08.恋のライバル
真夏の直射日光が俺の肌を焦がそうとする。
放課後のグラウンドはピークを過ぎた暑さだというのに、先ほど飲んだスポーツドリンクが全て額から滲みでそうなくらい汗が噴き出していた。
俺は部室前の日陰に足を運ぶと、だらしなく足を崩す。体操服の襟元をパタパタと動かせば、自然とドアの壁に掛けられた温度計に視線がむかう。
「36度……」
額の汗を体操服で拭うと、俺はグラウンドをボンヤリと見つめた。
「ブッヒ、ブヒヒヒ!」
グラウンドを走る、大介の姿が視界に映る。
ふざけた掛け声と、日に焼けたぽっちゃり体型のせいか、大介は黒豚と呼ばれていた。当の本人もそんなあだ名を気にっているようで、積極的に自嘲的な掛け声をあげて周りを笑わせていた。
「先輩、お先に」
「くそー、黒豚に抜かされたー」
グラウンドに響く三年生の声。気づけば先輩達を抜かし、大介は先頭を走っていた。暑さのせいで、大量の汗が服にへばりついているが、バテ知らずなのか平気な顔をしてペースをあげている。
「マジかよ。今年の一年すげぇな」
息を切らしながら、やっとの思いで言葉を返す先輩の姿を見て、思わず俺も頷いた。大介はぽっちゃり体型にも関わらず、驚くほどのスタミナ力があった。下手すれば二年、いや三年生よりも体力があるかもしれない。
今日は顧問からグラウンドを50周しろと無茶振り言われたが、ご覧の通り大体の奴らは離脱していた。理由は言うまでもなく、この茹だるような暑さ。走りに自信がある俺でも、これ以上走るとぶっ倒れると判断し、40周はしたが途中で終わらせた。
夏を最後に引退する三年生は根性で全員走りきり、2年生は俺を最後に挫折。そして1年で最後まで走り込みをしているのは大介だけ。
元サッカー部ということもあり、走り込みはお手の物だそうだ。入部動機は、歩美に一目惚れという不純なものだったが、根性は人一倍あるようで日々懸命に励んでいる。
そんなことを考えていると、急に肩をポンっと叩かれる。振り返ると、タオルを差し出しながら、悪戯げに笑う歩美の姿があった。
「お疲れ。これだと来年の主将は、大介くんが選ばれたりしてね?」
「は、はあ!?」
思わず声を張る。確かに大介は、唯一1年でベンチ入りをした優秀な部員の一人。だが、三年生以外が主将になった話は聞いたことがない。そんなことがあれば、来年三年になる俺達の恥。
そんなことを考えていると、力強いホイッスルの音がグラウンド中に響き渡った。
「集合!」
顧問のかけ声と共に、グランド中央に走れば、野球部員は手慣れたように整列する。
「今日は猛暑のなか走らせて悪かった。日射病にならないように十分水分をとってくれ。実は昨夜、公園で野球部員が酒盛りをしているという連絡があった」
その言葉に衝撃がはしる。夏の甲子園を控えている今、大きなトラブルを起こさないように口を酸っぱく言われているのだ。
「真偽を確かめると、本人達は概ね認めた。私達は今回の事態を深く受け止め、退部処分と謹慎を言い渡した。これによりレギュラーが一人抜けたので、ベンチからレギュラーを決めたいと思っている」
ガヤガヤと声が騒がしくなる。そういえば先輩がいないだとか、元々アイツは素行が悪い等と様々な声が行き来する。
そんな騒ぎを遮るように、大介は声をあげた。
「あの、レギュラーは1年生でも選ばれる可能性はありますか?」
野球部員の視線は、一気に大介へと向けられる。
「勿論1年も例外じゃない。基本的に実力重視だから安心しろ」
「そうですか。ありがとうございます」
大介はお礼を告げると、口元をニヤリと釣りあげた。そんな様子を見逃さなかった俺は、ブルリと背筋が震えるのを感じた。
