月の名所
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくん、懐かしいの見ているなあ。まだVHSのビデオデッキが残っていたか。映画か何かの録画と見たよ。
いやあ、地上波を自分の家で録画をするときは大変だよね。お目当ての番組をまるまる撮ろうと思ったら、間に挟まれるCMも一緒に撮るはめになる。
うむうむ、このころの俳優さん、本当に若かったんだね……ん、どうした? なんか変なところでもあったかい?
――このCM、つなぎが不自然なところがある?
ふむ、ちょっと巻き戻してもらえるかい……ああ、こいつは一時期、批判があったCMだねえ。
当初はこの不自然なシーンとシーンの間に、もう何秒か映像が入っていたんだよ。でも、そこのセリフだかキャッチコピーだかが、時節柄、不謹慎だという声が寄せられてね。
あわや放送中止かと思われたけれど、番組側が交渉したらしく、件のシーンのみを削ってCMを報じ続けたんだ。当時の年代なら、私以外にも知っている人が多いんじゃないかな。
このような公的に発信できる環境が整い、多くの者がCMを目にするようになって久しい。おかげで口コミ以外にも財やサービスを知る機会が増え、売買の範囲も広がったのは喜ばしいことに思える。
しかし、さらすということは危険も伴うということ。私が昔に体験した話なんだけど、聞いてみないかい?
夏場となると、掛布団を毛布一枚で済ませてしまうケース、結構あるんじゃないかい?
私も暑がりかつ、寝相が悪いと来ている。目覚めてみると、布団を蹴散らしていることなぞ当たり前だし、ついでに服は乱れ、頭が眠るときとは反対の布団の端に寝かされていることもたびたびだ。
私の家は、寝相の悪さこそ元気のあかし、というスタンスだったから表立って直されたことはなかった。特に子供は、それくらいの方が育っている証拠だから良いと。
だが、これをひっくり返された経験が、これからする話なのさ。
秋に差し掛かるころ。
まだ夏の残暑に汗をかきがちなある日のこと、私の寝具が急にかさ増しされた。
毛布の上に、厚手の布団が三枚。冬の最中ならまだ納得も行くが、この時期にこれだけ出されることは、私の地元ではまずないことだ。
実際に、潜り込んでみるとなかなか重い。ときに安心感さえ思える感触も、不快が伴えばたちまち邪魔者へ成り下がる。どうせはねのけてしまうだろう未来が見えて、私は親へ文句をつけるも、今日は勘弁してほしいと説き伏せられる。
なおも食い下がる私に、親はややためらいがちにこう話してくれた。
「今晩は、こわいこわーいお化けの出る日だからね。布団に入っていい子にしていないと、目をつけられてしまうのよ」
持ち上げた両手を垂らし、舌を出してみせるその格好は、古典的な幽霊をあらわす仕草。
これまで怪談話を聞かされ、さんざんおどかされてきたなら効果があったかもしれない。しかし私はここまで幽霊について、怖がる機会をさほど与えられていなかった。
とってつけたような理由に、私は不信感を募らせながらも「どうせ、役に立たないよ」と心の中でぼやいていた。
果たして、その晩のことだ。
夢をはっきり思い出せないほど熟睡していた私は、ふと自分のお腹あたりに熱いものを感じた。
ぱっと目を覚ましてみると、三枚重ねの重たい布団はすっかりはねのけられ、敷布団の隅で団子のように丸まっている。おまけに、私はズボンに突っ込んでいた、寝間着の裾をめくり上げて、おへそを丸出しにしていたんだ。
それだけなら、これまでにもよくあったこと。しかし今回は違う。
寝る前に閉めきったはずのカーテンが開いていた。
そこからはちょうど、金色の光が窓を通して室内へ注いでいたんだ。裾がめくりあがり、むき出しになった私の下腹へ、まっすぐとね。
昔の私は少しお腹が出ていた。眠っていてもそれがはために分かるくらいで、お菓子制限を課されることもあったよ。
そのお腹がいま感じるのは、日差しのもとにいるかのような暑さ。そして蟻走感にも似たくすぐったさだった。
ぽっこり膨らむ私の腹の肉。そのてっぺんを目指して、またぐらと左右の腰回りの三方から駆け上がってくる気配がする。
姿は見えない。ただ目を凝らすと、私のお腹のところどころが、ひとりでに小さく、見えないようじでつついているように、いくつもへこんでいくんだ……。
飛び起きた私が部屋の明かりをつけると、それらはもう起こらなかった。
声は出さなかったから、親には聞こえていなかったらしい。この部屋へ駆けつけてくる気配はなかったよ。
私はじかにぽんぽんと触ってみるも、もはやつつく様子はなく。ほのかに月光の暖かさが残るのみ。それも蛍光灯の明かりに押されると、ほとんど目立たない。
カーテンを敷き直し、あらためて裾も入れた私だが、明かりを消して横になっても、もう元のように熟睡できなかった。細切れに目が覚めちゃってね、そのうち夜明けを迎えてしまったんだ。
だが異変はまだ収まらない。
私のお腹は、昨晩に比べてずっと張り出していたんだ。これまで余裕のあったズボンが、きつきつになっていることで実感できた。
はじめこそ寝しなの間食を疑われるも、昨晩のことを話すと親に苦い顔をされたよ。「だから、お化けが出るといったでしょう」とお小言も付け加えられてね。
いわく、雲一つなく空へ月が浮かぶのは、ときに別世界からのレンズになることがある。ことによると私たちがテレビで別の国の様子を見るように、月のむこうの彼らもこちらを見やっているのだと。
それは、レンズを通して見るものの実在を広く知らしめる。気の早いものは、私が体験したように、すぐ現地へ飛ぶだろう。
いまの私は、さながら彼らの見るよその国の観光地だと。
その日の学校も、お腹は張りっぱなしだった。
特に給食などを多く食べたわけでもないのに、私はしょっちゅう催してトイレへ駆け込んだよ。なのに出てくるのはガスばかりで、中身はちっとも出てこない。
お尻からならまだ分かるが、こいつが前からも来るんだから、気持ち悪いことこの上なかった。人生の中で、もっともトイレを使いたくない日だったと思う。
その晩、眠る私のそばに母親がついてくれることになった。寝ている間、私のお腹をなでてくれるという。
昼間の動きを見るに、早くも彼らは観光地としての私を保存する「むき」があるらしい。ほうっておくとこのままか、さらにひどいことになると。
最初は腹をなでられるのをいぶかしんでいた私だが、思いのほか気持ちがよくて、そのうちまどろんでしまったらしい。
そうしてみる夢の中で、私は空を飛んでいたよ。
茶色の空、眼下に広がるは空を思わせる水色をたたえた野原が広がっている。私のいる世界とは何もかもあべこべだ。
飛行する私は、絶え間ない放射を尻のあたりから感じている。つまりは放屁こそが、私の推進力なのだろう。
見下ろす私は、その水色の野原のそこかしこに立つ、黒く小さい影たちを見た。
自分がどれほど高く飛び、また彼らの実際の大きさがどれほどなのかは分からない。だが彼らは一様に、蟻のような数珠状の身体と何本もの脚を生やしながら、私を見上げているようだったよ。
目覚めてみると、母親はまだそばについていたが、腹に手は触れていない。見ると私の腹の張りは、おととい並みに戻っていた。
母親によると、夜中のある時間を境に、長い長い放屁とともにお腹が引っ込んでいったとのこと。おそらく、彼らの興味がよそへ移っていったのだろう、とね。