第五話(しいな ここみ)
雨が降ったわけでもないのに、空は雨上がりみたいな爽やかさだった。
3人は並んで、一言も会話を交わさずに、しかし楽しそうに、学校の帰り道を歩いていた。
(心音はこの子のことが好きなんだな)
匠はテレパシーで話しかけた。
(言葉にはなってないけど、そんな感情をふわふわと感じるよ)
(うん。ゆめちゃんは唯一、心を許してる、ほんとうの友達だよ)
心音がチラッと隣を歩く嶋ゆめを見つめ、心で答えた。
(彼女といると、安心するんだ。心の声が聞こえても、ちっとも嫌じゃない)
匠は(そうだな)と答えながら、ゆめの心の声を聞いていた。
『楽しいなー。3人で、なんにも会話してないのに、なんでこんなに楽しいんだろ。相性がいいのかな、あたしたち。ココとはもちろん、佐々木くんとも? あたし? ふふっ。付き合うことになっちゃったりして? いやいや、ないない。(ヾノ・∀・`)ナイナイ。そんな気はないけど、3人仲良しな友達になれたらいいな』
(こっ……、こんな……)
匠のテレパシーがうろたえた。
(こんな邪念のない人間がいたのかよ……!)
(でしょ?)
心音のテレパシーが答える。
(少なくとも学校では、私が大好きなのは、ゆめちゃんだけ)
(えっ? 俺は?)
(ハァ? ほぼ会ったばっかりでしょ? 直接会話したの、ついさっきだし)
(俺もいいやつだよ〜。わかるだろ?)
そうテレパシーで言う匠の心の奥に、心音はしっかりと『下心』を感じ取っていた。言語化はしていないが、間違いなく、自分のことをエロい目で見ているのがわかる。
でも、それが不思議に嫌じゃない。むしろ、なぜか嬉しいとさえ思えた。それはまるで自分のことを蹂躙したがっているような他の男子のそれとは違って、優しくふわりと自分を包み込むような、暖かい下心なのだった。
(まぁ……。必死になって私のこと助けてくれたしね。少しぐらいは好きになってもいいかな?)
(大好きになってくれよ〜)
匠のテレパシーの言い方がおかしくて、心音はクスッと笑ってしまった。
「あれ、ココったら、思い出し笑い?」
ゆめが振り返り、ツッコむ。
「何? 何を思い出したの? もしかして彼とのエッチなこと?」
「(ヾノ・∀・`)ナイナイ」
心音が笑って答える。
(これって……、もしかしてこれも何かの超能力?)
匠がテレパシーで心音に聞いた。
(この子といると確かに癒やされるようだ。ふわふわと居心地がよくなる)
(ゆめちゃんは『ふつう』だよ? 何の能力もない)
(まぁ……。この学校、能力のない普通の生徒もいっぱいいるからな。でも……、これはまるで癒しの超能力だ)
(まぁね)
心音はふふっと笑ってしまった。
「あ、また!」
ゆめが素速く回転するようにスカートを広げ、心音を指差す。
3人の笑い声が爽やかな青空に広がった。
Psy Psy Psy Psy
「せんせぇ〜」
市野村唯が、甘えた声を出す。
「これってぇ〜、おかしくないですかぁ〜?」
「おかしくはない。菓子類の持ち込みは校則で禁止されている」
職員室に呼び出されたにしては嬉しそうな表情で、唯はツインテールをゆんゆん揺らし、全身をもじもじさせている。
スチール机に向かって、教師の武内は、唯のほうには興味もなさそうに横を向いていた。真面目一徹のような声で、さらに言う。
「それにお菓子だからといって『おかしくないですか』とか……ふざけるんじゃない。ダジャレも私は嫌いだ」
「えー? 今のはダジャレじゃないッスぅ〜」
「失礼します」
秋村郁人が職員室に入ってきた。
「武内先生、頼まれていたプリントを印刷してきましたよ」
「ああ、すまんな、秋村。職員室のが壊れていてな……。面倒を頼んで悪かった」
「いえいえ。お安い御用ですよ」
秋村がいつもは自分の『配下』から受けるような、従順な笑いを浮かべ、それから唯のほうを見た。
「唯、おまえ、何やったんだ?」
「せんせいとデートしてるだけだよぉ。職員室デート♡」
「棒つきキャンディーを持ち込んでいたんだ。校則違反だ。まったく、けしからんやつだ」
そういう武内に、秋村はなるべく逆らわないような態度で、冗談を言う口調で、言った。
