第三話(アホリアSS)
俺は保健室のベッドで眠る心音の様子をうかがう。
寝息は少し荒く、苦しそうにも見える。
「先生、彼女はどんな感じですか」
「大丈夫。二時間ほどで目を覚ますわ。命には別条はないから」
「そうですか。よかった」
女性校医の言葉に俺は安心した。
「でも、心の方は保証しないわよ。見た感じ、鍵がかかっているから」
「ちょっと待ってください。それって治せないんですか」
「今、私が治したら、この子の評価は大きく下がるわよ。この子だって、能力を制御できるようにこの学園に来たんでしょ」
「小沢は制御に失敗したんじゃなくて、秋村のヤツに……」
「それも含めて、よ。あなたも知っているでしょうけど、この学園では能力者同士のケンカは禁止されてないの。この学園内では、大怪我をしても翌日には動けるように治してあげられるから、頑張りなさい。もっとも目立ちすぎたり、殺すような行動をとればペナルティはあるけどね」
厄介だな。秋村は相手に怪我をさせずに攻撃ができる。
この学園は、あいつにはものすごく有利なのでは?
能力者の多くは力のことを隠しており、両親も知らない場合もある。
表向きは隠されているが、この学園には特殊能力をもった生徒が複数存在している。
学園の関係者は小・中学生の能力者を発見すると、本人に接触をしてこの学園への進学を奨めるのだ。
この学園では、能力との向き合い方のアドバイスを受けることができる。
この学園には、能力のない一般人もいる。能力者の存在に気付いていない者もいるのだ。
能力者は『能力を隠すこと』『能力を鍛えること』の両立も課題となる。
『評価』の基準が不明だが、あまり下がりすぎると退学もあり得るという。
退学の際には能力を封じられることになる。
自身の能力を嫌う者は、むしろ封じてほしいと思うかもしれない。
ただ、副作用で知能指数の低下を招くこともあるので、それは最後の手段だろう。
「担任には私から伝えておくわ。あなたは午後の授業があるでしょう。教室に戻りなさい」
「はい。では心音のこと、よろしくお願いします」
午後の授業では、担任は教室の皆に「小沢さんは体調不良で保健室で休んでいる」と説明された。
俺は心音の空いた席が気になって授業には集中できなかった。
秋村の野郎は何事もなかったように平然としている。
秋村は『勝負に勝てば心音を元に戻す』と言ってたが、どうすればいい?
俺は心音と同じテレパスだ。下手すれば俺も心音の二の舞になるだけだろう。
力ずくで、なんてのも問題外だ。どうすれば……。
放課後、保健室に行くと心音は目を覚ましていた。
が、ぼんやりとした様子で話しかけても要領を得ない感じだ。
これで家に帰れるのか? 帰れたとしても家族にどう説明する?
ふと、保健室の外を見ると、秋村が歩いているのが見えた。
俺は保健室を飛び出した。
そして俺は学園の裏庭で秋村と対峙していた。
「やっぱり来たね。匠。で、俺と勝負する気になったわけだ」
「……心音がお前に近づいたのは、俺のせいだ。何もしなかったら、俺は俺を許せなくなる。で、どうやって勝負するんだ?」
「そうだねぇ……。君の能力の種類はまだわかんないけど、見たところ僕よりは弱そうだ。さてと、どうしよっかなぁ……」
秋村は暗い瞳でニヤリと笑った。
地面の落ち葉が風に煽られて飛んでいく。
その時、ザッザッ……と何かの音が近づいてきた。
そちらを見ると、初老の用務員さんが竹ぼうきで地面を掃きながら近づいてきた。
落ち葉を集めているようだ。
用務員さんは遮光器土偶のような眼鏡をかけており、ツナギの胸に『秋津』という名札があった。
俺たちの横まで来ると、竹ぼうきをクルリと返してこう言った。
「勝負は清く、審か。正しく判つ、裁きの場。その勝負、わたしに任せなさい。君たちに相応しい舞台を提供しよう」
用務員さんが竹ぼうきの柄を指をパチンと弾くと、空も校舎も地面もすべてがモノクロのようになった。
俺と秋村、用務員さんの姿だけが色がついている。
なぜか俺と秋村の間に机が1台置かれていた。
「……特殊結界か。用務員さん。只者ではないと思ってたけど、やっぱりここの教師連中より上みたいだ。で、どうやって対戦するんだい?」
秋村は相変わらず暗い目で、どこか楽しそうに笑いながら用務員さんを見た。
用務員さんが竹ぼうきの柄をくるくる回した。
「霊感、山勘、超感覚。異能に不条理、念動力。すべてが使えるこの舞台。此度の超能力対戦の題目は……」
竹ぼうきの柄で、チリトリを叩いた。
すると何枚かの落ち葉が机の上にひらひらと飛んでいった。
それぞれの落ち葉がカードのようなものに代わり、俺と秋村の間に積み重ねられた。
トランプ?
