第4話 人質王女となった経緯
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現在は苦境に立たされている身ではあるが、クレアは間違いなくブラウ帝国の左隣に位置する小国、ユーリ王国の第三王女である。
クレアは、父である国王オドアケル三世と母である王妃ノラとの嫡出子であり、五歳までは渓谷に囲まれた自然溢れるユーリ王国で育った。
二人の姉や兄と同じように、彼女も乳母や侍女たちに囲まれて大切に育てられたのだ。
兄妹喧嘩をしたことはあっても、誰かから虐げられることなどは全くなく、平穏な日々を送っていた。
だが、そんな彼女の日常は五歳の時に突如として崩れてしまったのだった。
それは、「隣国のブラウ帝国が一方的に宣戦布告を突きつけ王都まで攻めてくる」という内容の一報から始まる。
元々ブラウ帝国とユーリ王国は過去に何度も一戦を交えていたが、ここ一世紀の間は休戦協定を結んでいた。
だが、突如ユーリ王国が不戦条約を破ったとして、使節がその報復を行うと開戦宣言書を突きつけてきたのだ。
国王夫妻はその事態に対処をするべく、王都民の各領地への避難と自分の子供たちを同盟国へと疎開させることを決定し、クレアは乳母のメリッサと共に隣国のコチョウ王国へと向かうことになり馬車に乗り込んだ。
だが、何故かその馬車はコチョウ王国ではなくブラウ帝国へと向かい、クレアと乳母は関所で待ち構えていた憲兵たちに捕らえられ、そのまま皇宮とへと連れて行かれてしまったのだ。
そうして皇帝はそのままクレアを人質として捕縛することを決定し、その引き換えにユーリ王国への宣戦布告を撤回したのだった。
いわばクレアの命と引き換えに祖国ユーリ王国は窮地に一生を得たのだが、……幼いクレアにはそんなことは理解ができなかった。
ブラウ帝国に連れて来られた当初は、現在の皇女宮ではなく、皇宮の広大な敷地内の一角に建つ平家の離れに、帝国へ共に連れて来られた乳母のメリッサと共に暮らしていた。
本来、王族の人質とは大事な政治の駒となり得るので、丁重に扱われるものである。
ましてや、現在のクレアのように食事を蔑ろにされたり、衣服も満足に与えられないような境遇は、帝国のこれまでの歴史や他国の例を鑑みても中々見受けられない。
だが、クレアは慣例からは外れて、離れでは殆ど乳母のメリッサと二人で暮らしていた。
見張りの為に専属の護衛騎士は常に駐在していたが、専属の侍女は付かず自分たちの身の回りは殆ど自分たちで行っていた。
食事に関しても自分達で薪を起こし、配給される食材で料理をして賄っていたのだった。
ユーリ王国では、小国ながらも食事は王城の料理人が作った温かい食事を毎日家族と食堂で和気あいあいと食べていた。
だが離れでは、メリッサがいるとはいえ彼女ばかりに任せるわけにはいかないと、クレアは連れて来られた日の翌日からメリッサと一緒に炊事をした。
不慣れであったので最初はすぐに手が傷だらけになったし、洗濯や掃除、薪割りなども行ったので手は豆だらけになったが皮が厚くもなった。
そうした暮らしが七年を過ぎた頃、乳母のメリッサが流行病で亡くなってしまった。
病で床に伏せた時点で、すぐに本宮から医者を派遣してもらい治療を施してもらったのだが、それでも病には勝てなかった。
そうして、無理やり連れて来られた敵国で、唯一の味方だったメリッサが亡くなった。
──その日からクレアは、敵国にたった独りで生きることになったのだ。
『クレア様……、申し訳ございません……』
『メリッサ……。私の方こそ、助けてあげられなくて、故郷に帰してあげられなくて……ごめんなさい……』
クレアはメリッサが亡くなった後も離れで一人で暮らすことを希望したが、皇帝はそれを許さず彼女を皇女宮へと移した。
それは、今から五年ほど前のことであり、クレアは皇女宮に住むようになって三ヶ月ほどは、簡素ながらドレスの着用を許されていた。
また、皇女宮に移り住む前は、時折離れに訪れる講師により最低限の講義は受けていたが、皇女宮では決まった日に皇女たちと共に講義を受けることができるようになった。
だが、それがきっかけで最初は自分に対して無関心だった皇女たちが、段々とクレアに対して嫌悪感を曝け出すようになっていったのである。
どうやら、クレアが自分たちよりも講師から評価が高かったことが癇に障ったらしい。
そうして、クレアは皇女宮で暮らして四ヶ月目に入る頃には衣服を下女の衣服に替えられ、これまで日に三度皇女たちと共に摂っていた食事は殆どパンのみとなり回数も二度に減らされ、食事場所も食堂ではなく私室で短時間で摂るように言いつけられた。
また、クレアの私室も移動させられ、現在の居室は元々物置部屋だった部屋であり、居住用ではないのでとても狭かった。
一体どこから入手してきたのかと首を傾げたくなるほど、倒壊寸前の酷く軋むベッドが一つ辛うじて置かれ、あとは換気用の窓と小さなテーブルという到底王女の部屋とは思えない部屋であった。
この世界では、権力者が正しいと言えばそれがたとえ間違ったことであっても、それがまかり通ってしまうのである。
そのような環境に置かれながらも、クレアはじっと耐えていた。
当初は祖国から助けが来てくれるかもしれないと思っていたが、講師から国際事情を学ぶようになると、それは儚い希望なのだということを知る。
この列強国である帝国に祖国が逆らうことなど、絶対にできないと悟ったからだ。
だが、クレアは絶望に呑み込まれたり、周囲の人間に媚びて現在置かれている環境を良くしようとは微塵も考えなかった。
それは亡くなった乳母のメリッサとの彼女が生前からの約束があったからだ。
『クレア様。何があってもご自分をお責めになられたりせぬよう。そして周囲の絶望に呑み込まれてはなりません。あなた様には大きな希望があるのですから』
『希望?』
『はい』
その希望が何なのか詳しいことは聞くことはできなかったが、クレアは何故か漠然と今でもその希望が自分の奥深いところで息づいているように感じていた。
だから、彼女は今日も顔を上げて足をしっかり大地に付け、今を生きているのである。