第六話(弓良 十矢 No War)
相川智浩は駅舎の時計を気にしていた。
日曜日の十時少し前、智浩は駅前のバス停の柱に寄り掛かっていた。友人の嶋ゆめと、でかける約束をしているのだが……ゆめはやわらかい雰囲気を持っていることもあって、時間にルーズそう、といわれることもあるらしいが、実際はきちんと約束をまもるタイプだ。少々ぬけているところはあれど、連絡もなしに約束の時間に遅れる子じゃない。
なのだが、ゆめはもう三十分近くも遅刻していた。
もしかして、と智浩は考える。下心ミエミエだった?
智浩はゆめと友人だ。友人なのだが、もう少し親しくなりたいとも思っている。具体的にいえば、彼女と付き合いたい。
小沢や城山のようなわかりやすい美人タイプではないのだが、ゆめは可愛い。それに、いつでもさわやかな風を吹かせているというか……付き合いをしていて清々しいのだ。彼女はひとを信頼できるひとだ。
それは俺にはない、と智浩は考えている。
智浩は小・中学校と、学校へ行くのが苦手で、智浩が不登校気味になる度に家族がそれに合わせて転校したり、智浩だけ親戚に預けられて今までとまったく別の地域の学校へ通ったりしていた。それもあって、転校ばかりで友人らしい友人はできなかった。
中学三年から急に学校へ行けるようになり、親戚中から心配されていた高校進学も無事果たした。そして、学園で出会ったのがゆめなのだ。
ゆめとは一年の時に、クラスが一緒になった。二回目の席替えで隣の席になり、智浩が読んでいた本をきっかけに話すようになった。その後、クラスメイトを交えて数人で遊園地へ行ったり、初詣へ行ったりした。
ただ、ふたりででかけるのは今日がはじめてだ。でかけられるとすれば。
「姉ちゃんの誕生日が近いんだけど、どんな店でプレゼント買えばいいかわからないから、選ぶの手伝って」なんて口実でゆめと今日の約束をとりつけたのだが、智浩の気分としてはこれはデートだった。
智浩は頭を搔き、上着のポケットにいれたケータイをとりだす。ゆめからの連絡はない。十五分前、すでに一度、「おはよう」とメッセージを送っていた。既読にはなったのだが、ゆめはそれに対して返事をくれない。ここで更にメッセージを送っても、しつこいと思われるかもしれない。
智浩は溜め息を吐き、腕を組んだ。「女の子とでかける」とばか正直にいった所為で、姉にあれを着ろこのスニーカーにしろとあれこれ指図されてしまった。だからたぶん、女の子とでかけるのに違和感のない格好になっているとは思う……が、肝腎のゆめがやってこない。
駅から出てきたひと達がやってきて、バス停の付近はひとが増えてきた。部活の集まりでもあるのか、ジャージに学校指定の鞄の女子達が居て、智浩に手を振ってくる。「相川じゃん」
「おはよ」
「おはよー。部活?」
「練習試合だよ」
「相川は?」
「待ち合わせ」
女子達はくすくす笑い、かっこいいじゃん、と智浩の肩を殴るみたいにしてから、滑りこんできたバス停にのった。
ゆめが、バスで駅から十五分ほどの場所にある雑貨屋さんに、可愛いものが沢山ある、といっていたので、そこへ行く予定だ。
駅舎の時計は十時十分を示している。智浩は唸って、十時半までここで待って、来なかったら諦めよう、と考えた。その場合は流石に、脈がない、ということだろう。
ゆめは来なかった。誰も居なくなったバス停のベンチに腰かけていた智浩は、かけ声を出して立ち上がる。まあ、一瞬でもデートできるかもと思えたし、昨夜うきうきしていたのも事実だ。姉ちゃんに楽しみも提供した。
ゆめの側にもなにか事情があるかもしれない。突然家族が倒れたとか、家が火事になったとか、宇宙人にさらわれたとか。
「今回は、残念でした、ってことで」
智浩は自分にそういいきかせて、ぺちんと両手で頬を叩き、頷いた。明日、学校であっても、問い詰めるようなことはすまい。
そう考えていたけれど、哀しいのは事実だ。智浩は、せめて断りのメッセージくらいくれればいいのに、と思いながら、家へ向かって歩き出す。
自覚している以上に、智浩はショックをうけていた。
ぼーっとしていた智浩は、気付くとゆめの家がある区画に居た。智浩の家があるのとは、駅をはさんで反対側だ。
昨夜、一緒に買物をして、姉ちゃんが教えてくれたケーキ屋さんへ行って、それから家まで送って……と考えていた所為か、足が自然とこちらへ向いたらしい。
智浩は赤面して、数歩後退った。これじゃあ、文句をいいに来たみたいだ。彼女に見られたらどう思われるか。
立ち去ろうとした智浩は、ふと鼻先をいやな匂いが掠めて、動きを停めた。煙……?
