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天音理子には四つ年下の弟がいる。
天音理生。
十三歳。
中学生。
今は意識もなく、病院の個室で眠り続けている弟。
不幸な事故がおきたのは一ヶ月前だった。
自転車で走行中に、横道から飛び出してきた一歩通行違反の車に、跳ねられたのだ。
それから意識を失い、目覚めることなく今に至る。
医者は役に立たなかった。
理生を目覚めさせることが出来なかった。
何故目を開けることがないのか、わからないわからない、と言うばかりだった。
家族は信じるしかない。
理生はいつか目覚めると信じ続けるしかない。
毎日、病室を訪れる。
りおが話を聞いているかのように、話しかける。
しかし共働きの両親が、欠かさず息子を見舞うのは難しい状況だった。
自分たちを攻める両親に理子は言った。
毎日来てくれるのが、もちろん理生はうれしいに決まっている。でもそのために無理をして、体を壊したりしたら理生は悲しむ。きっと自分を責める。だから無理はしないで欲しい。
「お父さんお母さんのぶんも、私が理生に会ってくるから」
両親は娘の言葉に甘えることにした。
家族そろってリオに会えるのはだから休日のみ。あとは各々が自分の時間に合わせ、リオに会うことにした。
四日前にリコと母はリオを見舞った。三日前、午前中に母が、午後からリコがリオを見舞った。一昨日と昨日は両親ともに都合が利かず、リコだけがリオを見舞うことが出来た。
今日もリオの病室に居るのはリコだけである。リコにしても家族みんなでリオを見舞いたいという気持ちはあるが、一人だけの気安さもあった。両親の前では話しづらいことでも、相手がリオだけだと気兼ねなく話せる。
とはいってもリオに意識はないから、リコが一方的に話すだけである。
今日一日の出来事、学校での様子、友人たちとしたおしゃべりの内容――そこにはやはり恋の話も入っている。友人の誰がどの男子生徒と付き合っているか、実はその二人は先日――、友人の誰はクラスメイトの男子が好きで、近いうちに告白すると言っていた――、実は自分にも気になる人がいて――、両親がいてはさすがにこんな話は出来ない。
話し終え、口を閉ざすと静寂が下りる。聞こえるのはリオの規則正しい寝息だけ。
リオは眠り続けている。
あの事故から目を覚まさない。
弟は眠り続けている。
「また明日ね」
リコはしばしの別れを告げると、病室を後にした。
***
門柱に嵌め込まれた表札には明朝体で『天音』と刻まれている。背の低い門扉をくぐると、玄関脇の小さな庭に犬小屋がある。その小屋にも表札があった。手作りの表札には『麦丸』と書かれていた。達筆だ。リコが書いたものだ。彼女は書道部なのである。
すでに小屋から出て尻尾を振りながら出迎えてくれた秋田犬の頭を撫でながら、さらに尻尾をぶんぶん振る飼い犬にリコは笑いかける。
「ただいま、麦丸」