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CHANGE the WORLD  作者: じゅげむ
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2022年3月28日「雨呑村とクローン」

 雨呑村、もとい研究所がこの土地を買い取ってから七十年のお祝いで、どこもかしこも人でごった返していた。窓の下からでもその浮かれ具合はわかる。

 朝食を終え、同じ病室のイワサが服を着替えていた。カーテンを開けて現れた彼の服装は、見慣れない爽やかな私服姿だった。

「どこ行くの」

「工場に戻るんだ。検査で問題がなかったからね」

 工場が近々畳む件をイワサは知らないのだろう。コトは事実を口にすることはしなかった。

「了解。みんなによろしく言っといてよ」

「コト、昨日何処に行ってたんだ」

 コトは何もといってはぐらかし、イワサは名残惜しそうに病室から連れていかれた。そして再び窓から身を乗り出して、班長と八城のいる部屋に行く。そこには大柄な男しかいなかった。

「班長はどこに」

「帰った。工場には戻らないってよ」

 突然の報告に虚を突かれたが、情報漏洩をした事実を班長は重く受け取ったのだ。あのUSBは父である伊崎が所持していたものだろう。母が危機に陥った状態で、よくそこまで機転の利いた行動が出来たものだと自嘲気味に笑う。

「話があるんです。よろしいですか」

 改まった言い方に、八城はにやりと笑って傍にこいと手招きした。ベッドの台にはリンゴと果物ナイフが置いてある。

「ちょうどリンゴが食いたかったところだ。座れ、むいてやるよ」

「一緒に働く件ですが、お断りさせていただきます」

 上機嫌な八城の声が色をなくす。果物ナイフを握った手を戻し、腕を組んだ。

「辺田のやつから誘いがあったのか。そっちに乗るつもりか」

「まさか。そちらの方も朝、丁重にお断りしました」

 八城は意外な答えだったのか、顎に手を当てる。

「正直もしあいつからも誘いがあったら、俺は蹴られると踏んでいた。お前はどこまでこの研究所のことを知っているんだ」

「ご想像にお任せします」

 八城は私が試験管ベビーだと知っているのだろう。だが、母の件は知らない。恐らく知っているのは、辺田と外山の二人だけだ。

「どっちも蹴るとは馬鹿な奴め。俺は構いやしない。もともと外で俺が一人でやってた商売だ。お前さんは、これからもあの狭い工場で働き詰めの日々を選ぶのか」

「工場も辞めます。区役所に事情を説明して、これからのことを相談しようかと」

 八城の肩がひくと動いた。

「区役所で十四歳は雇ってもらえねえぞ。まあ、お前さんの人生好きにしたらいい。やれるだけやってみろ。ああ、喋って喉が渇く」

 コトが気を遣ってリンゴを剥く。しかし持ち方が頼りなく、切っても皮よりも実の方が多いので、八城は舌打ちしてコトを自身の股の間に座らせた。背後から両手を覆いかぶせ、使い方を教える。

「上手ですね」

「ここに来る前は一人で暮らしていた。一人になりゃあ、大抵のことは自分でできるようになる。お前、教えたら上手にできるな」

 リンゴの皮が皿の上に途切れず落ちていく。八城の両手はコトの手を後ろからしっかりと握って操作していた。

「八城さんは退院したら、その商売を続けられるんですか」

 リンゴを剥く手が止まる。

「お前、馬鹿だって言われねえか」

 聞き返すよりもリンゴが手から離れ、八城の腕がコトの首を背後から締めた。気道を確保するために開いた口に、果物ナイフの切っ先が差し込まれ、口内の壁を寸前のところで止まっている。動けば、口を切り裂かれるのだ。

「あんた、何のつもりだ」

「喋るなって。区役所で事情説明されてみろ、俺が本人確認証偽造したこともばれちまうだろ。お前は俺と一緒に来るしかねえんだ。おい、ベッドの下から資料を取れ」

 本性を現した彼に成す術もなく、コトは手を精いっぱい伸ばして紙の束を取り出した。クリップで留められた資料には、雨呑町の地図が載っている。

「ぁ、痛い」

 微かに血が滲んだ口内に痛みが走る。八城はコトの耳にしーっと息を吹きかけた。

「我慢しろ。叫ぶのもなしだ。今日の夜、七十周年の式典後、雨呑村は唯一の搬入口である道路を爆破し、そのあと施設を爆破する。研究の内容がばれる前に、すべてを闇に葬って海外に逃げる」

 地図を見れば、各所に赤い丸が付けられている。島の地図もあり、ちょうどコトが見た廃工場があった位置にも丸が書いていた。あのドラム缶の山は、爆薬だったのか。

「これを見て、まだ工場に戻りたいって言うなら止めはしないが。その代わり区役所への相談は明日にしてくれよ。その頃にはすべてが終わってる」

「お前が仕掛けたのか」

「馬鹿言うな。こんな金ばかりかかってリターンのないこと、俺がするか。俺はただのディーラーだ。お前もな、外に連れだしゃあ高額で売れる。ヒット商品の匂いがプンプンする。大事にするぜ」

 八城の鼻がコトのつむじをつついた。

「私を売るのが目的だったのか」

「本当だったら、今日最後の夜の仕事にも連れていって、そのまま商売仲間として扱うつもりだったさ。ミツハって下っ端もいる。コト、今だったら心変わりも受け入れてやる。許してと言えばな」

