子爵令嬢が王太子妃になったら、すべて上手くいきました
「シャーロット! 今この場で、君との婚約を破棄する!」
「あら、まあ……」
学園の卒業パーティーの真っ最中。突然、私の婚約者でもあり、この国の王太子殿下でもあるデール殿下が大声で叫びました。
対する私の反応は淡泊そうに聞こえるかもしれませんが、一応これでも驚いております。いかなおバカな殿下とはいえ、家と家の契約でもある婚約を、このような場所で何の話し合いもなしに破棄すると仰るとは思わなかったのです。
「なぜでしょうか」
場所を改めて話をしましょう、と言うのが本来言うべき言葉なのかもしれませんが、こんな場所で大声で言って、完全に注目を集めてしまった以上は、話題になるのは避けられません。
噂が噂を呼んで、ワケの分からない話になってしまうよりは、ここで話をしてしまおう、と思ったのです。
「なぜだとっ!? お前は分からないと言うのかっ!?」
「はい、もちろん。今の今までそのような話が出たことはございませんでしたよね? 何の情報もないのに、分かるはずもございません」
素直に答えます。……まあ正直に言えば、殿下が肩を抱いている女性と仲良くベタベタしていたことは知っていますから、その関連での婚約破棄の話だと、想像はつきますが。
すると、殿下はなぜか悔しそうな顔をされました。
「お前はいつもそれだ! 澄ました顔をして、俺をバカにする! 俺は王太子だというのに、敬おうとしない!」
「……はあ」
先ほどの私の返答のどこに、殿下をバカにした要素があったのかは全くの不明ですが。まったく努力しようともしない目の前の男を、敬おうと思ったことがないことは否定致しません。
「だが、メリルは違うっ! 俺をバカにしない! 俺に笑いかけてくれる! 俺を敬ってくれる! そんなメリルの方が王太子妃にはふさわしい! お前はダメだ!」
「………………」
このバカ王太子。
出そうになったこの言葉は、すんでの所で呑み込みました。が、おそらくそう思ったのは、私だけではないでしょう。パーティーの会場中に、呆れた雰囲気が漂っている気がします。
そもそも、この話を国王陛下はご存じなのでしょうか。何をやらせてもダメなデール殿下の代わりに、政務ができそうな女性を探して婚約者としたのが、私です。つまりは、国王陛下が婚約破棄など許可を出すはずがないのです。
私は、殿下の隣にいる女性に目を向けます。殿下に肩を抱かれて、その体にしなだれかかっている女性。メリルという名の、子爵家の女性です。
最初に、この女性が殿下に近づいているという話を聞いたとき、心の底から驚いたことは今でも覚えています。
「メリル様。考えてみれば、あなたとお話しする機会はありませんでしたね。最初に話をするのがこんな場であることが、大変に残念です」
話しかけますが、まるで臆した様子もなく、正面から私の視線を受け止めてきました。
「一つ伺いますが、あなたは、デール殿下と結婚して王太子妃になる覚悟がおありなのですか?」
この突然の話、この令嬢が関わっていないとは思えません。この場で言えと言ったのは、おそらくこの方です。
「そんなの当たり前だろうがっ!」
「殿下には伺っていません」
「だからなっ……!」
「大丈夫です、デール様」
殿下が横から口を出してきたので、あっさり言い返すと、悔しそうに何かを言いかけますが、それを止めたのが隣の令嬢でした。そして、私に向かってした挨拶は、下級貴族とは思えない優雅なものでした。
「シャーロット様、改めてご挨拶申し上げます。メリルと申します。確かに話をする機会はありませんでしたね。とは言いましても、実はあたしが避けていただけですけれども」
そのくらい気付いていたでしょう? と言いたげなメリル様の視線に、私はわずかに目を細めます。ええ、もちろん気付いていました。私は話をしたかったのに、結局その機会がなかったのですから。
「そんなの当たり前だっ! メリルがこの女と話す必要など……」
「デール様、シャーロット様とお話ししたいのです。少し静かにお待ち頂けないでしょうか?」
「分かったっ!」
またも横から口を出した殿下に、きっぱり言ったのはメリル様です。
