10
リオが入院してから、学校帰りに病院によるのは日課になっている。
授業が終わるといつもは部活に向かうのだが、今日は休むことにした。
理子が部室に行くともれなくヒメがついてくるのは明らかで、そうなったら部活どころではなくなる。
隣のクラスの部活仲間に休む旨を告げて、理子は帰路に着く。
校門を出ると、今までどこで時間をつぶしていたのか、麦丸が駆け寄ってきた。
「ずいぶんと長い間いるのだな、学校とやらに。で、用事は済んだのか」
「うん」
麦丸に答え
「これからどうするのだ。このまま帰るのか?」
「ううん。ちょっと寄る所があるから」
ヒメに答えながら、どうしようか・・・と、理子は考えていた。
リオを見舞う間、ヒメには待っていてもらおうか?
ヒメがおとなしく待っているはずもない。
病室に一緒に行こう。
うん、決めた。
その前に釘を刺しておかなければならないことがある。
「どこに行くのだ?」
案の定、目をきらきらさせてヒメが聞いてくる。
「病院」
我が輩も連れて行け!
ヒメが言うより先に、理子はヒメの望みを叶えてやった。
「一緒に来てもいいけど、これだけは守ってよ」
理子はヒメの前に回りこむと、その目を覗き込む。
「絶対騒がないこと。静かにしていること。わかった?」
「うむ、わかった。うるさくはしない。静かにしているぞ」
「うるさくすると追い出されるんだからね」
「うむ、任せておけ!」
自信たっぷりに、ヒメは胸を叩いた。
「ずいぶんと静かなのだな。ガッコウとは大違いだ」
「病院だからね。体を悪くしている人たちがゆっくりと休むところなの。だから静かにしていないといけないんだよ」
「なるほど」
足音が廊下に響く。
時々、人とすれ違うが、理子は軽く会釈するだけで、言葉を交わさない。
ヒメも理子を真似て会釈する。
ヒメは戸惑っている。
あまりにもガッコウと様子が違う。
ここが厳粛な場だということはわかったが、だから理子は黙りこくってすたすた歩いて無表情でいるのだろうけれど、まだ短い時間とはいえ、会ってから理子とは騒いでばかりだったヒメには、理子が知らない人のように感じられる。
戸惑う。
理子が扉の前で立ち止まった。
この扉の向こうに病人がいるのだろうということは、さすがのヒメにも察せられた。
「ここに誰がいるのだ?」
「弟」
ヒメは、すぐには言葉を次げなかった。
「病気なのか?」
「病気、ではないんだけどね」
答えながら、理子は扉をノックし、返事を待たずに中に入った。
「リオ、来たよ」
ヒメも理子の後に続く。
扉を閉めた。
「きょうはお客さんがいるよ。ちょっと変わったお客さん」
一言いってやりたかったが、我慢しておいた。
それよりも未だ返事がない。
理子は気にした様子もなかった。
ベッドの傍らにある小机に置かれた花瓶の花を捨て、変わりに、買っておいた二輪の花に差し替える。
備え付けのパイプ椅子を二脚用意すると、そのひとつに座り、ヒメにも座るように促した。
目を覚ます様子もなく、ベッドで眠り続ける少年。
こやつが理子の弟なのか?
そんなはずはない。
ヒメは彼に見覚えがある。
理子がベッドの少年に声をかける。
それが、ヒメには奇異に映った。
「この子の名前はヒメ。何でだか今日、家にいたの。あ、変て言えば麦丸がしゃべるようになったんだよ。さすがに連れてこれないけどね」
いつの間にか麦丸が喋っているという事実を受け入れている。
朝はあんなに混乱していたというのに。
そんな自分に苦笑しながら、ヒメに改めて弟を紹介する。
「ヒメ。この子がリオ。今は眠ってるから挨拶できないんだけどね。ごめんね」
ヒメから言葉が返ってこなかった。
ヒメは食い入るように、リオの寝顔を見つめている。
「どうしたの?」
理子が声をかけると
「魔道師だ・・・」
ヒメがつぶやいた。
言葉の意味が理子にはわからない。
「マドウシダ?」
「ああ、魔道師だ。理子の弟は魔道師だったのか?」
「いや、意味がわからないんだけど」
「だから魔導師なのだ。理子の弟は魔道師だったのか?」
同じ言葉を繰り返す。
二回繰り返されても、理子にはやはり、ヒメの言葉の意味がわからない。
「誰かと勘違いしているんじゃない?」
「いや、そんなはずはない。我輩が魔道師を見間違うはずがない」
「そもそも誰なの?マドウシさん、て」
「魔道師というのはだな・・・」
と、そこでヒメの言葉がとまった。
「一言ではうまく説明できん。魔道師は魔道師としか言いようがない・・・」
「ふーん」
理子の気のない返事。
「後でゆっくりと説明してやろう」
「いらない」
即答される。
ヒメのほうは、すぐには言葉を返せなかった。
「何だその態度は!人がせっかく親切に教えてやろうというのに!」
声が出せればそう叫んでいたが、ヒメの反応を予期していた理子が、すばやく彼女の口をふさいだのだ。抗議の言葉も出せない。うー、むー、と声を漏らすだけだ。
理子はまったく意に介す様子もなく、ベッドのリオに向かって言った。
「ごめんね、リオ。今日はなんだか騒がしくなりそうだから、これで帰るよ。明日はゆっくりしていくから、それで許してね」
リオに向けていた笑顔から一転、まだうーうー言っているヒメを睨み付ける。
「静かにしてって言ったよね」
凄みの効いた低い声。ヒメは声を上げるのをやめた。
「病院を出るまで喋らないって約束できる」
きつい視線、低い声。身の危険を感じるほどだった。
ヒメは無言でうなづく。
理子はにっこりと笑って、ヒメを解放した。
ヒメを先に病室から出させる。
扉を閉める前に、もう一度、眠り続ける弟に声をかけた。
「じゃあね、リオ。また明日」
廊下を歩いていく理子におとなしくついていくヒメだが、ぶすうっと頬を膨らませている。
内心煮えくり返っている。
なんなのだ!なんなのだ!なんなのだ!
――なぜか理子の弟が魔道師だった。
混乱しているのは我輩だというのに!
――それでも、魔道師とは何者かを説明しようとした。
それなのになんなのだあの態度は!
――それも理子の求めに応じてだ。
許せん!許せん!許せん!まったく許せん!
――病院を出たら間髪おかず、耳元でがなりたててやる!