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CHANGE the WORLD  作者: じゅげむ
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2022年3月8日「コトと工場長、そして新入りイサキ」

「今何時だと思ってんだい」

 コトはカートを押していた手が固まる。日はすっかりと暮れ、工場の前には班長が恐ろしい顔で仁王立ちしていた。

「七時、はい、工場には何度か連絡させてもらって遅くなるとは」

「聞いたけど、これはあまりにも遅すぎる。出かけるとき私は何て言った」

「あは、はは、えーと」

「新人が来るから早く帰ってこいっつったんだよ」

 班長の怒鳴り声が島の大地を轟かせる。夜の大食堂はいつも以上に盛況で、今頃その新人とやらの歓迎会が開かれているに違いない。私の方を好機の目で見やる幾つもの眼球たちの中に、その新人とやらがいなければいいが。

「すいません。次から気を付けます」

「あんたはいつもそれだね。カートを置いて準備出来たら、私の部屋に来な。夕食は私の部屋でとりなさい」

 滅多にない観歓迎会では、それはもう豪華な食事や酒が振舞われることは明白だ。そして、その絢爛に自分が参加できないこともしかり。

 コトは肩を落として大食堂に行き、自室に戻っていった。

「今日は長旅だったな」

 二階に上がるコトにイワサが声をかける。いつもながら、彼がどうやって人の気配を察しているのかわからない。

「まあね。ほら、私にしかできない仕事ってやつだよ」

 強がる声もどこかしら小さい。バカ騒ぎする皆の顔を見ると、自分が打ちのめされていることが如実にわかって、見向きもできなかった。

「鈴虫か」

 イワサの驚嘆の声にコトは胸ポケットに入れていた虫を見やる。

「耳良いね。ちょっと気分転換にとってきたんだ」

「まだ春だぞ。せっかちな鈴虫だ」

 コトは自室に戻り鈴虫を網目のあるかごに逆さにして閉じ込めた。

 澄ました音を響かせる黒い虫。帰路の途中に鈴来の爺様の服に潜んでいたこの虫を、コトは放ってはおけなかった。鈴来の家に服を返しに行ったが誰もおらず、仕方なかった。

「明日はいるよね。じいちゃん」

 鈴虫は軽やかに鳴くだけだった。 

 コトは服を着替え、離れのシャワー室で体を洗ってから班長の部屋を訪れた。時間は十分にも満たない。夜空に星が細々と輝く中、元学校の事務室を叩く。

「入りな」

 失礼します、と礼をして入室する。

 狭い事務室に長椅子一台、椅子は二つ。班長はやかんを手に沸騰した湯をカップラーメンに注いでいる所だった。コトは腕に本とノートを五冊ほど抱え、重さに耐えれず雪崩のように置いた。

「えー、カップ麺ですか」

「乱暴に置くんじゃない。誰が買ってやったと思ってんだ、大事にしな。今日は、特別な超濃厚豚骨みそ味さ」

「それ班長が好きなだけでしょ」

 コトは椅子に座って本とノートの準備をする。身振りからして嫌々なのは見て取れた。

「いやなのかい」

「嫌なことないですよ。でも、向こうの集まりも行きたかったな」

「おっさんが新人囲んで酒盛りさ。なんも楽しいことはないね」

 時間が数分流れ、二人のいる部屋からはカップ麺をすする音が聞こえ始めた。湯気に顔を押されながら、コトは必死に麵に食らいつく。

「封筒、ちゃんとポストに入れたか」

 コトは思わず吹き出し、班長はティッシュを引っ掴む。

「すいませ、げほ」

「ゆっくり食べなよ」

 口を拭きながら、いま投函していなかったことを言えばさらに怒られるだろうと肝を冷やした。コトは頷いてその場を収めた。はいともいいえとも言っていないのだから、返答としてはグレーの線でいけるだろう。子供の浅知恵だった。

「あの、封筒について聞きたいんですけど」

「勉強の時間だ。さっさと始めて、さっさと終わらせるよ」

 今から始まるのは、一日の慣例、班長の勉強会だった。学校にいけないコトの代わりに、班長が勉強を教えてくれるのだった。教本も班長の出費から捻出さえれ、コトのなけなしの給料からは一銭も出ていない。