うーん……。正直これのどこに、メリル様が殿下を敬っている要素があるのかが、不思議でしょうがないのですが。
殿下の言葉を最後まで聞くことなく遮って、言葉こそ違うものの言っていることは「黙ってろ」と同じです。
殿下にしなだれかかり、上目遣いで甘えるように言っているのが、私とは違う点です。あっさり殿下が頷いている辺り、これが殿下にとって"敬ってくれる"ということなのでしょうか。
「シャーロット様、申し訳ありません。それで、王太子妃になる覚悟はあるか、というご質問でしたよね。もちろん、ございます。この返答でご満足でしょうか」
やはりこのご令嬢は、侮れません。覚悟はあるという言葉、決して口先だけではないと分かってしまいます。
ずっと落ちぶれていたメリル様の子爵領がここ数年で改善傾向にあり、さらに発展しているという報告がありました。その発展にメリル様も関与しているらしいのです。
学園での成績も良く、色々なものの考え方もそこいらの貴族令息や令嬢よりも一歩も二歩も先を行っていると、もっぱらの評判です。だからこそ私も話をしてみたかったですし、場合によっては私の補佐をしてくれないか、とさえ思っていたほどです。
だから、そんなメリル様がなぜデール殿下を気にかけるのかが、不思議でしょうがないのです。
「……王太子妃が、とても大変な仕事であると、あなたが分かっていないとは思えません。なぜ王太子妃になりたいのですか? デール殿下がそんなにお好きですか?」
殿下を好きになる人なんかいないと思いつつも、他の理由が思い浮かばずに聞いてしまいました。殿下は妙に得意げな顔になって口を開きましたが……。
「もちろん、好きですよ。好きだから、大変な王太子妃も頑張りたいと思えるんです」
殿下が言葉を発する前に、答えたのはメリル様でした。返ってきた答えは、正気を疑いたくなってしまうようなものですが。
ちなみに、言葉を奪われた殿下は、口をパクパクさせておりますが、それでいて満足そう、というよく分からない顔をしております。
まあ、殿下はとりあえずおいときましょう。どうでもいいことです。
「……その、失礼ですが、殿下のどこが、お好きなのですか?」
何をやらせてもダメな殿下に対して、メリル様は言わば"できるご令嬢"です。これが、何も分かっていないおバカな令嬢であれば、単に身分に惹かれただけ、と考えられますが、どう考えても、メリル様はそういうタイプではありません。
だからこそ、純粋に疑問に思ったことを尋ねてみましたら、メリル様から返ってきた答えは、予想をはるかにぶった切るものでした。
「バカなところです!」
「……はい?」
何を言われたのか、理解できませんでした。
「あたしは、自分がカワイイ顔をしていることを知っています! そして、このカワイイ顔で甘えてやれば、大体の男はコロンと靡いてくれます!」
「は、はぁ……」
確かに、メリル様は可愛いですね。それは否定しません。否定しませんが……ええと……?
「シャーロット様は、隣国の王太子殿下からも求婚されていましたよね。もちろんデール様との婚約があるからと断っていましたけれど」
「ええ、そうですね……?」
隣国の王太子殿下。アーサー殿下と仰います。
招かれて我が国へもいらしています。歓迎パーティーも開かれていますから、知っている方も多いでしょう。デール殿下とは違い、まさに"王太子殿下"にふさわしい方です。
そんなお方からの求婚状が届いたのは確かです。なぜそんなことを知っているのかとは思いますが、秘匿されているわけではありませんから、調べようと思えばいくらでも調べられます。
「あの方はダメです! このカワイイあたしが抱き付いて上目遣いしてあげてるのに、近寄るなとか邪魔だとか言うんですよっ!? このカワイイあたしが抱き付いて上目遣いしてあげてるのにっ!」
「はぁ」
二度も言いましたね。このカワイイあたしが、の言葉を。
そんなことをしていたんですか、メリル様。それって、ものすごく無礼な真似をしでかしたのではないでしょうか。
「だから、あんな奴とはシャーロット様が結婚して下さい! 代わりに、あたしがデール様をもらってあげます! デール様の結婚相手に、シャーロット様はもったいないです!」
「……ん?」
殿下に、私がもったいない? 逆ではなく?