「トランプ対戦『ハイ&ロー・リバース』、8枚勝負だー!」
■□ ハイ&ロー・リバースのルール □■
・対戦者の二人は8枚ずつトランプを手札として持ち、重ねておく。
カードの中は見てはいけない。
試合前と各ターンの合間で、カードを切って重ね直すことは自由にできる。
・最初の攻撃、守りの役を決める。
・守り側は手札の山の1番上のカードを自分だけで見て、数字を覚えること。
そのカードを裏向きに出す。
攻撃側は手札のカードを1枚、表を上にして出す。
・攻撃側は自分の数字が相手より大きいと思ったら「ハイ」、小さいなら「ロー」と宣言。
今回のルールでは、ジョーカーが一番大きく、K、Qと続く。Aが一番小さい。
・宣言後、守備側は裏返しの自分のカードの数値を宣言してから表に返す。
攻撃側が正解なら、両カードを攻撃側の取得札として積み上げる。
間違っていた場合は、捨て札に積み上げる。
守備側が自分のカードの数字を正しく言えなかった場合は、攻撃側の勝ち。
両カードが同じ数字の場合は、攻撃側の勝ち。
・攻撃と守りを交代して続行。
互いの手札が無くなれば終了。
取得札の多い方が勝ちとなる。
取得札が同数の場合は引き分け。
■□ ルールはここまで □■
「なるほどね。用務員さんがこの内容を選んだってことは、匠の能力は透視じゃあなさそうだな。まぁ、いいや。初心者の君にはハンデをあげるよ。引き分けなら君の勝ちにしてやろう」
「このゲームは……心理戦か?」
俺の知っているトランプの『ハイ&ロー』は攻撃側が裏向きだったと思う。
このルールでは、守り手がカードを見たときの心を読むテレパシー勝負か?
俺は覚悟を決めた。
「わかった。俺もそのゲームで勝負する。それで秋村、先攻後攻はどうする?」
「先手は譲ってあげるよ」
用務員さんが「それでは勝負開始!」と宣言した。
秋村が手札の山から一枚目のカードをとり、中身を確認する。
俺は秋村の心を読んだ。『5』か。
いや、そんなに簡単に読めるものなのか?
あいつは心音がテレパスであることを知っていた。
転校してから、俺は心音と実際に会話をしたことはないんだ。
俺がテレパスであることも想定しているに違いない。
やつは俺のテレパシーをごまかしている!
俺は手札から、カードを出した。俺の数字は『8』。
さて、秋村の札が本当に『5』だとすると、答えは『ハイ』だ。
でもあれがハッタリだとすると……。
「ロー」
俺はそう宣言した。
「そうかい。こちらの数字は『5』だ」
秋村が札を返すと確かに『5』だった。どういうことだ?
場の二枚の札が捨て札となった。
次は俺が守る番だ。
自分の手札を1枚取って、数字を確認。『3』だった。低い。
ほとんどの場合、相手が『ハイ』で正解になりそうだ。
秋村が自分のカードを出す。『J』、つまり11だ。
「俺の答えは『ハイ』だ。まぁ、普通はそうなるよな」
「う……。こちらのカードは『3』だ。正解だ」
秋村は取得札を2枚獲得した。
俺の手札は残り6枚。
次は俺が攻める番だ。
秋村が自分のカードを見た。
テレパシーで思考を読む。『4』の数字が浮かぶ。
本当に? いや、そんなはずはない。
俺は自分のカードを出した。『6』だった。
秋村のカードが『4』のはずがない。もっと大きい数字に決まっている。
「ロー」
俺が宣言すると、秋村は暗い目でニヤリと笑う。
「そんなんで俺に勝つつもりかい? あまりにも弱すぎて興ざめだ。こっちのトランプは『4』だ」
そんな……。俺は目の前が暗くなったように感じた。
「それじゃあ、次は俺の攻撃だ。匠、カードをめくりな」
俺は震える手でカードをめくる。『10』だ。
裏返しにカードを置いた。
秋村は自分のカードを出した。また『4』の数字だ。
「ロー」
秋村が短く宣言した。
「お……俺のカードは『10』。せ、正解だ」
また取られてしまった。すでに手札が残り半分になった。
まずい、まずい、まずい。このペースだと負ける?
そもそもハンデがなければ、この時点で秋村の負けはなくなっているのだ。
まてよ……テレパシーで読んだ通りなんだ。読み通りで対応すれば勝てるか。
いや、そんなはずはない。序盤でそう思わせて、後から俺のテレパシーを逆に利用してくるつもりか?