 これがいかに愛のこもった時間なのかは、数学の本を開くコトにはまだわからないだろう。

「赤玉が三個、白玉四個、最初の一回で赤玉、二回目でも赤が出るが出る確率は」

「なんで一回出した赤玉を戻すかね。この問題はおかしいよ」

 かといって、班長も指導役に適しているわけではなかった。

 一日労働に費やしたあと、二人して問題を解く姿は可笑しくもあり、微笑ましくもあった。

 やがて問題も解け、二人で温かい茶を飲んでいた頃だった。ふと、狭い事務室に白衣がかかっているのを見つけた。あまりにもコトがまじまじと見るので、班長も振り返る。

「研究員の人がわすれていったんだよ」

「白衣を、誰が」

「言ってもわかんないだろ」

「知りたいんですよ。次研究所行く時、その間抜けの顔が見てみたい」

二人して笑い合い、その後茶を濁す。

「今日何かあったのかい」

 班長は気配りができて勘がいい。二年工場で働いて抱いた、彼女の人物像だった。

「今日役所に行ってきたんです」

「私用なのかい」

「はいそうで、あ」

 怒られると思い呆けたが、首をひねって続きを促した。

「だから遅かったのか。理由があるなら言えばいいのに、水臭い」

「すいません。それで、母が私の出生届を出していないことがわかって」

 班長の目が見開かれた。

「野中先生がかい」

 聞き慣れない母の苗字が、するりと班長の口から出た。

「班長は、雨呑の試験病棟で母と知り合いだったんですか」

 班長は背後のかごに入れた作業着を取り出し、班長と刺繍のついた胸を見せた。

「この班長の意味はね、試験病棟で病状別に分けられた班の名残からついたんだよ。この工場の奴らは、試験病棟から社会に復帰して、この工場で働いて恩返ししたいやつらの集まりだからね」

「研究所のことなんですけど」言いかけて、口ごもる。しかし意を決して、言葉を紡いだ。「私の母と、親しかった、異性の方っていますか」

「どういうこと」

「ほら、子供って母だけではできないじゃないですか、へへ、言わせないで下さいよ」

「気持ち悪く笑うんじゃない」コトはその言葉に固まったが、班長の黒い瞳に射抜かれて動けなくなる。「あんたの父親を探ってるのかい」

「役所に行っても、手がかりがなかったんです。だったら、関係者の人に聞いてみたいなと」

「私はただの患者ってだけだからねえ。力にはなれるだけなりたいけど、研究所にはあまり深入りしない方がいい」

 え、と聞き返すも班長は机の下からカップヌードルを取り出して再びお湯を注ぎ始めた。

「まだ食べるんですか」

「遺伝子工学ってのは、罪深いわね」

 熱湯が文句を垂れるような音でカップに収まっていく。

「すごい力だとは思いますけど」

「本当にそう思うかい。あんたも、苦労させられたんじゃないかい」

 灰色の髪を隠すように手ですくのが、図星だと告げているようなものだった。

「私もね、こんななりでもれっきとした日本人どうしの親から生まれたんだよ」

「え、どういうことです」

「ああ、あんたが世間知らずなのをすっかり忘れていたよ。私が言いたいのはつまり、私もあんたと同じ遺伝子組み換えされた子供ってことさ」

「でも、髪は黒いし、肌は焼けてるし、目も普通だし」

 陸地で見かける派手な子供たちと、目の前の班長が重ならない。だが、ふと今日見かけた黒い肌のビジネスマンを思い出す。

「世の中には世の中分だけの普通があるもんなのよ。いまは遺伝子組み換えが普通でも、昔はそりゃあ差別されたよ。子供の姿を変えるなんて、神様にでもなったつもりかって」

「身体能力部分だけ組み替えたら、全然ばれないですけどね」

「あんた妙に鋭いね。私の親もそれだけにしときゃ良かったのに。昔オリンピックで観たジャマイカの陸上選手に心奪われて、子供もアスリートにしようと遺伝子を仕組んだのさ。そして、見た目もね」