「あたしがシャーロット様を避けていたのは、話をすると文句を言ってしまいたくなるからです。デール様のような方に、勉強しろとか王太子にふさわしい振る舞いを、とか言ったところで無意味です。そんな下地がないのに、やれと言ってできるはずがありません」
確かに言いました。国王陛下が諦めてしまっても、それでも王太子殿下は王太子殿下なのです。少しでもそれにふさわしくなってほしいと思って、言いました。
が、ずいぶん堂々と殿下のことを侮辱しすぎじゃないですかね。会場にいる人たちが、吹き出しそうになるのを必死に堪えているのが見えました。まあ、殿下ご本人は何も分かってなさそうなので、別にいいのでしょうか。
「だから、デール様の隣にいるのに必要なのは、王太子という肩書きを、都合のいいように動かすことができる女です。どんなバカでも、できない奴でも、その使い道に気をつければ、いくらでも役に立ちます」
「ええと……」
「男が優秀だと、それができないじゃないですか。お互い切磋琢磨して成長するとか、意見を争わせてよりよい政策を見つけていくとか、そんなのどうでもいいです。せっかくカワイイ顔と優秀な頭脳を授かったんですから、それを存分にふるいたいんです!」
「………………」
自分でカワイイ顔とか、優秀な頭脳とか言っちゃうんですね、この子。先ほどから、自分をカワイイと臆面もなく言っていますからね、この子。
なんて考えしか頭に浮かばないのは、もしかして話を理解するのをどこか拒んでいるからでしょうか。
「そういうわけですので、シャーロット様は何の遠慮もなく、隣国に嫁いで下さい。ついでに、この国に支援してもらえるように働きかけて下さい。落ちぶれたこの国、どうにかするのにはやっぱりお金が欠かせませんから」
落ちぶれた、には言い返せる言葉もありません。今の国王陛下の時代は何とか独立を保つことができましたが、正直デール殿下が国王になったら、隣国に併呑されるのではないか、と噂されるくらいですから。
そうならないための、私との婚約でもあったわけですが。
「お金さえあれば、どうにかできる自信がおありで?」
「ええ」
自信ありそうなご様子ですが、メリル様が立て直した子爵領と国とは、規模がまるで違います。子爵領と同じようにいくはずがありません。それをどこまで分かっているのでしょうか。
ふざけるなと一蹴してもいいくらいの話なのですが、メリル様の様子を見る限り、それは悪手な気がします。その自信の程が本物であれば、私が隣国に嫁いで支援を働きかける、というのが、意味あるものになってくるのです。
「この後、お時間頂けませんか、メリル様? あなたともっと話をしたいです」
「ええ、もちろんです、シャーロット様。何時間でもお付き合い致します」
そう言って、私もメリル様も、不敵に笑ったのでした。
めでたしめでたし。
――とはなりませんでした。
「どういうことだっ!? なぜメリルが何時間もあの女と話さねばならないっ!?」
すっかりその存在を忘れていた殿下が、話の流れを完全に無視して、最後のところだけ文句を言ってきました。侮辱されたことは、やはり理解していないのか、完全にスルーです。
さてどうしたものか、と思っていたら、メリル様が殿下の首に手を回しました。
「心配には及びません。すべてはデール様のためですから」
「だが、俺のために君を危険な目にさらすわけには」
なぜ話をするだけなのに、危険な目にあうことになるのでしょうか。などと、白けた目を向けている私に構わず、メリル様は話を続けています。
「デール様のためなら、何てことありません。今まで、デール様のような方に出会ったことはありませんでした。あたしにとってデール様は最高に愛しい方なんです。その方のために、あたしもできることを頑張りたいんです」
「そ、そうか」
デレッとしている殿下ですが、今までの話を聞いていると、そう喜んでいいものでもない気がします。
"デール様のような方に出会ったことはない"とはつまり、今まで出会った男性の中で、殿下が一番おバカで操りやすく、メリル様がその手腕を振るうのに最適な相手だ、ということではないでしょうか。