 コトは我慢ならないと八城の腕をひっかき、その血を舌で舐めて力いっぱい八城をベッドに縫い付けた。果物ナイフが宙を舞い、コトの腕には驚異的な力が宿る。

「ぺらぺらとお喋り蝙蝠が。観念しろ」

 八城は形成逆転され慌てふためく。

「さっきのは冗談だよ」

「お前の趣味の悪い冗談は聞き飽きた。爆破を考えているのは、辺田か」

「そうだ。奴め、長い付き合いの俺も巻き込んで、全員爆死させるつもりだ。まったくひどい奴だよなあ」

「なぜおまえは知っている」

「下種のやり方は下種がよく知ってる。この研究所はもうだめだ。誰も辺田のやり方にはついてこない。わざとリークしているおもらし野郎がいるんだよ」

「辺田のミスは、お前みたいな口の軽い奴ばかりを雇ったのことだな」

 コトは八城の耳に顔を近づけると、思い切り嚙みついた。強化された顎はなんなく耳の肉を剥ぎ、血が溢れ啜る。

「ぎゃああ、いてえ、やめろ」

 八城の手が痛みに藻掻くが、手首を押さえつけられ動くこともできない。足で歯向かおうとコトの体を蹴っても、びくともしなかった。

「血をよこせ。お前の血は価値がある。それで今までのことをチャラにしてやるんだ、いい話だろう」

 八城は自身の血が急激に減っていくのを感じた。この子供は、人間が一度に採血していい限度をしっているのか。知っていたとしても、今までの恨み辛みで殺しにかかっている可能性もある。八城は耳から自身の死が近づいている恐怖に慄く。

「助けてくれ、頼む。悪かった。許してくれ」

「なら、その最後の仕事の場所を教えろ」

「む、村を出て、すぐ近くの駐車場の奥の林」

 コトは最後にひと吸いし、八城の首筋に垂れた血を舐めて顔を離した。八城の顔は真っ青になり、呼吸も浅い。目も虚ろな彼の口に切ったリンゴを押し込んだ。

「ミツハのことが心配だ。私も連れていけ。返事」

「は、はい」

 コトはそう言い残し、部屋を出て重症患者の多い暗い病棟に走った。患者たちのうめき声が聞こえてくる。

「フミ、どこにいるの」

 大声で話しかけても誰も答えない。うめき声がひしめく廊下で、ひと際大きな男の声が響いた。すかさずその個室に行くと、ベッドで眠るフミがいる。その胸には、空の注射器が突き立てられていた。

 傍に立っていた辺田所長を突き飛ばし、注射器を抜く。

「フミ、目を開けて」

 反応はない。眠っているようで、少しおぞ気がした。

「やあ、さっきぶりだね」

 辺田の声がし、突き飛ばしへたり込む男を見やる。しかし彼の服は破られ、一方的に暴力を受けた様子だった。コトはおかしいと思い、今度は声がした反対の方向を見る。そこにも、辺田はいた。

「辺田が二人、いや、クローンか」

「ご明察だ。ドリーを作ったのと同じ技術さ。俺よ、コトを見習って気が利くようになれよ」

「どういうことだよ、所長」

 項垂れている辺田と、せせら笑う辺田。同じ顔つきだが、仕草や性格がまるっきり違った。所長、と言われた辺田はしぶしぶと口を開く。

「すまない。全部私が悪いんだ。彼は、私が研究アシスタント用に製作した。私をそのまま生き映した、クローンだ」

 コトはフミをひっしと抱えながら、所長である辺田の話に耳を傾けた。

 ことの始まりは辺田が雨呑研究所の所長に任命された頃。遺伝子操作薬品の開発研究のため、早く成果を上げる必要があった。そのために、辺田は研究能率を上げるために自身のクローンを作成し、一日中休みなしで研究に防没頭し成果を上げることに成功したそうだ。

「それ、みんなご存じなんですか」

 所長は首を振り、代わりに辺田のクローンが答えた。

「研究のためとはいえ、私用で装置を使ってクローンを作ったことがばれてみろ。クビどころじゃない。倫理規範に触れる。こいつは黙って私を作って利用し、挙句の果てに全責任を私に押し付けて、三号と共に島に引きこもった臆病者だ」

「フミを三号なんて言うな!」

 所長とクローンがつかみ合いになるが、何分働いていたクローンの方が腕力も強く押し負けてしまう。

「お前は愚かだ。研究のために俺を作ったのに、なぜ自分は研究を辞めてしまった。わざわざ三号をリウマチにしたのに、薬品をなぜ投与できないままこいつを研究所に連れてきた」

 コトは信じられないという目で所長を見たが、所長にはクローンしか見えていないのだろう。

「フミを助けたかった。私の研究は間違っていたんだ」

 クローンはわなわなと震え、踵を返して個室を出た。残った二人は彼の後を追わず、所長がフミに触れるのをコトは拒む。

「あんた、信じられない」

 フミは父の研究を信じていたのに、そのすべてを裏切った。信頼は、隠された真実の陰に成り立っていたのだ。最初から彼が正直に打ち明けていればと、思わざる負えない。

「すまない。言い訳はできない。私は研究のために恐ろしいことをしでかした。ただ、今は本当にフミを愛している。本当の、娘だ」

 所長の手がフミの開かない瞼に触れる。その時、指先がひくりと反応した。

「生きてる。所長、一旦島に戻ってフミを診てやって。早くしないと、雨呑は爆発するんだ」

所長が怪訝な顔をする。

「なんでそんな、あいつが仕組んだのか」

「海外に逃げる前に全てを終わらせる気だ。あのイカれた男ならやるに決まっている。ああ、あんたのクローンなんだったっけ」

 自分の生き写しを侮蔑したら、それは本人にも該当するだろう。気まずそうなコトに所長は気にするなと手を振った。

「私の浅慮が招いた結果だ。すまない。野中先生も、きっとこんな私を見て不審に思い研究所を去ったのかもしれない」

「あんた、本当になにも知らないんだな」

 コトはフミの穏やかな寝顔を見やり、所長に預けた。そして個室を去り、再び薄暗い病棟の中に消えていく。


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