第七話(愛猫家 奴隷乙)
相川が嶋を連れて無事に去っていったことを確認すると、匠は用務員さんである秋津と向き合う。
「ありがとうございました。秋津さんのお陰であいつらも一旦ひいてくれたみたいです」
丁寧に頭を下げる匠にたいして、柔らかな表情のまま用務員さんは語りかける。
「ほっほっほ、いいんですよ。ですがねぇ、一応は何があったのか、大凡の推測はつくものの、貴方の口から事情を説明して貰っても宜しいですかな。一旦と仰有ったのは、これが最後と思っておられない。根本的な解決をみていないと思っておられるからでしょう。それは私も同じですよ。若人のお力になることはこの学園にいるものの使命ですからな」
表情は何処までも優しく、言葉も柔らかいにも拘わらず、有無を言わせない圧力を匠は感じた。
匠は僅かな逡巡のあと、なんにせよ、報告の義務のようなものがあるだろうこと、現状で学園においては信頼出来ると思われ、実力もあることが明白な人物であること、何よりも悔しいし、腹立たしいが、敵対していると思われる秋村を中心とした最低でも三人に現状では勝ち目が薄いことで、匠は用務員さんを頼ることにした。
かつての匠であれば、例え自分がどうなろうと頼るなどしなかっただろうが、今の匠は自身の軽率な判断が心音を巻き込んでしまったという罪悪感と、何よりも、匠は「誰か」を守ることを選択していた。
匠は今日起こったことを箇条書きのように伝えていく。呼び出しを受け、現場へと赴き、そこで嶋を発見後に相川が能力を使い合流、確認はとれていないが、相川の話では嶋の家が燃え、嶋の母親が操られていた様子だったことを伝える。
そこでひとつ間をおくと、用務員さんは無言で続きを話すように微笑みかけるので、相川に能力を使い嶋を逃がすよう提案し、結果として相川の能力でここまで全員で逃げたと説明を終えた。
「以上が、今日あった顛末です。その上でこれは推測ですけど、相川は嶋の母親が、市野村がよく咥えてる棒つきのキャンディを持っていたと言ってました。何故そんなことと思いますが、俺たちに協力する者がいる可能性を考えての警告か何かでしょうか。
とにかく、市野村と秋村、その他にも協力者がいて、俺と心音を排除しようとしてるのは間違いないです。理由まではよく分かりませんが気に喰わないんでしょうか」
そこまで言って、匠は要領を得ないなと我が事ながら思ったが、用務員さんのほうは得心する部分があったのか何度か頷いたあと、柔らかい表情のまま、やや固い声音で話しだした。
「私のほうで彼等の行動や能力を把握している範囲で、貴方のお話と合わせて考えるならば、彼等は武内先生の指示に従う形で、其々の思惑のもと、貴方たちの能力である『テレパス』の力を失わせるつもりでしょうね」
そうして、用務員さんから語られた内容に匠は困惑する。
「なんで指導教諭の武内先生が」
「戸惑うのも無理はありません。武内先生は正義感が強く、そのために間違いを犯した生徒にたいして処罰を与える役を担っていますが、得てしてそうした力を持ち、役職を与えられると、人間というのは自分の指針を絶対と思い違い、誤った価値観を築き上げてしまうものです。武内先生は自身が看破できないテレパス能力者を警戒する心が変質し、いまやテレパスを憎悪してしまっています」
確かにテレパスなんて気持ち悪いと思われても仕方ないけど、強制的に排除するほど憎悪するってと、匠は呆気にとられて、そのままに訊いてしまう。
「憎悪って、なんでですか」
「武内先生が与えられている役割は彼の能力に起因しますが、その一つとして相手の能力を概ね把握出来るのですが、テレパスを看破出来ないんですよ。そのことを当初は警戒していた。しかし、自分が看破出来ない能力、これを次第に『そんな能力は間違いだ』と、自分の能力の欠陥を認めるよりも、テレパス側に問題があるのだとすり替えてしまったんでしょうねー。さらには自分が看破出来ないにも拘わらず、心を読まれるともなれば、それは屈辱なのでしょう。能力偏重主義の彼のような人物には。正直、彼にはあの役目はあっておりません。このような事態を起こした以上は彼を粛正することもやむを得ませんな」
用務員さんの語ることが事実ならば、指導教諭としては相応しくないこと、この学園ならではの「指導」を担当していながら、それを恣意的にねじ曲げたことは疑いないんだろう。
そして、武内先生については、なぜか不思議な権限と実力を併せ持っていると思われる目の前の用務員さんによって処理されるのだとは思うけれど。
それでも、秋村はじめ、敵対している生徒の問題はまだ残っている。
ここで今まで黙っていた心音が話し掛けてくる。
「ねぇ、匠。なんで一人で解決しようとしてるの」
心音にとっては純粋に疑問だった。読み取れる匠の意志は「俺が何とかしなくちゃ」というものだ。
用務員さんの言葉を信じるなら、もう自分たちの実力を超えてしまっている。武内先生については用務員さんに任せようと思っているようだけど、それすら、安心よりも悔しさが先に出てる。
全部、自分で解決したい。という想いが渦巻いていて、何でそんな無茶苦茶な考えにいたっているのか、そこが「見えない」のだ。
