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「もちろんだ!」
叫んで目をきらきらさせる。
そうと決まればゆっくりとしてはおれん、とばかりに箸を動かす速度が上がる。
「そんな食べ方したらお腹壊すわよ」
といいつつ、リミはそんなヒメを笑って見ている。必死な様子がほほえましい。なぜか子犬を連想してしまう。
ヒメが食べ終えたところに、ちょうど制服に着替えたリコが現れた。
「大きな声出してたでしょう、今」
リミもヒメもその声をスルー。
「なるほど、礼服に着替えてきたのか。ガッコウというのはやはり特別な場所らしいな」
制服姿のリコを見てヒメは一人合点に頷く。
それを聞いて、また母がヒメに適当なことを吹き込んだに違いない、確実に面倒なことが起きるだろう、というリコの予感は当たった。
「ヒメちゃんね、一緒に学校に行きたいんだって」
「えぇぇ」
リコの困惑した声に怒りだすかと思いきや、ヒメはしゅんとちいさくなって、おずおずと
「だめ、なのか・・・?」
「駄目じゃないけど…」
最初のころの威勢のいい態度とは大違いだ。そんなヒメの態度にリコはなぜか子犬を連想してしまった。飼い主に叱られた子犬。
「良いじゃないの。連れて行ってあげなさいよ」
しかしこの母は無責任この上ない。
「遊びに行くんじゃないんだよ」
「そうよね、学校に行くんだから」
リコは眉間を押さえる。頭がいたい。
「そもそも部外者は校内に入れないの。生徒でもないのに」
「リコの関係者ってことにすれば良いじゃない」
「どんな関係よ」
「妹とか」
「そんなすぐにばれる嘘はつきたくない」
「嘘から出た真、てことにしなさいよ」
「わけわかんないし」
「要するに、駄目…という事か?」
親子の口論を黙って聞いていたヒメがわって入った。その声音には隠せない苛立ちがある。先ほどの子犬を連想させた弱々しさはどこかに消えていた。再び不遜な態度を取り戻そうとしている。
「いや、駄目、というか、決まりなの」
「つまり駄目なんだな」
「まあ、そうかな」
「うむ、わかった」
物分りのいいヒメに、リコは胸をほっと撫で下ろす。
「だが我が輩はリコについていくぞ」
「ええええ!?」
「決めたからな」
「勝手に決めないでよ」
「決めたのだ。覆さぬぞ」
ヒメは宣告する。リコは弱り果てた。しかし言い返す暇はない。
「それより時間は大丈夫なの、リコ」
慌てて時計を見る。確かに余裕はない。そろそろ出ないと遅刻する。
リコは改めてヒメを見る。
てこでも動かんぞ、という顔をしていた。
仕方ない、学校までは連れて行こう。校内に入ると言い出したら教師を呼んで止めてもらえばいいんだし。
「わかったわよ。好きにすれば」
「無論だ」
やはりこの少女、態度がでかい。
玄関を出た所で新しい問題が発生した。
「リコ!何をしていた!」
気配を察知していたのだろう。犬小屋から出てリコを待ち構えていた麦丸が、ワン!と吠えずにそう言った.
