いですか」
事情も知らぬ外山が怒りの形相でテラスに入ってくる。
「外山先生、ほら見てください。あんなに人がいっぱいですよ。実に鬱陶しいと思いませんか」
所長の常識を超えた発言には慣れている外山だが、所長としての責任を果たしていると思っている外山は違和感を覚えた。あまりにも落ち着きすぎている。すべてどうでもいいとでも思っているようだ。
「みなさん、この日を楽しみに来てくださっているんです。ほら、あのスポンサーの方は遺伝子工学に非協力的でした。前代との繋がりを断つおつもりでしたが、病気を遺伝子から治すヤエミの実情を知って関係を続けて下さっています。娘さんがご病気なんですって」
「遺伝子から治す、ね。いい気なもんだ」
突如爆発音が夜に響く。戸惑いの声を上げる周囲の人々とは違い、所長は椅子に腰かけ慌てふためく人々を見て笑ったいた。
「所長、こちらです。非難しましょう」
「君にはいろいろ助けて貰った。ありがとう。遺伝子カスタムをしていない君にとって、世間はとても冷たかったと思う。ここまで努力した君は優秀だ。だから俺からの餞別だ、君には仕掛けた爆弾の位置を教えるよ。無事に逃げおおせてくれたまえ」
外山は困惑した表情だった。今日は無事式典を終え、これからもその日常が淡々と続くとばかり思っていた。所長のサポート、被検体の教師役、望まない役柄ばかりだったが、これが続くとばかり。こんなめでたい日に、爆風とともに消えるなんて。
「辺田、元気そうだな」
呆然と説明を受ける外山が振り返れば、テラスにはコトと伊崎がいた。二人とも険しい表情でのんびり顔の辺田を睨む。
「おや、コトちゃん。それに伊崎くん、いや、色々思い出したのかな。伊崎先生」
伊崎がきっと睨むが、辺田はどこ吹く風だ。
「海外渡航への準備は無事済んだか、所長さん」
伊崎の言葉に辺田は爆発が起きた入り口を振り返る。
「妙に入り口の爆発が早いと思ったんだよ。びっくりしちゃった。君がやったのかな」辺田が伊崎を指し、再び背後で別の施設が爆散した。「でも、ほかの爆弾の制御は無理みたいだったようだ。ざんねんだったね」
「だがもう逃げられないぞ。余裕こいてのんびりしているツケが回ってきたんだ。人を舐め腐るのもいい加減にしな」
コトの言葉に辺田は笑う。
「違うよ。俺は最後まで見たかったんだ。ほら、卵子めがけて突き進む無数の精子の如く、みんな死にたくないと走り回る。こいつらこそ、命を弄んだツケが回ってきたのさ。君ならわかるだろう、同族の君なら。作られた命の君なら」
同族と呼ばれたコトは虫唾が走り、拳を握り締める。コトは怒りを抑えて笑った。
「無事に逃げれたら、明日の朝刊でも見てみるといい。自分の悪行がさらされるその時をな」
辺田の余裕のある顔が曇る。
「何が言いたい」
「タコ殴りにする前に、言っておこうと思って。お前の実験記録は、新聞社にリークしておいた。ざまあみろ」
辺田が眉間に手をやり、コトの目の位置に二本指を向ける。
「誰の差し金だ。リークした奴はここいるか」
コトは口を割らない。しかし、視線が泳ぎ捉えたのは外山だった。すかさず辺田は白衣に隠した銃を取り出して、彼女の腹を撃った。
「先生」
辺田が二人に銃を向ける。
「馬鹿に知識をつけても碌なことはないな。まったく、あんたもあんただ。俺の傍にいながら、俺を欺き続けていたのか」
呻く外山の赤い腹を辺田は踏みつける。コトの怒りで前のめりになった体は、今にも飛び掛かってきそうだった。
「いい加減にしろ。好き放題実験した、あんたが悪い」
「悪いのは人間だ。俺を作った人間と、それを良しとした社会が悪いんだ」辺田の絶叫にコトは身構える。辺田は熱を持った銃口をコトの肩に押し付ける。「辺田、あいつは俺を作って実験三昧の日々だった。それなのに、いざ三号ができるとすべてを捨てて、良き父を演じることに夢中になった。俺は、与えられた役目を全うし続けた。俺の何が悪いって言うんだ」
彼の気迫に押されつつ、コトは反論する。
「所長のクローンなら、フミを愛する気持ちがわかるんじゃないか」