……いえ、深く考えるのはやめましょう。殿下以上におバカな方はそうそういない、ということが分かっただけで良しとしましょう。
「話はまとまったかい?」
「え?」
そんな時、会場の一角からそんな声がして、そして学生たちの後ろから現れたその姿に、私は驚きを隠せませんでした。
「アーサー、殿下?」
言わずと知れた隣国の王太子殿下です。なぜこの方が、この場所に……いえ、そもそもなぜこの国にいるのでしょうか。
思わず顔を凝視してしまったら、嬉しそうに笑みを浮かべられました。そして、そのまま私のところまで来たと思ったら、跪きました。
「シャーロット嬢。君が卒業したら、最後にもう一度だけ、今度は直接、結婚を申し込もうと思っていた。それでここまで足を運んだ。これで駄目なら、諦めようと思って」
「え?」
目を見開く私に、アーサー殿下は私の左手を取りました。
「シャーロット嬢、君を愛している。君の、王太子妃にふさわしい振る舞いや見識、考え方はもちろんだが。何よりも、この国のために、出来損ないの王太子を助けていこうという、強い意思に惹かれたんだ」
そして、左手の甲に、口付けがされました。
「どうか、私の婚約者となってくれ。そして結婚して私の妃に……妻になってほしい」
「それ、は……」
いきなりそんなことを言われても、私の頭が追いつきません。確かに、隣国に嫁ぐことへの意味はあります。ですがそれは、あくまでも政略的な考え方であって、愛だの恋だのとの考えとは無縁でした。
「あたしは大賛成です。ね、デール様もですよね?」
「もちろんだっ!」
横からニコニコ顔のメリル様と、何も考えていないデール様が口を出してきました。思わずお二人を……というか主にメリル様を睨みますが、さすがはメリル様。ニコニコ顔が崩れません。
「ねぇデール様。婚約の破棄もそうですけど、隣国との婚約もこの場で話をするのは無理だと思います。王宮へ行き、国王陛下も交えて話をするのはいかがでしょうか」
「それもそうだなっ! さすがはメリルだ!」
さすがという程の提案でもありません。ですが、ある程度情報は出回ったでしょうし、変に噂だけが一人歩きすることもないでしょう。けれど、きちんと話の決着をつけて公表しないとマズいレベルにはなっていますが。
もしかして、メリル様はそれを狙いましたかね。王宮という奥まった箇所で話をしても、一蹴されて終わり。騒ぎを起こせば、内密に片付けることもできませんから。
「では参りませんか。アーサー殿下もシャーロット様も、それでよろしいでしょうか」
「ああ、構わない」
「ええ、構いませんわ」
本来でしたら、その手のことを言うのはデール殿下でなければならないのでしょうけど、メリル様が当たり前のように言ったことに、異を唱えるつもりにもなれませんでした。
こうして、ざわつく卒業パーティーの会場を私たちは後にしたのでした。
*****
王宮に到着して、事の次第を話します。国王陛下が真っ青になって、ついで真っ赤な顔になって、デール殿下に怒っていました。が、当の殿下は「なぜ父は怒っているんだろう」という不思議そうな顔をしただけでした。
怒るだけ時間の無駄だったことを、改めて悟った陛下が、今度問いかけたのはメリル様に対してでした。そしてそこから、政策の話題になっていったわけですが……。
すばらしい、の一言に尽きます。メリル様の自信は、真っ当なものでした。
国王陛下もすっかり気に入られたようで、私とデール殿下の婚約を解消するという話に……残念ながらなりませんでした。
「メリル嬢が婚約者でも……将来の王太子妃でも構わん。だが、そうなればずっと王太子の婚約者として頑張ってくれていたシャーロット嬢はどうなるのだ?」
「それは当然、アーサー殿下の婚約者に……」
「メリル嬢、そなたにまだ口を出す権利はない。無論、王命で結婚を命じるのは簡単だ。だが、今までこの国のために大変な苦労をしてくれたのはシャーロット嬢なのだ」
さすがは国王陛下でしょうか。デール殿下とは器がまるで違います。横から口を出したメリル様ですが、ピシャリと遮られて口を噤みました。
そして、私に向けた視線は、とても柔らかいものでした。
