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13.田中なおと啓介


「こんにちは」


 人気のないベンチにて、田中はスコア表の勉強をしていると、視界に影ができる。

 放たれた低い声は、聞き覚えのない声。思わず顔を上げると、男の顔を凝視する。

 初めて見る顔だったが、男の容姿は息を飲むほどに整ったものだった。

 力強さを伺わせる一重まぶたの瞳と、すっと通った直線的な鼻筋。そして男らしいシャープな顎と薄い唇は、精巧に彫られた小物細工だと錯覚するほどに洗練されていた。

 程よく引き締まった体と、180cmほどある身長をみて、田中は一瞬だけ心ここにあらず状態になると、ふと我に返る。


「こんにちは。どちらさまですか?」


 田中は野球部員ではないと判断すると、遠慮がちに問う。

 男は田中の顔を見やると、小さく笑みを溢した。


「高橋啓介。よく皆からは高橋や啓介って呼ばれてる」


 啓介は田中の瞳を見つめると、続け様に告げる。


「友達から新しいマネージャーが来たって聞いてね、つい、顔を見にきたんだ。確か名前は()()であってる?」


 柔らかな重低音と優しい眼差しが、田中の胸を擽るようだった。

 嫌でも速くなる鼓動。特別な好意などはないが、彫刻のように整ったイケメンが親しげに話しかけてくれる。それだけで生殖本能のような女の部分がわいてしまう。

 反射的にぽっと頬に熱を感じるが、田中は感情を悟られないように口にする。


「なおで合ってるよ」


 普段通りに発声したつもりが、やけに声がうわずる。同級生で飛び抜けたイケメンがいると友達が豪語していたが、この男だったんだとこの身を持って実感する。


「よかった。なおちゃん、これからマネージャーとして大変だろうけど、野球部をお願いします」


 啓介は柔らかい声色を放つと、頭を下げる。

 田中はそんな男の姿をみて思う。

ーーイケメンだけではなく、女誑しでもあるなと

 田中は伺うように啓介の顔を見やると、その視線に気づいたのか、当の本人はにっこりと笑みを返す。

 手慣れたように白い歯をみせ、目を細める姿に惚れる人が相次ぐのも納得する。

 普段は雲の上にいて、手が届かない存在がこうも優しく接してくれる。それだけで掻き立てられる感情をもつ人が大勢いるだろう。


「確かサッカー部のエースでしたよね?」

「知ってたか。ま、みんなのお陰でやっと成り立ってるってだけだけどね」


 インターハイまで出場する、サッカー部のエースがやっとってことはないだろう。

 田中はじっと顔を見やると、啓介は照れくさそうに頬を掻く。


「謙虚ですね」

「そんなことないさ。でも、なおちゃんにそう言ってもらえるなんて嬉しいな」


 やけに擽ったい笑顔を向けてくる。照れくさそうにはにかむ姿と、手慣れたように名前を呼ぶ仕草を見て、天性の女誑しなんだろうと納得する。


「お友達、呼びましょうか?」

「いや、大丈夫。それと敬語はいらないかな。なおちゃんとはもっと親しくなりたいからさ」


 親しくなりたい。何故この男は初対面の女子にこんなにも好意的な言葉を吐くのだろうか。

 女誑しとしては純粋で、天然といったらまた違う不気味さに息を飲む。


「なら、これから高橋くんって呼ぶね」

「わかった。何だか距離が近づいたようで嬉しいよ」

「そう? 高橋くんって距離感近いね」


 やはり不気味だ。好きでもない相手に「距離が近づいたようで嬉しいよ」なんて言うだろうか?

 田中は自分の容姿がそれなりに可愛いと自覚はしていたが、こんなにもストレートに伝えてくる異性には出会ったことはない。初対面なら照れくさそうにモジモジするか、下心丸だしで会話する奴らばかりだ。

 田中は警戒心を顕わにすると、啓介は肩を揺らしながら笑いだす。


「よく言われる。もう少しお前は素っ気ない方がいいって」


 くしゃっと笑う啓介の姿に、自然と警戒心が薄くなるのを感じる。


「そうそう。顔がいいんだから、距離感が近いと好意をもたれちゃうよ?」


 田中は釣られるように笑い返すと、啓介は次第に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「そう返されると、なおちゃんにも好意を持たれたってことかな?」

「えっ」


 見透かすような瞳に、一瞬心を奪われそうになるが、田中は必死で抵抗する。

 彼の言葉には、わずかに冗談めいた柔らかい声が混じっている。容姿がいいせいか、それとも優しい声色のせいか、いとも簡単に心の柔い部分に入り込む。

 啓介は動揺した田中の姿に口元を緩めると、反応を楽しむように瞳を細め、続け様に告げる。


「冗談だよ、冗談。なおちゃんは素直だね。そんなところ、俺は好きだな」


 好き。その言葉に心拍数が高くなる。早く言葉を返さなきゃいけないことは自覚しているが、心臓の音がうるさくてうまく言葉を返せない。


「何でそんな甘い言葉を吐くの?」


 ようやく絞りだした言葉。田中は啓介の顔を見やると、申し訳なさそうな表情をしていた。


「ごめん。そんなつもりはなくて。ただ、好意を抱いた人には自然と優しくしたいのは当然だろう?」


 好意。初対面に? そんな思いが行き来する。


「それってどういう意味?」


 好意と思うだけで、やけに声がうわずるのを抑えられない田中に、啓介は意味深な笑みを浮かべる。


「さあ、どういう意味だと思う?」


 一瞬だけ彼の曇りが垣間見えた気がして、田中は動揺する。どう返答するか迷っていると、遠くから田中の名を呼ぶ声が聞こえてくる。


「俺のことはいいから、早く行ってあげて」


 啓介は先ほどと違う柔らかな笑みを溢すと、田中は啓介の言葉に甘えて先へ急ぐ。

 そんな田中の後ろ姿を見つめながら、啓介はボソリと囁いた。


「いいよな、壁がない奴は」


 どこか陰のある言葉は、蝉の鳴き声にかき消された。

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