辺田は鼻で笑い、顔を近づける。
「馬鹿かお前。俺はあいつのすべてを受け継いだ。記憶も経験も。そのすべてが本物だとわかればわかる程に、俺が偽物だと突き付けられる」
「じゃあ、なんでドリーを作ったんだよ」
そこまでクローンの恐ろしさを身に染みてわかっているのなら、自らクローンを作ろうとは思わない。しかし、辺田は鼻で笑う。
「薬品の実験には必要なモルモットだからだよ。片方を差別し、片方を優遇する。その影響下で与える心理的変化がどうヤエミに作用するのか。代用を使って調べたかったが、あいつらはごみだ。だから島に廃棄同然で置いたんだ」
「そんな意味のないこと、よく命を使ってするな」
「意味はあるさ。なんたって、ヤエミはもう島の全域に蔓延しているからな」
ヤエミは、その遺伝子操作の薬品の名前だ。
伊崎が辺田に背後から襲い掛かり、羽交い絞めにする。落ちた銃をコトはすかさず拾い上げた。
「辺田、どういう意味だ。ヤエミが蔓延しているなんて、嘘をつくな」
辺田は大声で笑う。気がふれたのかと思うほどの甲高い声だ。
「喉が渇いたら飲んでしまうだろ。あれだよ」
外山がはっと口を抑える。水だ。海にでも薬品を投下したのか。
「海にでも流したのか、ヤエミを。そんな少量流したところで人間がどうにかなるもんか。よくもそんな馬鹿な真似を」
「じゃあお前の今の状態はどう説明するんだ、え」
押さえつけられながら辺田は笑う。すると、所長室の電話が鳴った。コトはなり続ける電話機に近づいて耳を当てる。
「すいません、いまは取り込み中で」
「あら、若い声。コトさんかしら」
聞き慣れない上品な物言いはとても場違いに感じた。
「誰ですか」
「雨呑の会長ですの。初めまして。所長の辺田に代わってくださるかしら」
「できません。あの、後で伝えておきます。要件を仰ってください」
「そう。ならいいわ。ただ確認したかっただけなの。コトさんもこちらに来て下さるのかしら」
こちら、というからには所長の行先はこの婦人の所なのだろうか。
「いえ、所長から伝わっていると思いますが」
「私の屋敷で、世界が変わっていくのを見ていきませんの。私もどうせ見るのなら、貴方のようなお若い、同じ出生の方とみてみたいと思いましたのに」
聞き返すよりも前に、耳をつんざく大きな音が頭上から響き背後を向いた。テラスには一本の縄はしごが垂れ、ヘリコプターの機体が浮かんでいた。
辺田が立ち上がり伊崎を壁に押し付け引き剥がす。
「伊崎先生、こちらにきませんか。ちょうど手が足りなくてね。貴方だってその体を何とか元に戻したいでしょう」
「よくもそんなことが。稲美さんをあんな目に合わせておいてよくも」
「彼女は諦めろ。あそこまでしっかり変化して、戻るわけがない」
掴みかかる伊崎を避け、辺田は縄はしごを掴む。その時、機内の婦人と目が合うがそのまま空へと消えていってしまった。
戻ってきたコトが伊崎と共に外山を中に運んでソファに寝かせる。
「放っておいて頂戴」
「メモ見ました。あれのお陰です」
コトが外山のパソコンで映像を見た時、同時にパソコン内のメモに気が付いた。新聞社のメールアドレスだけだったが、乾学生に聞けば「これは送れってことだ」と言い、USBの情報を新聞社に送った。
「そう。ありがとう。私には勇気がなくて、嫌なことさせちゃったわ」
「喋ったら血が」
「ここも爆発する」
所長室の医療箱を漁っていた伊崎の手が止まる。
「辺田が言ってたんですか」
外山は力なく頷く。コトは外山の手を握った。
「先生行きましょう。私に、ちゃんと正直に全部見せてくれたお礼がまだです」
伊崎もコトも内心わかっていた。彼女を置いて逃げるのは現実的ではない。それは外山も同じで、自身の本懐を遂げることが出来て満足げだった。
「いいの。私だって研究に関わった。貴方のお母さんだって、ざまあみろって、好き勝手した罰だって、何度思ったか。でも、貴方は何も悪くないからね」
外山の手が最後の力を振り絞って強く、握ってくる。コトの肩を伊崎が抱え、逃げようと急かすたびに拒否した。
「先生、待って」