「先生……、前から思ってましたけど、その校則っておかしくないですか? だって購買でお菓子を売ってるのに?」
「どうあろうとルールはルールだ!」
武内は冗談の通じない目つきで秋村を睨むように見る。
「先生は正しいことが好きだ。正しくないやつを見ていると許せないんだよ。そういうやつを見ると、消したくなる」
「消したくなる……?」
「あ……、いや。なんでもない」
今の言葉は武内の『能力』のヒントだろうか、と秋村は思った。武内の力の強さはひしひしと感じながら、しかしそれを試してみたくもあった。
何よりこの正義漢ぶっている教師にも闇の一面はあるはずだ。それを見てみたくなり、秋村は、『ダークネス』の能力をこっそりと、武内に使ってみることにした。
秋村の瞳から光が消えた。
真っ暗な、穴のような目で、武内を見つめる。
それだけで武内の心は秋村のほうへ引き寄せられ、明るいところへ引きずり出され、何も見えない闇の中へ落ちる。
心を闇に支配された武内は、助けを求めてもがくように秋村の思い通りになる。
そのはずだった。
「やめろ」
そう言って、武内が左手を軽く振っただけで、秋村の『ダークネス』が砕け散った。
驚く秋村に、武内は厳しい視線を向けると、教育者らしく言う。
「私が若い教師だからといって舐めるんじゃない。私はこの学校の全教師の中でも特別重要なポストにあるんだ」
「生活指導よね、せんせぇ」
唯がきゅんきゅんするように身をよじる。
「真面目なとこが大好き!」
「もしかして……」
秋村が動揺する。
「評価の下がった退学者を……学校から追放する時に、能力を消す役目の教師がいると聞くけど……それを執行するの、アンタか!?」
「さぁな」
武内は顔を背けて言った。
「少なくともおまえの能力が『ダークネス』だということは知りおいている」
「お……、俺の能力を消したのか!?」
「消去してはいない。今だけ相殺しただけだ」
秋村をギロリと睨む。
「しかし、その能力を悪事に使用するようなら、遠慮なく消去するぞ」
「し……、失礼します」
逃げるように出て行こうとする秋村の背中に、唯が声を投げた。
「あっ、郁人! 例のテレパス使いのことだけど……」
それを耳にして、武内の表情が変わった。
「……テレパスだと?」
問い詰めるように唯に聞く。
「テレパシーを使う生徒がいるのか!?」
横から秋村が言った。
「あれ? 知らなかったんですか、先生?」
「私の情報にはないぞ! この学校の生徒にテレパスはいないはずだ! なぜ私の耳に届いていない!? 私はすべての生徒の能力を把握していなければならない生活指導教師だぞ!?」
知るかよ──と呆れながらも、秋村はご機嫌をとろうとする。
「よくあることだと思いますよ。情報がきちんと伝わっていなかったんでしょう」
「いや、その生徒が隠しているんだ」
武内が表情に嫌悪を露わにしたので、秋村は驚いた。
「自分が犯罪者だということを自覚していて、隠しているんだ!」
「犯罪者って……」
唯がからかう。
「せんせぇ、大袈裟ぁ〜」
「いや、おまえら、考えてもみろ」
武内が熱弁をふるう。
「テレパスというやつは、勝手に他人の心を盗み見ているんだぞ? たとえれば、他人の家の中を勝手に覗き見ているようなものだ。そして家人は覗かれていることに気づいていない。全裸で風呂に入っているところも見られているんだ。それを見ながらやつらは楽しんでいる。もし楽しんでいないのだとしても、見たくないのだとしても、見えてしまっているんだ。そんな一方的な窃視行為、許されて然るべきものだと思うか? すべての能力者の中でテレパスだけは、その能力を悪事に使わなくとも、存在しているだけで犯罪なのだと私は思っている!」
二人が呆気にとられている前で武内は立ち上がり、聞いた。
「それは誰だ? 誰がテレパスだ? 今すぐ私がそいつのところへ行って、能力を消去してやる!」
職員室の扉がガラリと開き、作業着姿の初老の男が入ってきた。遮光器土偶のようなメガネをかけていた。
「武内くん。聞いたぞ、今の話。遠くからな」
「秋津さん?」
用務員の秋津だった。