「じゃあここに来る前は陸上選手だったんですね。すごい、サインしてくださいよ」

 この時ばかりの班長は、自嘲気味でやけを起こしているような大きな笑い方だった。

「はは、だと思うだろ。肉体的に優れた遺伝子に組み替えればいいって。だけどうまい話なんてどこにもない。これだけは覚えておきな。私は学校では見た目でいじめられ、ぐれて荒れ果て、スーパーのレジ打ちになった。そして尋常性白班を患い、試験病棟、いまは工場長」

「ぐれるって」

 話の腰を折る世間知らずに班長はため息をつく。

「夜中にたむろしたり、喧嘩したりだよ」

「ああ、だから班長ってあんな怖いんですね」

「何か言ったかい」

 コトは笑っていた口をきゅっと閉じた。

「とにかく、人に順序を狂わせる技術だよ」

 卵が先か、鶏が先か。

 班長は麺をずずっと啜った。もう話は終わったという合図だ。

 室内を満たす湯けむりを見ていると、頭の中がゆっくりと整理されていく。

「ドリーって、知ってますか」

「まだこの部屋にいるつもりかい。あー、昔喋る青い魚の映画があったね」

「それじゃないんです」

「なら島の出入り口を塞いでる不躾な二人組か」

「新聞で読んだことがあるんですよ。ドリー。なんだったかなあ」

 喉に小骨が引っ掛かった気持ちだ。班長が麺をすすりきり、音を立てて机に置く。

「あれだ、クローンだよ」

 コトの頭の靄が晴れる。いつだったか遺伝子工学の一覧で、クローン羊のドリーの欄があった。

 すっきりした面持ちで出ようとしたとき、班長が待ったと声をかける。

「もう出ますよ」

「研究所のこともそうだけど、あいつには近づかない方がいいよ」

 誰と聞くまでもない、班長の口からでたのはあの大男のことだとすぐにわかった。

 班長に言われるまでもないが、もうすでにコトはあの八城の手を借りてしまった。それも言ってしまえばまた時間が長くなるので、コトは一礼して去って行くしかなかった。

 鳩の鳴き声で静けさの欠片もないいつもの夜には、バカ騒ぎする大食堂の面々がいた。もとは体育館だったが、いまではすっかりたまり場だ。コトがその明かりめがけて歩みを進めた時だった。

「よう」

 振り返らずともわかる不穏な気配に、コトは立ち止った足が土を少し削った。

「みんなのところに行かないと、ご飯なくなっちゃいますよ」

 八城さん、と控えめな調子で言うと彼は満足そうに笑った。恐怖で慄く子供を見て、自身の嗜虐心が満たされていくのを感じている。

「飯だなんだ言う前に、お前は俺に言うことがあるだろう。ねずみ」

「言うことってなんで、ちょっと」

 八城は太い腕を無理やりコトのポケットに突っ込み取り出すと、手には健康保険証が握られれてた。八城は震えあがる程のしかめっ面で、コトの眼前にカードを差し出した。

「お前はこいつを使って母親探しに精を出した、なあ。だからこんなに遅れちまったんだろ。お役所仕事は時間がかかるからな」

 八城が容赦なく前進してくるので、コトは巨体に押されて後ずさる。

「お、お礼は後で言うつもりだったんです」

「態度なんかじゃ腹は膨れねえ。礼は形でが基本だろ」

「お、お金を渡します。私のお金は、班長に預かってもらってるんです」

「金か、賢いな。金があれば何でもできる。だがまあ、お前の雀の涙ほどの金なんてなんの足しにもならねえ。お前の貧弱な体で出来ることなんて、廃材のお片付けぐらいのもんよ」

