13
シャッキリ目覚める理子にしては珍しく、寝起きの顔はまだ夢の中にいるような、ぼやあ、としたものだった。
寝たりないわけでもないのに、頭がボーっとする。
頭の中に、空気の塊を押し込められたような感じ。
今日は朝から調子悪いなあ。
思うともなしに思いながらベッドから降りたとき、反射的に身をすくませてしまう。
ヒメが布団の中で穏やかに眠っていたからだ。
そうだったそうだった、すっかり忘れていた。
「ヒメ、朝だよ。起きなあ」
ヒメの寝姿は、最後に見たときと変わっていない。
布団も乱れたようには見えない。
寝相はかなりいいようだった。
意外である。
「ヒメ、起きろお」
反応はない。
「ヒメ、朝だよお」
体をゆする。
起きない。
死んだように眠っている。
ふう。
ひとつため息をついて、理子はヒメを起こすことをあきらめた。
階下に降り、朝食の用意をしている母に挨拶する。
ヒメの様子を問われ、まだ寝てる、と答えると
「お寝坊さんねえ」
と、うれしそうに笑った。
すでに娘が一人増えたつもりでいるの違いない。
洗顔等一通りを済ませ、着替えるために部屋に戻ると、ヒメはまだ眠っていた。
着替えを済ませ、麦丸と散歩に行くことを母に告げ玄関を出る。
麦丸は尻尾を振って待ち構えていた。
準備万端のようである。
「おはよう、理子」
「おはよう、麦丸。昨日はごめんね」
「問題ない。俺は気にしていない」
「うん、ありがとう」
理子は微笑む。
その場で、屈伸運動を始めた。
体がほぐれたところで、麦丸の首輪をリードに付け替える。
心得ている麦丸は駆け出す。
理子も駆け出す。
散歩とはジョギングのことだった。
家に戻ってきたときにはさすがに汗をかいている。
ヒメは起きていた。
「どこに行っていたのだ?」
「散歩」
シャワーを済ませ制服に着替え登校する理子に、ヒメは当たり前のようについてきた。
(麦丸は「俺はもういい。飽きた」と言って、今日は一緒に来なかった)
ヒメは理子のクラスに完全に溶け込んでいた。
クラスメイトの誰一人として、ヒメを、昨日突然現れた不思議な少女、として、認識しながら、違和感を持っていないようだった。
教室内には、私語が飛び交っている。
授業中だというのに、教師は一言も注意しない。
そこにいない誰かに読み聞かせるように、教科書を読み、黒板にチョークを走らせる。
妙な雰囲気。
違和感。
前はこうではなかった。
昨日からだ。
昨日から様子が変になってしまった。
ヒメを横目で見る。
すっかり周囲とうちとけている。
もう誰に対しても分け隔てがない。
私語の中心のひとつは明らかにヒメだった。
でも理子は注意することをしなかった。
場の空気がそれを拒んでいる。
途中まで理子はまじめにノートを取っていた。
でも馬鹿らしくなる。
クラスメートとのおしゃべりに加わった。
放課後になった。
今日は部室に顔を出す。
ヒメもついて来たものだから、ちょっとした騒ぎになった。
いつの間にかヒメは有名人になっていて、しかも、美少女転校生とか某国のお姫様とか、色々と尾ひれがついてきて、その真相を知りたい部員たちからの、質問攻めにあってしまったのだ。
もちろん三十秒も経たず、ヒメは癇癪を起こした。
「えーい!うるさい!うるさい!うるさいわ!」
叫んで部室を出て行ってしまった。
呆気にとられる部員たちの中で、いち早く立ち直ったのは、やはり理子。
部長に一言断りを入れ、ヒメを追いかける。
(その際、そのままもう帰ることにすると告げた。理子の事情を知っている部長は、もちろん了承した)
ヒメは校門のそばに立っていた。
通りがかる生徒たちが興味深げに視線を投げかけてくる。
ヒメはむっつりと黙り込んでいる。
何かに気づく。
理子だ。
途端にそわそわしだす。
きつく唇を結んでいるのだが、今にも頬が緩みそう。
理子が目の前まで来ると
「遅いぞ」
怒ったように言った。
そのくせ、表情は緩んでいる。
ヒメの態度が照れ隠しだということはわかったが、それでも理子はひとこと言いたくなる。
「おそいぞ、じゃないでしょ。勝手に出て行ったくせに」
「皆がうるさくするからだ。これでも我慢して聞いていたのだぞ。しかし何を言われているのかさっぱりわからなかった。だから出てきたのだ!」
自分の正当さを主張するヒメに、理子はあきれる。
「我慢、て・・・。三十秒と持たなかったくせに」
「もういいではないか、そのことは。それよりもこれからどうするのだ。帰るのか?」
最初からねちねち責めるつもりはない。
理子は答えた。
「ううん、病院」
「リオに会うのだな!」
「そうだけど」
なぜか誇らしげに胸を張るヒメ。
「何なの?」
思わず理子はたずねている。
「リオは我が輩の弟になるのだな!?」
ずいぶんと気の早いことだ。
もう天音家の一員になったつもりっでいるらしい。
しかしヒメがリオの姉になる、といったほうが正しくないか?
いや、それも違う。
「どっちかって言うと、ヒメが妹じゃない?」
「いや、我が輩が姉だ。リオが弟なのだ!」
譲る気はないらしい。
それはいいとして、ひとつ確かめておかなければならないことが、理子には出来た。
「もしかして私もヒメの妹、てことになってるんじゃないでしょうね」
「いや、違う」
きっぱりとヒメ。
「理子は、その、我が輩の」
急に歯切れが悪くなる。
「お、お姉さん・・・」
真っ赤になりながらも言い終える。
胸にずきゅんと来た。
鼓動が高鳴る。
ときめいてしまった。
ヒメを今すぐ抱きしめたくなる。
どうしても頬が緩むのを、理子は我慢できなかった。
「わかってるじゃない」
ニコニコ顔で理子はヒメの頭を撫でる。
小さな子供のように扱われることに怒ったように唇を結ぶヒメ。
やはり、どうしても頬が緩むのは止められない。
病院の受付で手続きを済ませる。
昨日と同じように、ヒメは静かだ。
リオの病室の前に二人そろって立つ。
ドアを開けた。