口調は不機嫌だが、尻尾は振っている。
「俺のことを放っておくなんてなんてひどい人間だ。俺がリコとの散歩をどれほど楽しみにしているか知らないから、そういうひどい仕打ちが出来るのだ。だがまあ、今から散歩に行くというのだろう、俺は優しいからな、リコを許すぞ」
そういえば麦丸が喋るようになっていたのだった。忘れていたわけではないが、ヒメの登場で印象が薄くなっていた。そして今は麦丸が喋ることにさして驚いていない。そんな自分にびっくりだ。非常識をあっさりと受け入れすぎだ。我ながら高い適応力に呆れる。
「ほお、この世界では犬が喋るのか」
ヒメがリコの背後から麦丸を除き見る。
麦丸は警戒と威嚇の低い姿勢をとった。うなるように声を出す。
「妙な匂いがすると思えばこいつか。なんなのだ、こいつは。リコ、こいつには関わらんほうがいいぞ。俺の本能が告げている」
「妙な匂いとは何だ!無礼な犬め!」
「忠告ありがとう、麦丸。でももう遅いかも。お母さんがこの子の事気に入っちゃて」
「何?ママさんが?なら仕方ないか」
「犬の本能も母上には敵わんということか。はは」
「何を笑う、何が可笑しい!」
「可笑しいに決まっておる。これが笑わずにいられるか」
ふははは、とヒメは笑う。
うううう、と麦丸は人の声で低くうなる。
「いきなり喧嘩しないでよ」
「ふん!」
リコの仲裁も効を奏さない。二人は(いや、一人と一匹は)そっぽを向く。
溜息をつくしかないリコ。が、そう深刻になっているようでもなかった。
「ヒメも麦丸も仲良くしてよね」
そっぽを向いたまま答えないヒメと麦丸。リコはもう一度溜息をついて
「それよりもヒメ、もう行くよ。そんなに時間に余裕があるわけでもないんだから」
ヒメは仏頂面から一転、表情を輝かせる。
「おお、そうだったな。ガッコウに行くのであった。そうであったそうであった」
どうやら麦丸はガッコウには行けないようだと知ってか、勝ち鬨のような声で言う。
「では行こう、リコ。ゆっくりはしておれんのだろう」
「うん」
「待て!」
吠えるように声を上げたのは麦丸だった。
「俺も行くぞ、リコ」
「ええ?」
「俺も行く、と言ったんだ、その『ガッコウ』とやらに」
「なんだと!」
「この女がよくて俺が駄目、と言うことはあるまい。俺も行く!」
「何を言うか犬め!駄目に決まっておろうが!」
「黙れ女!お前は口を出すな!」
「何だと!」
「ちょ、ちょっと」
少し慌てるリコ。
「さあリコ!俺を連れて行け!」
「駄目だ!」
「俺はリコに聞いている!」
「我が輩の言葉はリコの言葉と知れ!」
「何を言っているんだお前は。馬鹿か!」
「何だとこの犬!」
「ふん!」
「喧嘩するな!」
リコの一喝。ヒメも麦丸も口を閉ざす。
「麦丸、とりあえずヒメと仲良くして。そうしないと一つだって麦丸の願いを聞いてあげない」
「むう」
麦丸はうなる。
「ヒメ、あんたもだよ。麦丸と仲良く出来ないなら、学校には連れて行けない」
「何?それでは約束が違う」
「喧嘩するような子との約束は守れません」
「何だそれは」
「喧嘩するような子との約束は守れません」
「……」
「喧嘩するような子との約束は守れません」
「わかった……」
「え?何?」
「わかったと言ったのだ!」
「なにが?」
とぼけるリコに、ヒメは心底腹が立った。
「犬とはもう喧嘩はせん!」
「犬、じゃなくて麦丸」
「……麦丸とはもう喧嘩はせん!」
「よろしい」
リコは笑って頷く。
「麦丸もだよ。ヒメとはもう喧嘩はしないこと」
「いいだろう。その女がおとなしくしているのなら、俺から手を出すことはしない」
「その女、じゃなくて、ヒメ」
むう、麦丸は唸った。
「……わかった。ヒメ、とはもう口争いはしない」
「よろしい」
リコは笑って頷く。その笑顔とは対照的に、ヒメは納得いかない顔でむすっと黙り込んでいる。麦丸の機嫌もいい、とは言えないようだった。
「それじゃあ学校行こうか。こんな調子じゃ本当に遅刻しちゃうかもだし」
念願かなって嬉しくないわけはないだろうが、リコにやり込められた後では素直に喜ぶのも癪なのか、ヒメはむっつり黙ったままでいる。が、長続きはしない。頬が次第ににまにまとゆるんできていた。麦丸は尻尾を勢いよく振っている。ようやくリコと散歩にいけるのだ。