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CHANGE the WORLD  作者: じゅげむ
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2022年3月27日「コトとまろ」

その夜、コトはとぼとぼと病室に戻りパソコンを開こうとした。

「なにをしている」

イワサは耳がいい。カーテンの仕切り越しにも微かな音がわかる。コトは気を使い、外に出て裏口のまろの場所に来た。

「よ、まろ。静かにしてて」

草むらに隠れ、パソコンを起動してUSBを指した。そこにある映像ファイルが起動する。

映像として現れたのは、あの検査室。被検体台に寝ているのは、紛れもない母だった。その対面に椅子で括り付けられているのは、伊崎ヨシヲだ。

「何故こんなことをするんです。所長」

伊崎が悲痛な声をあげても、所長は注射器の準備に集中していた。

「この研究内容を外部に漏らそうとしたんだ。わかってほしい」

「外山先生、どうか」

伊崎の視線がこちらに向く。カメラを撮っているのは外山なのだ。

「こんな研究、もうやめましょう。外部の人間に私たちを裁いてもらうしか、止める方法はありません。貴方だって、本当にこれが正しいと思ってるんですか」

母の声は凛と落ち着いていた。

所長は首を捻り、注射の針を母の腕に宛がった。

「伊崎先生、君はプロジェクトの参加者ではないのに遺伝子を提供しましたね。二人の遺伝子で作られたのが、五号です。その責任をわかっていますか。その事実を隠蔽しましたね」

「注射器を置いて下さい。コトのことはいずれ言おうと」

「子供じみたことは言っちゃあいけませんよ。秘検体に担当者は一組。相手の遺伝子は本部から厳選されたものを使用する。それはご存じでしょう。前提が崩壊してしまったら、その個体はプロジェクトから外さなければいけない」

「コトは関係ないんです。どうか命だけは」

 物騒な母の言い方に所長は冷静だった。人間の姿をした冷酷な化け物のように、コトの目には映った。

「それはあなた方の態度次第です。情報を抜き取った媒体はどこに」

「この人は関係ないの」

「シラを切らないでいただきたい」

「俺が持ってます。研究室の引き出しにあるUSBです」

 伊崎が項垂れ、検査台に縛り付けられた母と視線が交わされる。

「素晴らしい。では」

 所長は顔色一つ変えずに注射器の中の薬品を注入した。伊崎が怒りの表情で暴れるものだから、体ごと椅子が床に叩きつけられる。

「辺田、おまえ、約束が違うじゃないか」

「破ったのは先にそちら側では」

 母の体は大袈裟にぶるぶると震え始め、絶叫を上げたと思うと四肢と頭が胸に集約していった。風船のように縮こまり、検査台に残ったのは一匹の犬だ。

「い、稲美さん」

「これがヤエミの威力だ。強靭だろ。人類の進化を促す薬だ。その代償に遺伝子の退化現象が起こる。耐えられない個体は、こうやって遺伝子情報によって人間ではなくなる可能性があるんだ。彼女は死亡せず、かといって中途半端に変化しなかったから幸運だよ。だから開発を重ねないと世論に潰されかねない。失敗にも金がかかるんだ。わかったなら、これからも研究に従事してくれたまえ」

 カメラが揺れている。手前の方から先生と呼ぶ声がした。

「伊崎先生を早く医務室へ」

 外山の声に所長が彼を見ると、意識を失っていた。所長はしょうがないなあと他人事で頭をかく。

「試験病棟に連れて行きなさい。一度頓挫した、心理状態によるヤエミの作用を検証してみたい」

「そんなこと言ってる場合ですか。こんな、同僚を実験に使うような真似」

「クローンや見知らぬ子だったら、実験に使ってもいいのかい」

 外山が息をのむ。ここで映像は止まり、画面が停止した。

 コトはパソコンを胸の前でひしと抱え、荒くなる息を抑えるが空気がいやに冷たい。今見た内容が頭の中で繰り返し回る。母の絶叫が頭から離れない。

 あうんと、背後でまろが小さく鳴いた。コトは緊張と恐怖で震える瞳で、目の前の柴犬の方を振り返る。そういえばこの犬が現れたのは、二年前だ。この犬が。

 コトはいてもたってもいられなくなり、試験病棟の裏山の林へ走って行った。まろは首輪を力技で外し、闇に消える彼女を後ろから追う。

 コトは虫の音でうるさい山の中で、心音しか聞こえなかった。胸のパソコンを使って再度確認するまでもない。脳裏に焼き付いた親の凄惨な景色が忘れられない。誰もいない山の中で叫びたいが、喉がつっかえてかすれた声しか出なかった。

 力任せに暴れてしまいたいほどの激情が胸を圧迫する。しかし、コトは力なく地面に膝まづくしかない。四角い機械板を壊れるほど強い力で抱きしめる。

 後ろでまろが鳴く。コトの目には、夜に爛々と光る獣の双眸が映った。まろが心配そうにとことこと近づくが、コトの顔は恐怖で引きつっていた。

「近づくな」

 はっきりと出た拒絶の声で思わず払った手がまろの顔に当たる。まろはぎゃんと短い悲鳴を上げ、コトはその声にはっとして殴った個所を撫でた。

「ごめん、ごめん」

「あうう」

「痛かったよね。ごめんね」

「あう」

 コトは謝るしかできなかった。まろは、母なのだろうか。あの映像では、該当する姿はこの犬しかいない。だとしたら、外山と所長はコトには何も告げず、この犬をまろと名付け裏口に置いておいたのか。いまは怒りよりも、無力感と深い悲しみが胸を満たす。

