09.歩美の好きな人
燃えあがるような夕焼けが空全体を包み込んだ頃、監督の解散の合図と共に一斉に部室へと向かいだす野球部員達。
すし詰め状態の部室では、汗臭い野郎達が一斉に体操着を脱ぎはじめる。
場の空気を行き来するのは、今日の練習メニューが辛かったことや夕飯の話。そんな他愛のない話しに耳を傾けつつも着替え終えると、俺は一番乗りで部室から出る。
野外では、部活を終えた学生達がワイワイガヤガヤと楽しげに下校する姿が目に映る。
そんな姿を横目で見つめつつ、啓介が入部してるサッカー部へ赴くと、既にグラウンドには人っ子一人いなかった。
静まり返った空気に少し寂しさを感じていると、不意に背後から声をかけられる。
「啓介なら1時間前に帰ったけど」
「お、おわ! びっくりした。何で歩美がここにいるんだよ」
驚きのあまりへっぴり腰で振り返ると、そこには体育着からティシャツに着替え終えた歩美の姿があった。
「サッカー部に向かう姿をみて追ってきた」
「ふーん? 何であいつが先に帰宅したの知ってんだよ」
「1時間前に啓介が教えてくれたの。健太にもよろしくって言ってたよ」
「へいへい、そうですか。サッカー部はインターハイが近いのに余裕がありそうで羨ましいですね」
俺は嫌味ったらしく言ってやると、歩美は大きなため息をついた。
「はいはい。今日は練習キツかったもんね。八つ当たりしないで早く帰ろっか」
歩美は俺の腕を手慣れたように掴むと部室へ連れ戻す。
そんな姿を偶然部室から出てきた上級生達が凝視すると、露骨に口元を緩め、からかうように俺達に指をむけた。
「鈴木、まーたマネージャーに世話されてるじゃん」
「俺もオギャりてぇわ」
「おぎゃあ、おぎゃあ! 健太の真似!」
キャハハハ。甲高い声がグラウンド中に響き渡る。
「うっせーな! そんなにオギャりたいならマッマのおっぱいでも吸ってろ」
俺が反論すると、先輩達はおどけたように笑う。
「めんごめんご! 流石にマッマのパイパイは勘弁だわ。そんじゃお疲れちゃーん」
「明日も早いからきちんと寝ろよ」
「ほな、さいならー」
俺達は愉快な先輩達の後ろ姿を見届けると、歩美はそそくさと部室に人がいないことを確認して鍵を閉める。
「じゃ、私達も帰ろうか」
歩美は鞄に鍵をしまうと、俺達は自転車置き場へ向かう。
道中暫く無言が続くと、ふと思い出す今日の出来事。
大介も歩美のことが好き。灼熱の太陽の真下で告げた、真っ直ぐと見つめるあの熱い瞳が脳裏から離れない。あいつも身を焦がすほど歩美を好いている、その想いが俺の燻ぶった心に火を灯すようだった。
歩美をチラリと見ると、俺は無意識に口走る。
「歩美って結構モテるんだな」
「まあね。私って結構カワイイし?」
歩美は俺の顔を見やると、自慢気に口元を吊り上げる。そんな仕草に照れくささを覚えた俺は、咄嗟にそっぽを向く。
「ま、性格はかわいくねーけどな」
「は? それってどういうこと?」
「そういうところだろ」
そんな悪態をつきつつも、心の奥底では常に不安が行き来する。
大介は何だかんだ言って、漢らしい一面がある。俺みたいに幼馴染という立場に甘えて、告白出来ずにいる臆病者とは違う。
もし歩美が、大介の優しい一面に気づいてしまったら、一瞬で恋に落ちてしまうのではないだろうか?
そんな不安が、俺の心を奈落の底に突き落とすようだった。
「あ、歩美って好きな人とかいんの?」
平然を装ったつもりが、震える声。
そんな心境を知ってか知らずか、歩美はじっと俺を見つめると、次第に眉間に皺をよせる。
「嫌いなひとならいるけど」
「嫌いな人? 誰だよソイツ」
あまりそういった話題をしないので、純粋に気になる。
「エロ本読む男」
「それ、絶対俺のことじゃん」
「うん。そう思って言ったし」
淡々と告げる歩美の姿に、むっと唇を尖らせる。
「じゃあ、俺のこと嫌いなわけ?」
不貞腐れたまま口にすれば、淡々とした表情で返される。
「嫌いなら一緒にいるわけないじゃん」
「なんだよそれ」
そんな発言に翻弄されつつも、俺は再度口にする。
「結局さ、誰が好きなわけ?」
「エロ本読まない男」
「ふーん。要するに俺以外ってことね」
「別にそんなこと言ってないでしょ」
「じゃあ、俺がエロ本読むのやめたら好きになるのかよ」
勢い余って口走ると、歩美の口元は狐を描く。
「どうだろうねぇ。足りない頭でせいぜい考えてみたら?」
歩美はわざとらしく笑う。
「足りない頭ってなんだよ。俺はそこまで頭悪くねぇし」
「はいはいそうですね。まずはエロ本捨ててから考えてみても遅くないんじゃない?」
「ああ、そうかよ。なら捨ててやる。エロ本を処分して、歩美が俺のことを好きになるか見ものだな」
勢い任せで告げた言葉に妙な照れくささを感じ、思わず視線を逸らす。
暫く沈黙がはしると、歩美がゆっくりと口を開く。
「てかさ、私だけに聞くってズルくない? 健太は好きな人とかいないわけ?」
ぎこちない言葉が放たれる。どこか緊張した面持ちが、俺にも伝染るようだった。
「い、いるけど?」
思わず声が上ずる。やけに鼓動が鳴り響き、身体の熱が頬に集うようだった。
歩美の瞳が向けられる。無言のまま見据えられると、核心を迫るように問う声。
「誰?」
「別に誰だっていいだろ」
咄嗟にはぐらかすと、歩美の顔がぐいっと近づく。思わず顔を逸らすと、歩美は満足気に口元を緩めた。
「言い忘れたけど、私は意気地なしな男も嫌いかもね」
「ちょ、置いてくなよ」
俺は急いで自転車を取りに行くと、歩美の背中を無我夢中で追いかけた。