2022年3月9日「コトと研究所」
「コトさん、荷物お届けありがとう」
研究所の裏手口で、聞き慣れた柴犬の鳴き声がする。コトは処理しきれない情報量で飽和した脳内で、研究員の女性の声を聞いた。
「先生。お久しぶりです」
壮年の女性は、コトの小学生時代に教鞭をふるってくれた女性だった。いまは研究所で働いている。
「乾くんは今日ちょっと用があって出れないの」
乾学生の温和な顔を見れば気持ちも晴れるかと期待したが、まさか先生に会えるとは。懐かし顔が見れて、それはそれでほっとした。
「いつも廃棄の受け渡しばかりしてるのかと」
「ほほ。彼努力家なのよ。大学二年生でしっかりものなの。まあ、いずれわかるけど、研究員の捜索にみんな駆り出されてるの」
捜索とはまた物騒な物言いだ。
「誘拐されたんですか」
「それもわからないわ。なんせ、ああ、うるさいわね」
裏手に括りつけられた柴犬のまろがしきりに吼えている。乾学生とコトの時はまったくおとなしいものだったのに、とコトはまろを宥めた。
「よし、よし」
「ぐう」
まろはコトが駆け寄ると仕方なしとばかりにそっぽを向いた。
「宥めるのが上手ね、学校にいた時は喧嘩ばかりで。仲がいい証拠なんでしょうけど。覚えてる、イチコちゃんやニナちゃん、カンシロウくん」
朗らかな先生の言葉に比べて、コトの内心は穏やかではなかった。やっかみの多かったその三人とはよく揉め、特にカンシロウとは口論になって喧嘩した。先生の目には、かなり違う様子として映っていたようだ。
「あの、先生」
島で廃棄する用のカートを取りながら、背後で扉の前に待機するかつての教師に語り掛ける。
「どうしたのかしら」
「研究所で雇っている警備員のドリーはご存じですか」
「ええ、でもあまりは。何か変わったことでも起きたの」
「研究所の奴らにはなにも教えないでくれ」
ドリーの悲痛な叫びが頭に響く。
コトは黙りこくり、何もありませんと告げると去って行った。