「君がテレパスくんの能力を消せば、彼らの脳の根本的な機能が麻痺し、その子の人生に大きな悪影響が出てしまう。そのことを、わかっとるのかね、君は?」
「仕方がないですよ。だからといって悪を野放しにはしておけない」
「生徒は生徒どうし、事を解決するべきものだ。公正に。教師は寛大に。ここは教師の出る幕ではない!」
「何を言ってるんですか、秋津さん? これは生徒同士の喧嘩じゃない。私は社会悪を処罰しに行くだけだ」
「どうしても、その生徒の名を聞き出し、その扉を通り、その元へ行くと言うのなら、この私を倒して行け」
「うっ……」
武内がたじろいだ。
秋津の身体から凄まじい量のオーラが立ち昇っているのが彼には見えた。
「わかりましたよ……」
仕方なく引き下がるしかなかった。
「……生徒同士ならいいんですね? 秋村、市野村……頼まれてくれるか?」
唯がぴょんと跳ねた。
「あっ、せんせぇの頼みなら、なんでも! ただしお菓子禁止以外!」
秋村が歪んだ笑いを浮かべる。
「先生の手駒に使われるなら、嬉しい限りです」
「……ま、生徒同士のことなら、私にも何も言えん」
そう言うと、秋津は職員室を出て行った。
武内が二人に言う。
「もう一人、私の手駒をつけよう」
「手駒ぁ?」
「誰です?」
Psy Psy Psy Psy
武内に指示された通り、秋村と唯が体育館裏で待っていると、その人物は現れた。
唯が嫌そうな顔をする。
秋村が驚きもせずに、言った。
「やはり君か」
「秋村くん、市野村さん……、テレパスがこの学校に隠れてたって、ほんとうなの?」
現れた人物はすらりと背が高く、長い黒髪を腰まで伸ばした、学校一の美少女と呼ばれる城山恵理子だった。
きっちりと、まるで皺ひとつないように制服を着こなし、眉に厳しく公正正大を浮かべ、口元には博愛の薄い笑みを浮かべている。
「いるよ、テレパス。二人もね」
秋村はそう告げると、面白がるように、恵理子の表情を観察するように見た。
「どうする? 次期生徒会長最有力候補さん?」
「そのひとたちには悪いけど、排除するしかないわね」
恵理子は表情を崩さずに、言った。
「わたくしの心の中を盗み見る輩は許してはおけないわ」
唯が何も言わず、横を向いてケケケッと、馬鹿にするように笑った。
「じゃあ、この3人でテレパスを排除するぞ」
秋村が言うと、唯が口からペロペロキャンディーをちゅぽんと音を立てて抜き、荒い口調で言った。
「あたし、抜ける! コイツ嫌いだもん! コイツと共同作業するぐらいなら……」
唯がキャンディーの棒を、前に突き出した。
その影が、棘のように、城山恵理子の影に突き刺さった。
影の腿の部分に突き刺さると、それはまるで電気ショックを受けたように、音を立てて弾かれた。
バチィィッ!
「きゃっ……!?」
唯がそのショックで後ろへひっくり返る。手に持ったキャンディーの棒は焦げてバラバラになっていた。
恵理子が唯を見下す。
「何すんのよ、アンタ。雑魚キャラの分際で」
威厳と優しさを兼ね揃えるヴィーナスのようだった恵理子の表情が、変わっていた。まるで残忍と強欲を兼ね揃えるヒンドゥー教の女神カーリーのように。
「ふふっ」
秋村が面白そうに笑う。
「城山はそれを見られたくないんだよな?」
「何だよ! 内面ワルイ女のくせに聖母様ヅラしやがってよ!」
唯が立ち上がった。
「そんなんで、なんでせんせぇに気に入られてんのよ! 大キライ! 殺してやりてぇわ、テメェ!」
今度は直接掴みかかろうと突進した唯の手が、城山恵理子に触れた瞬間、全身に電撃が走った。唯が痙攣しながら弾け飛ぶ。
「言っておくけど、わたくしもあなたのこと、大嫌いだから。ま、虫ケラぐらいにしか思ってないけどね」
全校の男子に人気があり、女子からも憧れの目で見られている城山恵理子は、美しいその外見の裡に、じつは人を人とも思わない唯我独尊的高慢さをもっている。
それを目の当たりにして秋村は、楽しそうだった。
「なるほど……。エレクトロキネシスか」
秋村が面白そうに呟いた。
「念動力持ち同士、唯とはつまり、同族嫌悪ってところか? クックック……」