顧問の長話が終わると、休憩を言い渡される。各自、水分補給を行っていると、大介が俺の元へ近づいてきた。
「健太先輩、お疲れさまっす」
「お疲れさん。先輩ら抜かして、最後まで走りきるってマジですごいな」
「お褒めの言葉、うれしいっす。歩美先輩の特製ドリンクがあったからこそ、最後まで走り切ることができたって感じっすかね」
「ああ、あのドリンクね」
ふと思い出す、歩美の手作りドリンク。
前は予算の都合で麦茶が多かったようだが、歩美がマネージャーになってからは、低予算で手作りできるスポーツドリンクを作ってくれるようになったのだ。
材料は確か、水と食塩と砂糖とレモン汁が入ってると聞いたことがある。レモンは部員の家で実っているのを使用してると聞いている。
これがまた美味い。絶妙な塩っけと甘さが堪らない。ほのかに香るレモンの匂いも絶品だ。気づけば水筒の中身が空っぽになってしまうほどに。
「確かにあのドリンク美味いよなぁ。手作りクッキーも上手いし」
ついついそんな言葉を口走ると、大介の穏やかな態度が一変する。
「健太先輩は、いいっすね。歩美先輩から手作りクッキー貰えて」
大介は少し不貞腐れたように返せば、わざとらしくため息をついた。
「欲しいなら頼むけど?」
「そうじゃないっす! 俺の為に愛のクッキーを焼いてほしいんですよ」
「そんなこと言われてもなぁ」
俺だって、そんな愛がこもったクッキーを貰った経験なんて、中学以降だし無理だろ。
そんな煮えきらない態度をしたのが悪かったのか、途端に大介の表情が目に見えて明るくなる。
「もしかして、健太先輩も貰ったことがないんですか?」
大介は小馬鹿にするように鼻で笑う。
「……悪いかよ」
不貞腐れたように返してやれば、大介は弾けるような笑みを浮かべた。
「なら俺、本気でレギュラー狙います」
「は? 急になんだよ」
突然の宣言に困惑する姿を気にせず、大介は口にする。
「歩美先輩って可愛いですよね。料理上手で気遣い上手。俺、ひと目見た瞬間、恋に落ちちゃって」
「……だからなんだよ」
「俺、歩美先輩に告白します。だってそうでしょう? 今まで歩美先輩は健太先輩に好意があると思っていましたが、当の本人はそうじゃなさそうですし」
そんなことを淡々と告げる姿に、強い憤りを感じた。心の奥底から燃えたぎる炎は簡単に燃え尽きるものではない。
俺だって歩美が好きなのだ。そんなそこらのひよっこに歩美を取られるだなんて考えたくもない。
俺はそんな見え透いた挑発にのってしまう。
「へえ、随分と簡単に言うじゃん。三年と二年の壁はキツイぞ?」
「ただの走り込みでへたる、2年生と健太《・》先輩にだけは言われたくないっすね」
「よくもまあ、舌がまわる」
「健太先輩こそ、その自信満々な鼻を折ってあげます。いつまでも幼馴染が傍にいることなんて有り得ないってことを」
大介の瞳がギラリと揺れ、口角が釣りあがる。そんな自信満々な姿をみて、俺はさらなる挑発を試みる。
「お前って、レギュラー選ばれただけで告るわけ? 俺は既にレギュラーだけど?」
わざと幼稚な発言をしてやれば、大介は挑発に応えるように楽しそうに笑う。
「やっぱ、先輩も好きなんですね。でも脈なしっすよ。幼なじみで高校一緒でも無理なんですから、それが答えですね」
「バッカじゃねぇの? それは歩美にしかわからねぇよ」
「口にするだけが答えじゃないんで。嫌いな人に嫌いって直接言う人なんて珍しいでしょう? それと一緒っすよ」
大介はそんな言葉を放つと、「練習に集中したいんで」とだけ残し、その場を後にした。
俺は、遠く離れた場所にいた歩美を見つめると、静かに握りこぶしをつくった。