「だから、そなたが選んでくれていい。このままデールの婚約者でいるか、隣国に嫁ぐか。そなた自身が望むようにしてほしい」
それは、国王陛下の、私への最大限の配慮であっただろうと思います。そのお心遣いにとても感謝しつつも、内心は複雑でした。
これまでずっと、デール殿下と結婚するんだと思っていた私にとって、"望むように"と言われてもどうしていいかが分からないのです。いいから命じてくれれば、何を考えることもなく、嫁ぐことができるのに、と考えてしまいます。
もちろん、デール殿下とアーサー殿下を比べてどちらがいいかと言われれば、悩むことなくアーサー殿下を選びます。「あの方はダメ」というメリル様が変わっているのです。
けれど、アーサー殿下は私を愛してると言って下さいました。だからこそ、どうしていいかが分かりません。嫁ぐのであれば、殿下と同じ気持ちを返さなければ、と思うのですが……。
すぐその場で答えは出ず、国王陛下から猶予を頂いて、私は自宅へ帰りました。ですが、のんびりゆっくり過ごすこともできておりません。
「シャーロット様、アーサー殿下がお見えです」
「……分かったわ」
アーサー殿下が、しょっちゅう会いに来られるのです。会わないという選択肢を取ることなど不可能なので、そのたびにお茶をしたり散策したりしています。
悪い方ではありません。むしろ、とても良い方ですし、話をしていてとても楽しいとも思います。けれど、それが恋とか愛とかだとは思えません。
「アーサー殿下、お待たせ致しました」
そんなことを悩みつつも、客間に通された殿下に挨拶を致します。すると、いつものように嬉しそうに笑って下さいますが、今日は少し影があるように感じます。
「シャーロット嬢、実はそろそろ国に帰らなければならない」
「…………!」
突然の言葉に、私はわけもなく動揺してしまいました。
別におかしいことでもなんでもありません。アーサー殿下は隣国の王太子殿下です。いつまでもこの国にいるわけにはいきません。
「君に、最後にすると言った。これで駄目なら諦めると」
「…………ぁ……」
確かに言われました。プロポーズされたあの場で、アーサー殿下はそう言っていました。つまりは、これでもう終わりなのでしょうか。
そう考えたら、なぜかとても寂しいような悲しいような、そんな感情に襲われて、私自身戸惑いました。
「けれど、やはり諦めたくない」
「え?」
「だから、婚約者じゃなくていい。客人でも何でも肩書きはいいから、我が国に来てもらえないだろうか。君と、もう少し共に過ごす時間が欲しいんだ」
アーサー殿下の提案に、私が思ったのは「行きたい!」でした。もう少し側にいて、この人のことを知りたいのです。
手を強く握りました。悩む必要もなく、私は頷きました。
「私からもお願い致します。ぜひ、あなたの国へ行ってみたいです」
「――そうかっ!」
アーサー殿下のお顔が見て分かるくらいに明るくなって、私も笑みがこぼれたのでした。
*****
私は、国王陛下から"隣国を視察してこい"との命令を受けて、アーサー殿下とともに隣国へ向かいました。
そこで見たものは、栄えた町並み、人々の明るい笑顔、そしてそんな街の人々と親しそうに接するアーサー殿下でした。
そんな様子を見ていて、私は自然に思ったのです。この人と共に歩みたい、この人のために私がこれまで培ったすべてを出して力になりたい、と。
そんなことを思っていたからでしょうか、駆け寄ってきた小さい女の子が、私を見てこう言った時、咄嗟に表情を取り繕えませんでした。
「おねえちゃん、おうじさまのはなよめさま?」
「……え?」
自分の顔が、なぜか熱くなりました。
「おかあさんがいってたの! おうじさまにはすきなひとがいるって! おねえちゃんがそのひと!?」
何が嬉しいのか、その女の子ははしゃぎ出しました。声も大きくなって、それで他の人と話していたアーサー殿下も気付いたようです。
「どうしたんだ?」
「ねーねーおうじさま! おねえちゃん、おうじさまのはなよめさま?」
「…………!」
殿下が驚いた顔をして、私を見ます。そして少し困ったように笑って、女の子の頭をなでました。