心音の言葉にショックを受けた匠は思考が停止してしまった。茫然自失というやつで、本当に真っ白になってしまい、余計に心音は困惑する。
「ほっほっほ、若いですなー。お嬢さん、男の子と云うものは、意中の女性には格好つけたいものなんですぞ。まして、その女性に危機が迫っておるなんてなれば、ヒーローよろしく、自分が助けるんだって思うのは、いつの世も変わらぬ男の子心ってやつですな。それが見えないのは当たり前、本人だって自覚なんてしておりませんよ。ただ、一心に貴方を護るのは自分だと信じ込んでおるんです。ダークネスの彼がただ一つの想いに拘泥し、心を閉ざしておるのとは対照的であり、相似しているようでもありますな」
心音は言われたことの意味を理解し、赤くなり、今度は匠と同じく茫然自失となることとなったが、反対に匠は用務員さんの言葉に恥ずかしい想いを暴露されて、ふざけるなと制止しようかと思ったところで、秋村の能力のことを言及する部分に食い気味に声を荒げる。
「秋村のダークネスについて、わかるんですかっ! 」
それならば、光明がある。先ほど何で一人でやろうとするのかと疑問を呈されたばかりだが、そんな事は頭に無かった。とにかく、現状を打破出来る手札が欲しいと焦っているのだ。
「良いですかな、テレパスの男子よ。テレパスを『覚』の力と過小に考えてはなりませんよ」
しかし、用務員さんから語られるのは全く別の話題だ。だからこそ、匠は苛立って怒りをぶちまけそうになるが、心音が先に反応したことで機先を制される。
「過小に考えるって、テレパスってそういう能力でしょ」
「確かにそうですな。しかし、それは表層に見えている部分、テレパスの能力の本質ではありませんな。
テレパスは考えを読むだけでなく、何と無く相手の思考を僅かに誘導できると気付いていますか」
その言葉に二人は顔を見合わせてから、其々ばらばらに頷いて返す。
「これも、本質的な能力の影響で起こっている二次的なものでしかありません。テレパスの能力とは『相手の身体イメージを奪いとる』ことですから」
とんでもないことを言われて二人は訳がわからなくなる。自分たちの能力が何をどうすれば、そんな凄そうな能力になるのだ。何から質問したらいいのか、そもそもそんな話が信用出来るのか、さっぱりわからない二人は押し黙る。
「ほっほっほ、良いですかな。感情を司るのは大脳視床下部から側頭葉にかけて存在する『A-10神経群』です。ここは感情の他に身体イメージ、つまりは脳内に仮想の肉体をつくる場所でもあります。
人間はこの脳内の肉体と実際の肉体をリンクさせ、互いにフィードバックすることで身体を動かしているんですぞ」
「じゃあ、その身体イメージを奪うことが出来れば」
「相手の動きを制圧することも、その身体イメージにダメージを与えることで間接的に『痛み』を感じさせることも可能でしょうな」
「やり方を教えて下さいっ! 」
匠は食い付いた。しかし、心音はそれを聞いて自分の能力を更に嫌悪していた。只でさえ気持ち悪い能力、必要ない能力なのに、その上、他者を明確に傷付けられるなんてと。
「お嬢さん、勘違いしてはいけない。どんな能力も使い方しだい、彼が君を助けようとしたとき、ダークネスの能力を超えてお二人が共鳴したことは、この能力の正しい在り方なんですぞ」
二人はなんぞ恥ずかしいことをまた言われて、否定したい気持ちに駈られるが、能力の正しい在り方とはと、用務員さんを見つめ返して言葉が浮かばない。
「ほっほっほ、A-10神経の異常は『ファントムペイン』や『ドッペルゲンガー』の原因とも言われています。脳内の身体イメージと実際の肉体との乖離が起こることは、様々な悪影響を及ぼすわけですな。ですが、反対にそうした歪みを正して、病みを解消することも出来るのです。お二人はお互いの感情を共鳴させ、其々の脳へと干渉するほどの次元へといたった。それは互いに相手を助けたいと思う心がシンクロしたからですぞ。匠くん、君は秋村くんたちを倒したい訳ではないはずだ。君にとって大切なのは心音さんを守ること、それを間違えなければ、彼等との問題も解決できる。君の心と彼等の心を繋ぐことが君なら出来るはずだ」
「そんなこと言われても、良く分かりませんよ」
匠は混乱していたし、煙に巻かれたような気分にもなった。だが、心音は違った。
「ねぇ、匠。今度はこっちから仕掛けよう。正面から、私たちの何が気にいらないのか、ぶつけてみようよ。用務員さんが言ってるんだし、匠は私を守ってくれるんでしょ」
真っ赤な顔で言う心音に、やっぱり真っ赤になった匠は反射的に返してしまう。
「当たり前だろっ! 何だろうと絶対守ってやるっ! 」
「ねぇ、それって告白」
「はっ、ちげーよっ。なんで、そういうことになるんだよ」
「はいはい、そういうことにしといたげる」
二人は知らず、能力が制限して相手の心を読まないでいることに気付いていない。彼等はお互いを想い合う心で、その力を高めていた。
そんな様子を微笑ましく眺める用務員さんは
「ほっほっほ、青春ですなー」
と煽って、二人から散々に抗議されたが、内心では武内たちへの怒りを燃やしていたのだった。