最初はテレパシーの読み通りに取ればよかったのか。
今さら悔やんでもダメだ。どうすればいい?
どうしようもないのか? 俺は……勝てない?
何をやっても、俺は……あいつには負ける?
(呑まれちゃダメッ! 匠、相手のペースにハマッてるよ)
心音?
(自分を信じて、自分のペースで戦って! がんばれーっ)
心音だな? 大丈夫なのか?
しばらく呼びかけてみたが、応答はなかった。
だが、確かに聞こえたんだ。心音のテレパシーが確かに。
俺は大きく深呼吸をした。
さっきまでは気づかなかったが、心に黒い重圧が感じられる。
秋村が何かを仕掛けていたんだ。思考を誘導されていたのか?
俺は精神的なガードをかけた。テレパスに心を読ませない技の応用だ。
勝負はここからだ!
* * * * *
次のターンの俺の攻撃は、俺のカードがAだったので運よく勝てた。
そして、なんとか次の秋村の攻撃をしのぐこともできた。
次が最終ターンだ。
ここまでの取得札は秋村が1回分多い。
次の俺の攻撃で勝って、秋村の攻撃をしのげれば引き分けだ。
情けない話だが、勝ちを譲ってくれるという約束に頼るしかない。
たとえ実質的には負けだとしても、心音が助かればOKだ。
最初の2ターン以外は、俺の方も秋村の心が正しく読めなくなっている。
やはり秋村はテレパスへの対応をやっている。
そして俺の最後の攻撃だ。
秋村がカードを見た。数字が……心が読めない。
が、暗いイメージを感じる。よほど低い数字だったのか。
俺は自分のカードを出した。『9』だ。
普通に考えると『ハイ』と答えた方が確率は高そうだ。
それにさっきテレパシーで暗いイメージが見えた。
まるで悪魔のような……。あっ!
「答えは『ロー』だっ」
「へぇ……やはり、そういうことか。こっちのカードはジョーカーだ」
秋村がカードをめくった。
相手がジョーカーだと、こちらがどんな数字でもローが正解になる。
なんとか取れた。危ねぇ……。
「それじゃあ、これが最後の勝負だね。カードをめくりなよ」
俺はもう一度深呼吸をする。心を乱すな。
どんな数字が出ても平常であろう。
カードをめくると『K』。ジョーカー以外では最大の数字だ。
驚くな。心を読ませるな。裏返しで机にそっと置いた。
「じゃあいくよ、匠。勝負だっ!」
秋村が最後のカードを出した。『K』だった。
落ち着け……落ち着け……最後まで、平常心を……。
必死で言い聞かせているが、心が絶望で黒く染まっていくのを感じる。
「はははっ……。どうした? 顔色が悪いぞ、匠。俺の答えは『ロー』だっ」
「こ、こっちのカードも『K』、13だ……」
俺は自分のカードをめくった。
終わった……。俺は心音を助けられない……。
ぱちぱちと音が聞こえる。用務員さんが拍手をしていた。
「……この勝負、勝者は……」
「俺の負けだよ。匠」
「え?」
秋村は相変わらず暗い瞳で笑う。
「『引き分け』は君の勝ちっていうハンデだ。約束は守ろう。もっとも、次はこうはいかないけどね」
「こほん。それでは最終ターンのドローはハンデで佐々木君の勝ち。そうすると全体の取得札もドローとなるが、ハンデとして勝者は佐々木君としよう。ご両人ともよい戦いだったよ」
用務員さんの宣言を、俺は信じられない気持ちで聞いていた。
……勝った? いや、お情けで譲られただけだ。
周囲の風景にだんだんと色が戻っていく。いつの間にか机とトランプも消えている。
「匠、君の能力はだいたいわかった。次はこんなお遊びではなく、もっとスリリングな戦いにしよう。じゃあな」
秋村はそう言うと、俺に背を向けて歩き出した。
「はぁ……。あまり戦いたくないな。俺の完敗だった。もうこりこりだよ。用務員さん、ありがとうございます。俺だけだと、そもそも勝負にすらならなかった」
「よいよい。若人たちが切磋琢磨する姿はいいものだ。いつも『場』を用意できるわけではないが、用具や植木、校舎などを壊されると面倒なのでな」
「おかげで心音も……。って、心音どうなるんだ? 秋村?」
もういなくなっている。
俺が追いかけようとすると、用務員さんが言った。
「まぁ、待ちなされ。心音ちゃんっていうのは、あの子ではないか?」
用務員さんが校舎の出入り口の方を示した。
こちらに向けて、走ってくる女の子の姿が見えた。
「たーくみーー!」
「心音ー!」
俺もそちらに向かって駆け出した。