2022年3月9日「赤ん坊と班長」
工場の広場は見慣れぬ風景が映っていた。班長は目を顰めてその景色を見渡すが、どうにも理解できない。班長はまず、黒髪の十四歳の作業着の少女を見やった。
「研究員の捜索に行って、なんでこんなことに」
「はは。ほんと、こんなことになるなんて」
コトは灰色の面影をなくした黒黒しい髪をいじる。すると、抱えている赤ん坊が微妙な揺れに泣き出し、班長が赤子を受け取り手慣れた様子であやした。
「そのこは誰だい」
「班長、あやすの上手い。ああ、ミツハは働きにきた子です」
「工場に人手は要らないよ」
「私、研究所で働きたいんです」
広場に並んでいたミツハが声を上げると、包帯で処置した腕が痛み抑える。コトはすかさずミツハの背中をさすった。班長は冷めた目で見ている。
「あんた、まだ中学生でしょ。いまは春休みの期間かい。アルバイトなら余所でやんな。ましてや研究所はアルバイトを募集なんてしてないわ。あそこの兄ちゃんに聞いても同じことだよ」
班長は顎で草むらを漁る乾学生の尻を指す。
「あの人には何回も聞いたんです、でも、知らないって言うばかりで」
班長があきらめの表情で力なく頷く。
「そりゃ体よく断られているってことよ。諦めな」
「そんな。私こんな怪我してるのに」
「それとこれとは関係ない」と言いかけ、コトの顔が青ざめるのを見て眉を上げる。「関係ないってこともない、ってか。コト、さっさとゲロっちまいな」
その言葉を聞くとコトの胃がキリリと痛む。
「私もなにがどうなったのか、その、彼女の、腕を、がぶりと、噛んで、しまって」
「この赤ちゃんだって、作業員の人だったのにこんなんなっちゃって。私大変な目にあったんです。上の人に取り持って下さいよ班長さん」
ミツハがここぞとばかりに畳みかけたから、周囲が視線をこちらに寄越す。班長は乾学生の視線がこちらに移ったのに気づき、ミツハを手招いた。
「わかったわかった。とにかく、あんたは乾のところに行きな。ただ、赤ん坊のことは何も言うんじゃないよ」
ミツハの吊り上がった目がもの申そうと見開かれたが、班長はミツハの手に折り曲げた紙幣を手渡す。ミツハの視線が緩んだ瞬間を狙い、班長は肩を叩いた。ミツハは当然受取り、黙って去って行く。
「あの、班長」
班長はコトを引き連れて事務室に戻る。その一連の動作を見つめていた八城は、乾学生の元に行くミツハをじっと睨んで観察していた。




