幼馴染の苦悩
「ん……」
心地よい陽気が広がる春。窓側最後列という主人公ポジションで、飛沢白哉は頬杖をつきながら微睡んでいた。
開け放たれている窓から吹き込む風が、黒水晶色の髪を揺らしている。
そんな白哉の眠りを妨げる存在は、コツコツという足音と共に突然やってきた。
「ちょっと白哉、もう授業始まるわよ」
そんな言葉と共に頭を叩かれ目を覚ますと、眼前にいたのは燃えるような赤毛をツインテールにした少し背の小さい同級生、神奈岐鈴葉だ。鈴葉は両腕を薄い胸の前に組んで仁王立ちしている。
「ちょっと、聞いてるの!」
「……聞いてるよ。相変わらずうるさいなスズは」
「き、気安くスズって呼ばないでよ!」
「はいはい、悪かったよ鈴葉。で、そんなことを言いにわざわざ反対側の席から?」
鈴葉の席は廊下側最前列。白哉の席の対角線状に位置する。
「次の時間が数Ⅱだから、先に声かけただけよ。数Ⅱの教師、誰か寝てたりうとうとしてたりすると、クラス全員で愚痴やら小言やらを聞かされるんだから!」
「はいはい、お気遣いどーも。ほら、戻った戻った。始まるんだろ」
と雑な返事を返すと、鈴葉は怒ったように眉を吊り上げたが、時間がないことを悟ってか再びコツコツと足音を鳴らして去って行った。
ゴム底の上履きでどうやってあんな音出してるんだろうなぁ、などとくだらないことを考えていると、教室のドアがガラガラと音を立てて開けられた。
3時間目の数Ⅱを終え、男女で別れて行う四時間目の体育が終わった頃、気づけば鈴葉の姿が教室のどこにもなかった。
「なぁ、鈴葉の奴はどうしたんだ?」
鈴葉と仲のいい女子生徒に聞くと、女子生徒は少しばかり驚いた表情を浮かべて白哉の問いに答えた。
「え、知らないの? 鈴葉ちゃん、体調が悪いからって早退したよ」
「アイツ、そんなに体調悪そうには見えなかったが……」
鈴葉が早退したその日の放課後。白哉は見慣れた住宅街を歩きながらふとそんなことを呟いていた。
脳内には早退する以前の鈴葉の表情が思い起こされている。と言っても座席位置的に表情を伺う機会が少ないので、6割ほど脳内補正をかけた表情だが。
脳内の鈴葉の表情と睨めっこをしている内に白哉は自宅──の隣、神奈岐というネームプレートのついた家に到着した。白哉と鈴葉は幼馴染で、飛沢家と神奈岐家の家は隣接しているのだ。
「メッセ……は、未読のままか。まぁいいだろ」
逡巡を押しやり、白哉は神奈岐家のインターホンを鳴らした。
すぐに顔を出した鈴葉の母に促され、白哉は見慣れた廊下を進み、スズというネームプレートの下げられた部屋の前までやってきた。
「鈴葉」
ノックと共にドアの向こうに問いかけるが、返事はなかった。
近くで様子を見ていた鈴葉の母が「入っちゃえ」と言って強引に背を押すので、白哉はゆっくりとドアを開けて部屋へ踏み入った。
久しぶりに足を踏み入れた幼馴染の部屋は以訪れた時とはガラリと雰囲気が変わっていて、以前は部屋のそこら中に見られた可愛らしいぬいぐるみが影を潜め、全体的に落ち着いた雰囲気の部屋になっていた。
「鈴葉……おーい、スズ?」
ベッドで横になっている部屋の主人に声をかけるも、やはり返事はない。
買ってきたお菓子や今日の授業のノートだけ置いて帰ろうかと思ったその時、もぞもぞとシーツを動かしながら鈴葉が起き上がった。
「……ん? ……えっ」
最初は寝ぼけ眼を擦っていた鈴葉だが、次第に状況を把握しだしたらしく、カーテンの閉められた室内でもはっきり分かるほど頬を赤く染めた。
「な、なんで白哉がここにいるのよ! まさか、アンタ寝込みを……⁉︎」
「そんなわけないだろ。お見舞いだお見舞い」
あくまで冷静にそう言ってコンビニのレジ袋を見せると、鈴葉は小声でブツブツと言っていたが次第に落ち着いてきたらしく、一つ息をついてから改めて口を開いた。
「わざわざどうも」
ぶっきらぼうにそう言うと、鈴葉は勉強机の前の椅子を指差し、近くのクッションを投げ渡してきたので、とりあえず腰を落として問いかけた。
「体調不良って聞いたが、今はどうなんだ?」
「まだ本調子ってわけじゃないけど、落ち着いたわ」
「そうか。……授業中倒れたって聞いたぞ。何があったんだ?」
「別になんてことないわ。ただちょっと……」
白哉の問いに対し、鈴葉はそう言って黙りこくってしまった。本当になんでもないなら、彼女はもっと毅然とした態度で応じたはずだ。
そうしないからには、何か言いたくない理由があるのだ。とは言え女性特有の原因ということも考えられるので、正面切って聞くのは躊躇われる。
無理に聞くほどのものでもないかと割り切って顔を振ると、ふと勉強机の端に山積みになっている本が目に付いた。どうやら参考書の類のようだ。
「……ただちょっと、寝不足で疲れてた?」
白哉がポツリと呟くと、鈴葉は目を見開いて大きな声を上げた。
「ちょ、何勝手に人の机見てんのよ!」
「いや、机の中ならともかく上に置かれてるものは視界に入っちまうだろ」
理不尽な物言いに少しばかり呆れながら言い返すと、鈴葉はぐぬぬと唸ってから、観念したようにため息をついて頷いた。