「火事だ」
きょろきょろと周囲を見る。黒煙が立ち上っているのが、手前の建物越しに見えた。
胃がひっくり返ったかと思った。ゆめの家の方角だ!
智浩は駈けだしていた。
悲鳴と怒号が聴こえる。テスト前に勉強会と称して集まり、その実みんなでゲームをやったゆめの家は、すでに炎にほとんど覆われていた。辛うじて、二階の窓近くだけが無事だ。
普段燃やさないものが燃えているいやな匂いがする。
「おばさん!」智浩はゆめの母親を見付け、駈け寄った。肩を掴む。「ゆめは?!」
ゆめの母親は茫然としていて、智浩に対して返事をしない。右手に大事そうに棒付きキャンディを握りしめている。どうしてこんなものをもってるんだ?
近所の家や商店から、消火器を持ったひと達がやってきて、炎に消火剤をぶちまける。
「ゆめは」
はっとして智浩は、ゆめの母親を見た。
「しんだわ」
死んだ?
爆発音がして、ゆめの家の玄関扉がふっとんだ。智浩はそれを見ると、迷わず燃え盛る炎のなかへとびこんだ。
「ゆめ!」
一息ごとに咽が、気管が、肺が、焼けるようだ。
智浩はけれど、その痛みを無視し、ゆめを呼びながら必死で火のなかを歩いた。ごうごうと音を立てて家具が、そして家そのものが燃えている。炎は舌を伸ばして智浩を舐める。
ゆめの家へ遊びに行くと、みんなでおやつをもらったリビングに、ゆめのケータイが半分蕩けて落ちていた。台所は火の海で、近寄れない。もしかして部屋に?
智浩は咳込みながら階段をのぼる。ゆめの部屋は二階にある。
だが、そこにもゆめは居ない。
ゆめはこの家のなかに居ない。
智浩は激しく咳込み、はっと、ゆめの母親が何故か棒付きキャンディを持っていたことを思い出した。
踵を返す。階段を飛び降り、智浩は外へ出た。髪や眉毛を焦がし、服も焼けこげだらけの少年が転がり出てきて、集まっていたひと達がどよめく。
「おばさん、ゆめは居なかった! まだ生きてる!」
智浩はそれだけいうと、咳込みながら走った。背後で、棒付きキャンディが落ちる音がした。
ゆめがどこに居るかをさがす必要はなかった。彼はひとが居ない路地に飛び込むと、その場から姿を消した。
智浩は超能力者だった。ただし、力は強くなく、限定的だ。瞬間移動ができるのだが、重量と距離と回数に制限がある。
彼が現在の体重で瞬間移動できるのは、一日に二・三度が限界だった。それ以上でも無理すればできるが、失敗して半月ほど生死をさまよったことがあった。
「自分が持っているもの」は自分の一部として瞬間移動させることができるのだが、その分も体重にカウントされる。
だから、ゆめの家のなかへは瞬間移動せず、ゆめを助けてから瞬間移動しようと考えた。それなら確実に、一度は瞬間移動できる。
だが、ゆめは居なかった。だから智浩は、「ゆめのところへ」と念じて瞬間移動を行った。
「っうわ」
しっかりと場所を指定できなかったからだろう。智浩はしりもちをついていた。「相川?!」
はっと顔を上げると、そこには小沢と、佐々木という男子が居た。
そして小沢が、意識を失ったゆめを膝に抱えている。
「ゆめ」
「相川くん、あなたどこから……」
小沢も佐々木も口を噤んだ、顔を見合わせ、似たように眉を寄せる。智浩はゆめが呼吸していることを確認し、ほっと息を吐いた。
それから周囲を見る。ここは……川沿いの廃倉庫だ。シャッターが壊れているのではいりこむ生徒が居て、全校集会で近寄らないようにと注意されていた。その壊れたシャッターから光が差し込み、河原が見える。
「相川、きみ、もしかして」
「瞬間移動してきた」智浩は頷く。「で、市野村は?」