 コトの背に壁が当たる。八城の顔は獲物をいたぶる猫の目になった。危機を感じ逃げ出す前に、八城の太い足がコトの腹の横に押し付けられた。

 コトの顔がみるみる青ざめるのを、八城は愉快だと笑った。

「な、なにが言いたいんですか」

破顔した顔が一点、いつもの仏頂面に変わる。八木の感情の切り替えがあまりにも早いので、コトは余計に訳が分からなくなった。

「おちゃらけるのもここまでだ。いいか、本人確認証の偽造ってのはな、犯罪なんだよ。世間には法ってのがあって、お前は俺にそれをさせた」

させた、と強調されると自分が命令させた気になる。コトは驚いて訂正した。

「さ、させてなんか」

「いいや、させたんだ。現にお前はその本人確認証を今日役所で使ったろ。ポケットからはみでてるぜ」

 入りきらなかった附票の紙が顔を出している。この男はいつからそのことに気づいていたのだろう。そして、班長の言葉が今では身に染みる思いだった。

コトは事態を収めようと考えれば考えるほど、陳腐な案すら出てこなかった。

「返します」

八木のため息が、コトの頭にかかる。

「そういう問題じゃねえってのがわかんねえかなこの馬鹿は。使ったってことは、犯罪だとわかって行使したってことだ。お前にそんなつもりなくても、世の中が許さない。俺が口外さえしなきゃな」

 ここでコトはようやく嵌められたと気づいた。八城はコトの弱みに付け込む機会を伺っていたのだと。さらに、ここから先コトは犯罪の黙秘を盾に八城に逆らえなくなるだろう。

「金じゃなきゃ、なんです。私は何も持っていないのに、無茶です」

 その時、八城の苛立った目が吊り上がり、コトの首根っこを掴んだかと思うと八城の目の高さまで持ち上げた。急な負荷にコトはめまいがする。

「グダグダ言ってんじゃねえ。俺がやれと言ったらやれ、来いと言ったら必死で来い。それが出来なきゃ塀の中で薄情な母親を待つことになるぜ」

低く、有無を言わせない脅迫に涙が出そうだった。しかし、コトの耳には最後の余計な一言が耳に残る。

「なんて言った」

掠れかすれ、子供の振り絞った蚊の鳴くような声。

「ああ、聞こえねえな」

「薄情なんかじゃない」

 八城は鼻で笑うと、コトを地面に叩きつけた。体の痛みよりも、酸素を取り込むことに必死になり咳き込む。

「お前を見ていると憐れだ。俺の小間使いにして、いい思いをさせてやろうって兄貴心がわからないもんかね」

「勝手を言うな」

 予想以上に大きな声が出たが、コトの腹には怒りしかなかった。

「そばにいない身内より、手近な同志ってな。なあ、さっきは俺が悪かった。きつく言いすぎた。ほら、立てよ」

 優しい物腰になったが、八城の目には相変わらず同情のひと欠片もない。差し出された手には、鋭い罠が仕掛けられているように感じた。

「触るな」

 再び八城の目に怒りが灯り、コトの手首を強い力で掴み立ち上がらせる。

「下手に出てりゃいい気になってんじゃねえぞ餓鬼」

「八城さん、班長からのお呼びですよ」

 二人が同時に声のする方を見ると、そこにはコトぐらいの背の見慣れない男がいた。気まずい沈黙の後、八城は舌打ちをして手を離し去って行く。

「明日の朝、食堂の裏にこい」

 耳打ちをされ、コトの背に悪寒が走る。

 八城が去った後、青年はおびえた顔でコトに駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか」

 大きな目が心配そうに見つめてくるので、コトはたじろぐ。彼は一部始終を見ていて、助け舟を出してくれたのだろう。

「助かりました、あの、あなたもしかして新人さんの」

「イサキって言います」

 イサキ青年は一礼した。好印象の青年だ。

「今日は見苦しいとこばかり見せてしまってすいません」

「あの人、近づかない方がいいですよ。おっかない」

 腕に痛みを感じまくると、土ですりむいて真っ赤になっていた。

「いてて、跡にならないといいけど」

「すぐ消毒しましょう」

 イサキはコトを川の方まで誘導し、丁寧に洗った。その手つきは優しく、水越しに触れるイサキの大きな手にコトは少し戸惑う。

「試験病棟から来られた方ですか。上手ですね」

「はは、そういわれると歯がゆいな」

 あいまいな返しに引っ掛かりを覚えたが、コトは何も言わず川から腕を出した。

「ありがとうございます。明日からよろしくお願いしますね」

「こちらこそ。俺、物覚え悪くてよくメモとるんで、煩わしかったら言ってください」

 コトは意味が分からず首をかしげたが、ひとまず今日はお開きということで宿舎に戻っていく。次の日、イサキの教育担当がコトになるとは知らぬまま、朝は再びやってくるのだった。


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