「さあ、どうかな。そうなったらいいなって思ってるんだけどね」
「ち、ちょっと、アーサー殿下……!」
そんなことを言ったら、誤解されます。私が殿下の"花嫁"だと、思われてしまうでしょう。
でも、慌てる私に構わず、アーサー殿下は女の子に顔を向けて、口の前に人差し指を立てました。
「でもね、まだお姉ちゃんからの返事待ちなんだ。だから約束だ。しばらく黙っていてくれるかな?」
「わかったーっ、やくそくするっ!」
何が楽しいのか、キャッキャッと笑いながら、その子は立ち去っていきました。その姿を何となく見送っていると、私の右手が何かに包まれました。
「行こうか」
「――は、はいっ」
何かも何も、アーサー殿下の左手が繋がれています。どうしましょうか、恥ずかしくて仕方ありませんでした。
*****
そして、一週間の視察期間を終えて、私は帰国の途につきます。
「シャーロット嬢」
何かを言おうと、アーサー殿下が私の手を取りましたが、私が機先を制しました。
「アーサー殿下、私は一度国へ帰ります。ですが、するべき手続きを終えたら、またこの国に来てもよろしいでしょうか」
「シャーロット嬢?」
不思議そうにしているアーサー殿下に、私はゴクッと唾を飲み込みました。これを言うのは、私から言いたいのです。
「あなたの、婚約者として、この国に参りたいのです。……あなたが、好きになってしまいましたから」
私がそう言った瞬間、取られていた手を引っ張られて、アーサー殿下に抱きしめられていました。
――って……、だきしめられてるっ!?
ボンッと顔が赤くなったのが分かります。どうしようっ!? とアワアワして動こうとすると、腕の力が強くなりました。
「ああ、待ってる。君が、戻って来るのを待っている。愛してる、シャーロット」
「…………!」
まってまってまってくださいっ!? 今呼び捨てにされましたよねっ!? はやくないですかっ!? 私の心が追いつかないっ……!
………………………
――とまあこんな感じで、最後は完全にパニックになって記憶が抜け落ちていて、気付けば馬車に揺られて帰国への道を進んでいました。
帰国した私は、無事にデール殿下との婚約を解消。アーサー殿下と婚約する事になったのでした。
一年後に結婚式を挙げて、それから五年。隣国の王太子妃として過ごす日々ですが、故郷の情報収集も欠かしていません。
私と婚約解消したデール殿下は、メリル様と婚約しました。それから間もなく、結婚式を挙げて、メリル様は王太子妃となりました。
色々物議を醸したようですが、国王陛下からの強い支持もありますし、何よりもメリル様が文句を言う貴族たちを黙らせていったそうですから、最終的には皆がメリル様を認めたのでしょう。
そして、今ではデール殿下が国王に、メリル様が王妃になったあの国は、少しずつ改善してきています。というのもアーサー殿下が支援を惜しまないで下さったことが、一つの理由でしょう。
「ありがとうございます、アーサー殿下」
「ははは。ま、あの令嬢はたいしたものだと思った、というのもあるからね」
お礼を伝えたら殿下は少し笑って、さらに話を続けます。
「何でも、国王となったデール殿が"賢王"として民たちに慕われているらしいよ」
「……は? デール殿下が? メリル様ではなくて?」
「そう、デール殿が」
頭の中で"賢王"っぽいデール殿下を想像してしまい……ブッと吹き出しました。何でしょうか、どう考えても似合いません。
「ねぇシャーロット、聞いてもいいかな」
「なんでしょう?」
「デール殿は、なぜあんな風に育ってしまったんだ?」
アーサー殿下の少し困ったような質問に、まだ少し残っていた笑いの発作はなくなりました。そして、私がデール殿下の婚約者となったとき、国王陛下に聞かされた話を思い出しました。
「小さい頃に、高熱を出してしばらくの間寝込んでいたことがあるそうなんです。何とか回復したそうですが、それから何をやってもダメになってしまったそうです」
それまでは、それなりに優秀だったそうですが、その高熱があった後から、覚えられず集中できず癇癪を起こすようになったそうです。熱が何かしら影響を与えた、と判断するしかありません。
