14
夜。
病室。
リオは眠り続けている。
ずっと眠り続けている。
だから室内でどんな変化が起こっても気づかない。
空気が人の形に凝り固まっていく。
密度を増し、膨れ上がり、切り抜かれるようにして、黒い人影になった。
同じ現象が、二度、続く。
現れたのは、黒ずくめの三人。目元だけをあらわにしている。
三人は、ベッドの傍らに、並んで立っている。
表情のない同じ目で、眠るリオを見下ろしている。
すー…と、三人の腕が、同時に上がる。
その手には刃物が握られている。
切っ先は鋭い。
しかし冷たい光を放つことはなく、刀身は何かを塗りつけたように、黒くぬめっている。
三つの腕が、一本の腕のように、いっせいに振り下ろされる。
そして、三人の体は吹き飛んでいた。
壁に激しくたたきつけられる。
しかし、衝撃音が響くことはなかった。
衝撃に部屋がゆれることもなかった。
三つの体は、三枚の羽毛でしかなかったように、室内には、何の変化もなかった。
壁にたたきつけられた三人は、だが、相当の衝撃を受けているようだった。
うめき声すら上げないが、床にひざをつき、あるいは手を突いて、苦痛をこらえているのがわかる。
六つの目が、その胸にナイフを突き立て、命を絶つはずだったリオに向けられる。
リオの体から何かが出ていた。
白い煙のようなもの。
それは人の上半身を形作っているように見えた。
まるで、魂、霊魂が抜け出しているようにも見える。
輪郭をにじませていたその白い影が、やがてはっきりと形を成す。
人間になった。
青年だ。
青年が立っていた。
ひざから下をリオの体に埋め込んだまま。
ぼそ、と黒ずくめの一人がつぶやいた。
「守護者…」
青年がにっこり、笑った。
「正解です。予習は済ませてきているようですね」
黒ずくめの三人が、ゆらりと立ち上がった。
六つの目に殺意が揺らぐ。
三人はこの世界の住人ではない。
守護者にわかっているのは、それだけである。
なぜ、魔導師の命を狙ったのか?
その目的は?
彼らの正体は?
それらはわからない。
しかし、三人――
三人とは、いかにも少ない。
この人数で、魔導師をどうにかできるとでも思っていたのだろうか?
確かに魔導師は、世界が存在する限り、眠り続ける。
ならば、その命を奪うのは、実にたやすい――そう判断されたとしても、仕方ない。
しかしだからこそ「守護者」がいるのだ。
つまり彼らは、守護者に対しても、三人いればどうとでもなる、と判断したということだ。
甘く見られたものだ。
それが守護者の感想である。
だが彼が手を下すまでもない。
三人は、魔導師に指一本触れろことは出来ないだろう。
守護者が歩を進める。
黒尽くめの三人には、彼のひざから下が見えない。
まるで幽霊が近づいてくるようだった。
黒衣たちが身構える。
「無駄ですよ」
守護者がそういった瞬間、黒衣の一人が消えた。
何の前触れもなく、最初から彼は存在していなかったように、突然に消えた。
仲間が消えたことに、残りの二人は、さすがに動揺を見せた。
守護者をにらみつける。
もう無表情ではいられないようだった。
守護者は四つの視線を受けて、困ったように肩をすくめた。
「私ではありませんよ」
その言葉が終わらないうちに、黒衣の一人がまたしても消えた。
残る一人から息を呑む気配があった。
瞬時に冷静さを取り戻すと、殺意と鋭い切っ先を守護者に向ける。
どんな手段でかは知らないが、仲間たちを消したのは、守護者だと断定しているようだった。
それでも青年は言う。
「だから私ではありませんよ。あなた方を消去するのは」
残る黒衣も、守護者が言い終わる前に消えた。
「あ」
守護者が声を上げる。
「ああ・・・」
消え入りそうな弱い声で息を吐く。
「ちゃんと説明できなかった・・・」
唐突に自身の存在を消去された黒衣たちよりも、彼らに話したかったこと――
「あなた方を消去しようとしているのは「世界」そのものです。
いくらクサビが抜け、境界があいまいになったとはいえ、やはりここではない世界から来たあなたたちは「異物」でしかないのです。
「世界」は「異物」を排除しようとする――それが世界の「本能」ですから」
――それが、ほとんど何も言えなかった自分を、哀れんで嘆いているのだ。
うつむけていた顔を守護者が上げた。
視線が病室の扉に注がれる。
彼にしか見えないものを見ているような視線。
やがて、にっと口元が緩む。
「おやおや、珍しい」
守護者の呟きが終わると同時に、扉が開き、その向こうに、ひとりでに開いたドアに、目を丸くしている少女が立っていた。
「どうしました。遠慮はいりませんよ。さあ、お入りなさい」
守護者は少女に微笑みかける。
すぐには少女は動かなかった。
病室に一歩を踏み出すことは、すなわち彼女が今まで生きてきた世界から一歩を踏み出し、永遠の別れを告げる――そう感じているような、長い逡巡を見せる。
そして、歩を進めた。
彼女の両足が病室の床を踏む。
「あ」
守護者が声を上げた。
少女の体が震える。
「ドアは閉めてくださいね」
その声にゆっくりと息を吐いてから、少女は、静かにドアを閉めた。