12
私を城から連れ出した男には、覚悟が足りなかったらしい。
追っ手がかかることは当然想定していただろうが、それが予想外に早かった。
遠く背後からの怒声がきこえた時、馬上で男の体が震えたのが、鞍の後ろで彼にしがみつき、今は彼に頼るしかない私にはわかった。
手綱捌きが荒くなった。
馬腹をけり馬をせかすが、そう簡単に速度が上がるものではない。
こちらは二人乗り。
追っ手のそれは、当然一人一騎だろう。
いづれ追いつかれるのは目に見えている。
そうすれば捕らえられ、私は城に連れ戻される。
もう二度と外に出られないように、軟禁されるに違いない。
男は――もしかすると、殺されるかもしれない。
いや、きっと殺される。
その覚悟が男にあったのか――そうは思えなかった。
何を考えたか、男は馬を下りた。
私にも降りるよう促す。
仕方なく、男の手を借り馬から下りた。
私の手を引いて、男は走り出した。
馬が走り去っていく。
一体どういうつもりなのか。
何度か問いかけたが、男は答えなかった。
荒い息で走り続けるだけだ。
彼は、自暴自棄になっているのかもしれない。
逃走をあきらめ、自分の命の終わりを思い、絶望しているのかもしれない。
そして私を道連れにしようとしているのかもしれない。
もしそうだとしても、私はそれを受け入れるつもりだった。
たとえ生きながらえても、あの城に連れ戻されれば、死んだも同然だから。
急に彼は立ち止まった。
振り向いて私を見る。
その目つきは、とても冷静なもののそれではなかったが、私は彼の目を見返した。
この状況で冷静でいられるものなど、そうそういるはずもない。
男は荒い息を吐きながら言った。
「ヒメ。私はこのまま、大罪を犯したものとして処刑されるでしょう。そんな私に、ヒメ、どうかお情けをください。私の思いを遂げさせてください!」
一緒に死のう――と、いうことか。
私はうなづいた。
途端、男が覆いかぶさってきた。
「ヒメ。ずっとお慕い申し上げておりました!」
衣服に手をかける――引き裂く――男が何をしようとしているのか、ようやく理解できた――私を犯そうとしている!
ここにきてやっと、私は自分の愚かしさを知った。
それでは、私はまだ夢見ることを忘れることが出来なかったのだ。
私の中にはもう絶望しかない――そう思っていたが、絶望しきれていなかった。
男が私を迎えに来たとき、城を抜け出したとき、愚かにも私は彼こそが彼こそが私の救い主だと、夢見てしまっていた。
しかし彼は、私に懸想し、私を自分のものにしようとしているだけの男だった。
救いなどはなかった。
現実があるだけだった。
しかし男はその現実からさえ、逃げようとしている。
逃げなければ――姿を隠さなければならないこのときに、私を手篭めにしようとしている。
錯乱している。
それは私とて同じだった。
男の、伸ばしてくる手、服の上から体をまさぐる手が、私は恐ろしかった。
固く目をつむる。
あらん限りの声で叫んだ。
――男が襲い掛かってくる気配が消えた。
そっと目を開ける。
混乱した。
夜だったはずなのに明るかった。
いつの間にか建物の中にいる――そう見える。
体を起こそうとした。
指先一つ動かせなかった。
言い知れぬ不安が襲ってくる。
私はすでに死んでいるのではないか。
抵抗をやめない私にいらだった男に殺されてしまったのではないか。
死んだ後まで意識があるなんて最悪だ。
永遠の眠りどころではない。
「く」
声が出た。
「くくくくく」
暗い笑い声。
私はゆっくりと立ち上がった。
それではここは死後の世界だ。
確かにこの明かりは、日の光ではない。
作り物の光。
窓から見える外は夜のようだった。
もれ出る光が照らす建物は、城に連れて来られる前の施設を思い出させた。
歩く。
歩き続ける。
背後からぴたりと焦燥感がついてくる。
一体ここはどこなのか。
見知らぬ場所――というだけではなく、びりびりとした違和感がある。
空気がささくれ立っているような感覚。
ここにいてはいけない。
ここにはいたくない。
不安よりも焦燥のほうが強かった。
私の足は速まる。
違和感が私を急き立てる。
等間隔でドアが並んでいる廊下。
深く考えず、私はドアのひとつに手をかけた。
不思議なことにその瞬間、違和感も不安も焦燥も、消えていた。
頭から水をかけられたように、冷静を取り戻していた。
そのことに、新たな違和感を覚えながら、私はドアを開けた。