 まろはそっぽを向いて歩きだす。コトがついていくと、裏山の煙突に辿り着いた。廃棄物の焼却場だ。ここで廃棄され残った無害な廃棄物を、コトは島に運んでいた。

「乾、どうした」

 焼却場の簡素な炉の前で、乾学生が蹲っている。コトが近づくと、彼は泣きじゃくった顔で白い布を大事そうに抱えていた。はらりと布が取れ、それは目を閉じたカンシロウの体だと気づく。

「寝てるの」

 乾は項垂れて首を振る。

「さっき、亡くなったんだ」

「お前らの実験でか」

 棘のある口調でつめてしまう。乾は反応することもできないほど打ちのめされていた。

「癌だった。末期の。ヤエミを投入する前段階だった。体が耐えられなかったんだ」

 コトは彼に質問詰めすることも出来ず立ち尽くした。彼の悲しむ姿までもが、偽りではないことはわかっていた。別れを惜しむ彼の邪魔にならないよう、そっと離れる。ふと、炉の近くに三本の卒塔婆が立っているのを目にし、近づいた。

 三人の名前はわからない。だが、卒塔婆にそれぞれ直接同じ土に入れてくれと文言が別々の字で書かれている。それぞれ、イチコ、ニナ、カンシロウ。その灰を土に撒いてほしいと書かれていた。

「遺伝子進化計画に携わった、担当の人たちの墓だよ。みな、自ら死んだ」

 乾学生がカンシロウの体を抱いたまま近づいてくる。涙の跡がぬぐっても消えなかったのか、頬が真っ赤だった。

「乾、無理するな」

「カンシロウ君の灰だけは、ちゃんと俺が撒いてやらないと。ほかの死体と混じっちゃ困る」

 彼の言葉通りなら、この墓は友人三人の親、もとい担当者たちの墓なのだろう。あまりに簡素で、忘れ去られたようなみすぼらしい終着点だ。

「死体の処理は業者に任せろ。乾、落ち着け」

「ここで燃やすんだ」

 簡素な炉から煙があがる。不気味な熱が、夜の闇を揺らしていく。コトは炉の蓋を開けた。白い灰溜まった粗末な炉の奥には、細い棘のようなものが転がっていた。その灰は、コトがよく浜に遺棄していた廃棄物そのものだ。

「イチコさんとニナさんは、もう生きてないのか。正直に答えて」

 胸につっかえていた疑問を投げかける。カンシロウがこんな姿であるなら、残り二人はと疑問だった。

「もうとっくに死んだ。病気じゃない。研究している薬品の投与で亡くなったと聞いている」

「あんな元気だったのに」

 学校ではカンシロウと共に、親の影響で母を良く思っていなかったのか冷めた態度だった。いつもイチコとニナは仲良く、かしましく談笑していた姿が脳裏に残っている。

「病気と薬品の作用を調べる計画だったんだ。あんな幼い子たちを、無理やり病気にかからせて、そんなのすぐ死ぬに決まっているじゃないか」

 乾学生は再び蹲っている。自分を兄ちゃんと慕ってきた子の死体を抱えて。

 彼の言葉の意味を再度問いただしたいが、コトの体にはもうその体力が残っていない。自分の愚かさを嘆いても時は戻らない。コトは、蹲る彼の肩に膝まずいて触れた。

「下にいるから」

 コトはそう言うと、焼却場から離れた坂に寝転がった。まろも、とぼとぼとついてきて、コトの脇に腰を下ろす。星が細々と夜闇を照らした。虫のやかましい声がようやく耳に届いてきた。

「人工の髪の色がね、嫌だったんだ。自然じゃないのが、悪いことみたいで」

 地元を訪れる奇怪な容姿の皆々を、内心蔑んでいた。鈴来老人の影響がないとは言えないが、人工の髪や容姿の遺伝子的な変化が、偽りのようで。恥ずべきことなんじゃないかと。だが、コト自身こそが作られた人工の命だったのだ。

「罰が当たったのかな」

 訪れる客に愛想よくしていても、内心では偽物と嘲って。だから、母も父もあんな目にあってしまったのだと。そう割り切らないと、納得がいかなかった。さらに、その原因に一緒に来いと依頼が来た。都合の悪いことにはすべて蓋をして。

「ふん」

 まろが横で鼻を鳴らす。

 しばらく寝そべっている。星の変化は人間の目には認識できない。しかし、いまも遠くで爆発が起き、その輝きを遠い星の自分たちが見上げている。

「なにも変わらないままだったら良かったのに」

 不思議と涙が出ないのは、まだ実感がないからだろうか。コトは、ずっと追い求めていた事実をやっと手に入れたのに、もう取り返しがつかない事態にまで発展している。母が朝起こして、フミに会って、そして家路を辿って帰って。当たり前の日常を求めていたが、いまは工場で働いて二年も経過した。

 遠くの炉に繋がる煙突から、ひと際大きな煙が噴出した。炉に燃料が投下されたのだ。尊い命が。

「母さんがギフトをくれなかったら、私もああなってたのかな」

 まろの背中を撫でる。

 星が瞬いた。コトの胸にかすかに残る希望に応えるように。もう口もきけない母と、記憶の不十分な父が、たった一人の娘の背中を押すように。俯くなと輝いた。

 コトはおもむろにパソコンを起動した。例の画像の他に、デスクトップには不自然に「コトさんへ」とタイトルが書かれたメモがつけられている。コトはそのメモを開いた。

「決めたよ。これからどうするか」

 まろは口を少し開けて、笑っているような顔をした。

 坂の上からずかずかと下りてくる乾学生の足音が聞こえる。なによりも、友人の灰を愛すべき親のもとに返してやらなければならない。

コトは立ち上がり、乾学生の方を振り返った。


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