「まぁ、そうね。否定はしないわ。少し棍を詰めすぎたのかも」
少しだと鈴葉は言うが、机の上に積まれている参考書は結構な量で、その隣に大量のノートが置かれているとあればその言葉が偽りであると見抜くのは容易い。
「あまり無理しすぎるのはやめとけよ。お前ならここまでやらなくても……って言うか高校のテストでここまでやる必要ないだろ。受験もあるとは言え、コレは早すぎるんじゃないのか」
白哉たちは現在高校3年生だ。受験勉強を意識するのは当然だが、寝不足で倒れるほど勉強に時間を費やすとは、少しばかり気合を入れすぎているように思える。
「別にいつからどれだけ勉強しようが私の勝手でしょ。何事も積み重ねが大事なんだから」
「積み重ねってお前……。無理しすぎて積み重ねたモン崩しちまったら元も子もないと思うが」
「うるさいわよ。昔からこうしてるんだから、もう慣れたわ。大丈夫よ」
「……大丈夫じゃないから、今日こうなってるんだろ」
あくまで冷静にそう言うと、鈴葉は突然激昂した。
「私の勝手だって言ってるでしょ!」
「なっ……。どうしたんだよ急に」
「──私にはこれしかないの。昔から、勉強以外に取り柄なんかなくて…テストで良い点を取り続けて、大学入試だって良い大学に受からないと……私は……」
語気は次第に弱まっていき、次第には目尻に涙を浮かべていた。
「私は失敗できないのよ……ずっと勉強して、頑張って良い点を取ってきたんだから……。これからもそうじゃないと、私は……私は誰にも勝てない。誰とも対等になれないのよ……!」
最後はほとんど掠れ声でそう言うと、鈴葉は目尻の涙を拭って顔を伏せた。真っ白いシーツに涙がこぼれ落ち、シミを作っている。
「……鈴葉、お前……」
今になって思えば、昔からそうだったのかもしれない。この幼馴染は昔から勉強、勉強、そして勉強と常にそればかりだったように思える。
鈴葉は努力家なのだ。それ自体はずっと昔から知っていた。白哉はそんな鈴葉に尊敬の念を抱いている。口には出さないが。
だが、そんな努力家な性格が災いしたのだろう。人一倍の向上心と集中力が、結果として鈴葉を苦しめた。
積み重ねたものが崩れてしまえば元も子もない、と白哉は口にした。だが実際はもう手遅れだったのだ。良い成績を取ったという喜びが、良い成績を取り続けなければならないという強迫観念に変貌してしまったのだ。
「私にはこれしか……」
なおもそう言って俯く鈴葉を見て、白哉は反射的に口を開いていた。
「勉強以外にもあるだろ、お前には」
ビクッと肩を震わせた鈴葉が控えめに視線を向けてくるので、白哉は鈴葉のいいところを可能な限り列挙することにした。
「まず運動神経が良い。次に面倒見がいい。よく友達のテスト勉強に付き合ってるだろ。あと料理が上手い。そんであと……は、まぁ容姿がいい」
最後は少し控えめにそう言うと、鈴葉は頬を真っ赤に染め、早口で捲し立てた。
「な……⁉︎ いきなり何言ってんのよ! ば、馬鹿じゃない⁉︎」
しまいには手当たり次第にクッションやら小物やらを放り投げてくる。
「あぶなっ、ちょ、やめろやめろ」
ガードしながら抗議すると、辺りのものをほぼ投げ尽くしてようやく鈴葉は止まった。比較的柔らかいものばかりだったが、それでもそれなりに痛かった。
「……とにかく、お前には勉強以外にも良いとこがあるってことだ。勉強で少し躓いたり失敗したくらいで、誰かから見下されることなんてない。誰かと対等になれないなんてことはない」
静かにそう言い聞かしてやると、頬の赤色が少し引いた鈴葉はおずおずとと口を開き、上目遣いに白哉を見つめてきた。
「本当に、そうなの?」
「本当だ。……こんなとこで嘘ついてなんの意味があるんだ。お前の取り柄は勉強だけじゃない。だからあんま無理するなよ。みんな心配してたぞ」
「みんな……。白哉は? 白哉も私のこと、心配してくれたの?」
そう上目遣いに聞いてくる様子は普段の気の強い鈴葉の印象とはかけ離れていて、白哉は思わずどぎまぎしてしまったが、動揺をなんとか飲み込み平静を装って頷いた。
「当たり前だろ。そうでもなきゃ見舞いになんてわざわざこねーよ」
それを聞いた鈴葉はわずかに目を見開き、次いで口元を綻ばせた。
「──そっか」
その顔が、嬉しそうに微笑むその顔がとても可愛らしく、思わず白哉は見惚れてしまった。
「……あ、ああ。そうだぞ。俺だって心配くらいする。自分の体を少しは大切にしろよ」
上目遣いな表情に続き可愛らしい笑みを向けられ動揺していたが、幸い鈴葉はそれに気づいてはいないようで、何かを決意したように一度頷き、白哉を真っ直ぐ見つめてきた。
「私、これからも頑張るわ。……もちろん、今までみたいな無理はしない程度にね。だって勉強以外の取り柄があるからって、勉強を疎かにする言い訳にはならないんだから!」
そう高らかに宣言する鈴葉の表情は、今まで以上に輝いているように白哉には思えた。
どうもお久しぶりです。結剣です。こちらある課題のために作成した短編小説でして、ツンデレキャラを書ければ……という思いのもと書きました。どうでしょう、ツンデレっぽさを感じていただけましたかね?