爆発を知らせる甲高い音が響き、外山が目を見開いて叫ぶ。
「走れ」
コトと伊崎が走り出した数秒後、熱を持った爆風が二人の背中を押して所長室からテラス。そして外へと放り出した。二人はそのまま地面に叩きつけられる前に、大きな肉の壁に阻まれて転がる。
「いやあ、ナイスキャッチ」
そこにいたのは班長、イワサ、乾学生を含めた工場の面々と研究所の数名だった。従業員に連れられたまろも楽しそうに近寄ってくる。
「みなさんどうして」
伊崎が起き上がると、イワサが彼の方に手を置く。
「爆発があるって君たちに教えられたのに、二人が逃げてこないもんだから心配してね。班長はのんびり退職後の休憩してたんだよな、ここで」
班長は泣いているコトを抱きしめ宥めていた。背後の研究所は轟轟と燃え、数度の爆発が起こっている。
「所長はヘリで避難したのか」
「あのまま海外に行ったんだ」
「自分だけ逃げたのか」
「うるさいよ静かにしな」
ざわめく周囲を一喝し、班長はコトの頭を撫でた。その時、島の方で大爆発が起きる。島全土が燃えるんじゃないかと思うほどの火炎に陸地は大慌てだった。
「もうおしまいだ」
乾学生が呟く。コトは班長の胸から飛び出し、海底トンネルに向かった。周りの止める声を背に、そのあとに続いて伊崎も走る。
「伊崎、あんた、ほんとはまだ何も思い出せてないんじゃないか」
核心をついた言葉に伊崎は暗い道を進みながら、重い口を開いた。
「あのノートを見て、たぶん、小さくなる前の俺は忘れないよう未来の俺に宛てたんだと思う。その時の俺も、たぶん正気ではなかったが。どうしても、君に会いたかったんだ」
背後で大きな音がし、トンネルが落ちて二人は間一髪島の所に到着する。遠くの廃工場が燃える島には、警備室でうずくまる男以外いない。
「おいドリーなにしてんだ。島と一緒に燃えちゃうぞ」
「俺はここにいる。ここで死ぬんだ。もう一人の俺もそれを望んでいる」
「出口のお前と、入り口のドリーは違うだろ」
ドリーの目が開く。その時、背後から銃声が聞こえコトは後ろ向きに倒れた。伊崎が駆け寄ろうとしたら、警備室からもう一人の男が現れる。
「動くんじゃねえ」
「八城、お前こんなところにいたのか」
八城はドリーの背に向けていた銃口を伊崎に向ける。警備室から出て、倒れたコトに近づく。
「ここに戻ってくると思ったぜ。お前らの作戦なんざ筒抜けだ。被検体のガキの様子を見に行くんならいけ。ただしお前だけだ。コトは貰う」
「往生際が悪いぞ。こんなところでうだうだしていたら、お互いに不利益だ」
「俺はそれが一番嫌いだ。不利益。雨呑で下っ端してたのも、研究内容を盗みたかっただけだ。なんの成果もなく、俺の二年間が無駄になってたまるか。起きろねずみ」
「相変わらずお喋りだな」
コトは上体を素早く起こして、血液の力で八城の腹を殴って上体をふらつかせ、巴投げをした。見様見真似の柔道技は決まるはずもなく、地面へのダメージがより強く八城に伝わり、彼の手から銃が落ちる。
「滅茶苦茶だな」
伊崎が落ちた銃を拾う。
「ドリー、こいつ呑みこめるか」
蚊帳の外にいたドリーは驚いたが、コトに呼ばれ近寄ってくる。コトに動きを固められた八城は、ドリーの底の知れない蛇の目を見て悲鳴を上げる。
「呑むって、なんだ。こいつはただのごみクローンだろ」
ドリーの眉根がひくりと動く。癪に障ったのだ。
「私たちは先に進む。ドリー助けてよ。お前じゃないとだめなんだ」
すると、ドリーはえずきその小さな口からは想像もできない巨大な肉塊を吐きだした。それは良く見れば裸の、入り口のドリーそのものだった。
「は、吐き出せたんだ」
「いま急にできた」
さらっと言うドリーの顔は、憑き物が落ちたようだった。一方で、八城の声は島中に木霊する。
「やめろ、近づくな化けものめ」
悲痛な声が響き消えると同時に、所長の屋敷から大きな音がした。爆発ではない、それは岩の太い木の幹が屋敷から出てきた音だ。その巨大な幹は、鋭い目をぎょろつかせながら、空へと絶叫を響かせる。まるでおとぎ話の竜そのものだった。