デール殿下のおバカぶりは、不可抗力とも言えます。それでも、少しくらい努力してほしいと私は思っていましたが、国王陛下は仕方ないと諦めて、息子の嫁を厳選することで、何とか守ろうとしたのだと思います。
「そう考えると良かったのかなと思います。それが殿下ご自身の実力ではなくても、人々に慕われているのであれば」
「そうだね。そう考えると、子爵家の令嬢を王太子の妃にすることを躊躇わなかった国王陛下は素晴らしいね」
「そうですね」
国のことも息子のことも、国王陛下は守ったと言っていいのでしょう。それというのも、メリル様という規格外の方がいらっしゃったおかげですけれど。
「でも、本来ならメリル様が受けるべき称賛を、デール殿下が受けていることになるのですね……」
そう考えると、気になります。普通であれば、仲違いしてしまいそうな状況です。メリル様は普通じゃないので、果たしてどう思っていらっしゃるやら……。
ということで、手紙を送ることにしました。本来なら回りくどく書くべきなのでしょうけど、メリル様相手にそれも必要ない気がしたので、遠慮なくズバズバと書いて送らせて頂きました。
そして、最速とも言える速さで手紙が返ってきました。体調も少し落ち着いているので、起き上がってそれを読みます。
『問題ナシっ! 下手に王妃が出しゃばるよりも、国王を表舞台に出しといた方が無難っ! 何かあったら、全部責任押しつけて逃げられるしっ!』
最後の一文が、冗談であることを祈りたくなるような返答が書かれていました。
責任を押しつけられたら、デール殿下のことですから、きっと何も分からないままにそのまま責任を背負って、幽閉されるなり処刑されるなりされることが目に見えています。
敬ったことなどないデール殿下ですが、不幸になっていいと思ったこともありません。殿下一人が犠牲になるのは何となくいたたまれないので、メリル様も諦めて道連れになってほしいものです。
「……ああ、もう殿下ではないですね」
陛下陛下、と口の中でつぶやきます。違和感がひどいですが、こればかりは慣れるしかありません。
さて、返事をどう書こうかしら、と考えていると、ドアが開きました。
「シャーロット、具合はどう……。なんで起きてるんだ!? 寝てろと言っただろう!?」
入ってきたのはアーサー様です。ですが、いきなり怒られて、笑うしかありません。
「大丈夫ですよ。寝てばかりいるのも良くないと医師も言っていたでは……」
「そんなことを言って、今朝も具合が悪かっただろうっ!」
「今は落ち着いておりますから」
笑いながら、私はお腹をなでます。
実は、ただいま妊娠中なのです。つわりがひどいせいで、アーサー様が過保護になってしまっています。
「大丈夫、心配しないで。あまり大事にされすぎて、私もこの子も軟弱になってしまったら困るでしょう?」
「君は少しくらい軟弱になってもいいと思う」
「それは私が嫌です。あなたの隣に立っていたいのですから」
アーサー様の腕に私の腕を巻き付けます。そして、ちょっと上目遣いに笑えば、アーサー様は大きくため息をつきました。
「……分かった、負けたよ。全く、私の妃はいつそんな仕草を覚えたんだ?」
「メリル様の真似ですよ」
「……はぁ」
再びため息です。「全くあの女は」と小さくつぶやくのが聞こえて、クスッと笑います。そんなアーサー様に止めを刺すことにします。
「アーサー様、愛しています。ですからどうか、私を信じて下さいませ」
「………………」
無言で凝視されて、やがて優しく腕が背中に回されて抱きしめられました。
「君の意志の強さに惹かれたけれど、こういうときはちゃんと心配されて、大人しくしていてくれると嬉しい」
「かしこまりました、善処致しますね」
「……大人しくする気ないだろう、君は」
諦めた声音に、私はまたもクスッと笑うのを堪えきれませんでした。
紆余曲折があって、私はあなたの妻になりました。それはとても幸運であったと思っています。心配しなくても、私はまだまだあなたの隣にいたいから、絶対に無理はしません。
だからどうかあなたも、私の隣にいて下さい。