小沢が口を開いたが、智浩は彼女に喋らせない。「市野村が持ってた棒付きキャンディをゆめのお母さんが持ってた。ゆめはしんだなんていって。ゆめの家は火事になってる」
「は?!」
「俺は市野村には絡まれたことがあるから知ってる。あいつは自分に仲間が居るようなことをいってたから、そいつがゆめのお母さんになにかして、ゆめをつれさったんだとおもって」
「火か」佐々木が小さくいう。「雷が落ちて火事になることもあるよな」
「それで市野村は?」
余計な説明は不要だと思ったのだろう。小沢が早口でいった。「わからない。ここが一番影の出来ない場所だからここに居るの」
「秋村がなにかしたんだと思う。あいつら、俺達をここへ呼び出したんだ。嶋さんを助けたかったら来いって」
「成程」
ゆめは小沢と親しくしていた。というかゆめの場合、大体のクラスメイトと親しくするのだが。
「ねえ、相川、君の瞬間移動で逃げられないか」
「ゆめだけでもなんとかならない?」
小沢の言葉に佐々木が頷いた。智浩はここから目的地までの距離、それにゆめの体重、小沢と佐々木の体重、を考える。自分の体重の二倍までの重さなら、確実に瞬間移動できる。距離と体重には相関関係があって、距離が短ければ体重は少しくらい増えても問題ない。
智浩は、考えなしにゆめの家のなかへ瞬間移動しなかった自分に感謝した。
「ちょっと我慢して」
「え?」
小沢とゆめの手を重ねて両方に自分の右手が触れるようにし、佐々木の手首をひっつかむ。「ちょっと――」
四人の姿が廃倉庫から消えた。
頭はがんがん痛いし、気分は最悪だった。だが、智浩は立ち上がった。
彼が立っているのは校庭だ。日曜日の学校には、生徒は居ないようだった。
小沢が擦りむいた膝を撫でていた。「どうして学校に……」
智浩は返事をせず、その場に唾を吐いた。耳鳴りがする。
「相川くん」
遮光器土偶のような眼鏡をかけた用務員が、清掃用の道具を手にやってきた。「誰が校庭を掃除しているか、考えたことは?」
「あります、秋津さん。すんません。処罰はうけます。ただ、俺よりもっと悪質な連中が居るんですよ」
「悪質?」
「学校外で勝負を仕掛けてくるやつらのことです。それも、普通の生徒を人質にとって」
咳込むと咽が痛かった。火傷したのだろうか? 呼吸が普段よりも苦しい。
用務員は頷いた。「それはけしからん」
市野村が校門の向こうに居るのを見て、智浩はいい気分だった。
「どうしてあんたが」
「今からゆめを家へ送り届けるんだよ。話なら明日にしてくれる?」
智浩がゆめを負ぶっているのを見て、市野村は露骨に顔をしかめる。がりがりと飴をかじる。
「俺それきらいだわ」
「あんたの好みなんて知らない」
「じゃあな、市野村、秋村」
秋村の姿は見えなかったが、どこかには居るのだろう。用務員が門扉を動かし、智浩は学校の敷地から出る。
「市野村さん、きちんとしたものではない勝負はよくないね」
「……気を付けます」
市野村は不機嫌そうながらも非を認めた。智浩はもう一度、じゃあな、といって、その場を離れた。小沢と佐々木には申し訳ないが、今はゆめを優先したい。
「ともくん?」
秋村がなにをしたにせよ、さすがに普通の生徒であるゆめにあまりにも苛烈な力をぶつけることはなかったようだ。彼女は智浩のせなかで目を覚まし、もごもごとわびた。「ごめん……約束……おくれて……」
「いいよ」智浩はかすむ目に、まだくすぶっているゆめの家と、座り込んで泣く彼女の母親を見た。「また今度、付き合ってよ」
智浩はそういいながら、その場に倒れた。