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序文

昔々あるところに、偉大な魔導師がおりました。


いえ、これは間違いです。申し訳ありません。


昔々あるところに、ただの魔導師がおりました。

なぜなら彼が偉大となるのは、もっとずっとずっとずっとずっと後のことだからです。

魔導師は常々考えておりました。

世界について。

世界の成り立ちについて。

もちろん、科学者が用意した回答が、魔導師の求める答えではありませんでした。

認識論――とでも言うのでしょうか。

人は何故、世界を『世界』として認識するのかと考え、答えを求め、苦悩していたのであります。


申し訳ありません。

魔導師の考えることはあまりにも複雑で、学のない私ごときでは、言葉としてうまく表現できません。

ただ魔導師の考える『世界』が、わたしたちのかんがえる「世界」と同じものではない、ということだけは、はっきりしております。

それでいて、やはり『世界』は『世界』なのです。

あまり言葉を費やしても混乱するばかりです。


魔導師は考えました。


たとえばもし、目をつむった人がいたとして、その人は『世界』を認識しているのだろうか。

なるほど目が見えずとも他者の存在を知ることがが出来れば、その人はその他者から世界の存在を推し量ることが出来るかもしれない。

だがそれは『世界』を認識したことになるのだろうか。

その人が認識したのは、『他者』でしかない。

『他者』と『世界』は同一ではない。

『世界』の独自性がここにある。

やはりその人が目をつむっていたとして、『他者』を感じなくても、『世界』を知ることは出来るだろうか。

その人は、自分が目をつむっていることを知っている。

自分が世界に存在していることを知っている。

しかしそれは『世界』を知っているということではない。

その人はただ、経験上、世界が存在しないと、自身も存在しえない、と知っているだけに過ぎない。

目をつむっているその人が認識しているのは、ただ『自分』だ。

それは『世界』を認識しているということとは違う。


たとえばもし、人間という人間が一人残らず目を閉じたとして、そのとき『世界』は認識されているのだろうか。

『世界』は存在しているといえるのだろうか。


魔導師は回答を得るためにある実験を行いました。

その魔道の力で人々の大多数を消去し、残った数少ない人々を、いつ目覚めるとも知れない眠りにつかせました。

この『世界』で目を開けているのは、ただ魔導師のみ。

『世界』を見ているのは、魔導師のみ。

『世界』は、魔導師が見た『世界』へと、姿を変えていきました。



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