表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

生まれ変わっても、私の前に現れたから、好きにはさせない

作者: 真ん中 ふう

「ほら!やれよ!やれ!」


体育館裏に連れ込まれた私は、クラスメイトの北条南達に罵声を浴びせられていた。


北条南は、取り巻き三人と共に、私の口に虫の死骸を押し付け、怒鳴る。

私の体を左右から取り巻きの二人が掴み、体育館の壁に押し付ける。

もう一人の取り巻きが私の髪の毛を鷲掴みにして、無理やり上を向かせる。


「ほら!口開けろよ!ブタ!」


そして北条南が私の口元に、蝉の死骸を押し付けている。


私の口に当てられた死骸からは、変な匂いがするし、押さえられている肩も、引っ張られている髪も痛くて仕方がなかった。


「エサの時間なんだよ!ブタ!」


北条南は、薄ら笑いを浮かべながら、私を「ブタ」と呼び、「エサ」と称して、私に蝉の死骸を食べさせようとする。


この人達は、人間ではない。


私はそう思った。


私が一体何をしたと言うのか。


私は今の現状を打開するため、取る行動は一つしかなかった。


女であっても、四人に対して私一人では、どうすることも出来ない。


ならば早くこの場所から逃げるためにも、この人達の支配欲を満たすしかない。


私は意を決して口をゆっくりと開いた。

たぶん開けられたのは、ほんの数ミリだと思う。


「バカじゃん!まじで食べる気だよ、こいつ。」


「お腹すかしてるだって。貧乏人だからさ。」


「いいじゃん。ブタなんだから。なんでも食べるっしょ。」


取り巻きの三人がキャッキャッと笑いながら私を侮辱してくる。


「ブタさん、どうぞ!」


北条南は猫なで声を出しながら、それでも思いっきり私の薄く開いた口の中に、蝉の死骸を押し込んだ。


「おえっ!」


その瞬間、私の防衛本能が働き、えずいてしまった。

しかし、何とか蝉を口の中に置くことができた。


「きたねぇーな!」

「バカじゃないの。」

「あほらし。」

「さぁ、エサやり終わったし、行こう。」


そんな会話を私の目の前で繰り広げながら、北条南達は立ち去った。


私は口の中から蝉の死骸を吐き出し、急いで体育館の前に設置されている水道に向かった。


何度も何度もうがいをしたが、蝉の死骸の感触や匂いは取れなかった。

何度も何度もうがいをしているうち、自然と涙が流れた。


「なんで私が…。」


いじめのきっかけなんて、身に覚えがなく分からなかった。

ただ、ある日突然に北条南達から嫌がらせを受けるようになった。

最初は通りすがりに「ブス」「くさい」「消えろ」などの暴言から始まった。

そのうち彼女達の行動はエスカレートしていき、もう私の手には負えなくなっていた。

私がどんなにいじめられても、クラスメイトは我関せずを決め込み、学校の理事の孫である北条南に逆らえない教師達は私に問題があると言った。

味方などいないのだ。


そんな生活も一年も続けば、人の心は壊れていく。


私はこの世を去る決意をし、学校の屋上に立った。


北条南が届かない世界へ行きたかったのだ。


もう解放されたかった。


しかし、私の運命の歯車は、想像を越える方向へと私を導いた。




屋上から飛び降りたはずの私の体は、小さなベッドの上にあった。


私は起き上がり、部屋を見渡した。


「ここは…どこ?」


全く知らない部屋。

馴染みのない家具の数々と、たくさんのぬいぐる達。

そして、知らない部屋の匂い。


嗅いだこともない部屋の匂いに反応して蝉を思い出し、そこから自分が屋上から飛び降りた事実が甦ってきた。


そして、自分の体を確かめるため、手を動かした。


頭を触り、顔を触り、腕を触り、変化を探す。


「どこも痛くない。」


おかしい。

私は死ねなかったのだろうか?


しかし、自分の体を確かめていくうち、私はあることに気付いた。


「手が…小さい。」


自分の手は17歳しては幼く、柔らかい。

そんな感想は手だけではなく、足にも胸にも感じられた。


私は自分の姿を確認するため、部屋の窓ガラスを見た。

その瞬間、私は自分に起きている事実を飲み込めなかった。


「うそ。…子供に…なってる?…。」


窓ガラスに映った私の顔も体も、全く知らない幼い少女の姿になっていた。


コンコン。


突然部屋をノックされた。


私は戸惑ったが、なんとか返事を返した。


すると、ゆっくりとドアが開かれ、一人の男性が姿を見せた。


「おはよう。陽葵(ひまり)


その男の人は私が座っているベッドに腰を下ろし、私の額に軽くキスをした。

それは愛しい者へのキスだと分かる。

それくらいそのキスに愛情を感じたのだ。

だから、私はほっとしてその人をこう呼んでみた。


「パパ…。」


私の感は当たっていたらしく、目の前で男の人が微笑んでくれた。


「今日はパパが陽葵のためにフレンチトーストを作ったよ。食べてくれるかい?」


男の人の品の良い言葉と雰囲気。

優しさしか感じない口調と仕草に、私は自然と首を縦に振っていた。


この男の人の家はとても大きく、屋敷のようだった。

長い廊下を男の人と手をつないで歩く。

時折、男の人へ視線を向けると、それにすぐ気付き微笑み返してくれる。

歩く度に揺れる髪はサラサラと優雅に動き、スラリとした体に馴染む白のYシャツが清潔感を感じさせる。

表情は常に明るく、品のある笑顔が素敵な男性だ。

きっと年齢は30代半ばから40代。

幼い私から見上げる彼の目尻に刻まれた綺麗な皺がそれを物語っていた。



「おはようございます。お嬢様。」

小さな私に何人もの大人の人が挨拶をする。

そして導かれた先にあるテーブルの椅子を初老の男性が引いてくれる。

そして私の両脇に手を添え、後ろから抱き上げて、座らせてくれた。

私は大人の人に手伝ってもらわないと椅子に座れないほど、幼かったのだ。


テーブルには丸いお皿に一口大に切られたトーストが幾つも載っていて、トーストには雪のようにお砂糖が振ってあった。

その上から黄金に輝くシロップがたっぷりトーストに染みているのが分かる。


「美味しそう。」


私は思わず声を出していた。


「パパが陽葵を思って作ったんだよ。さぁ、味を見て。」


私の横に座ったパパと名乗る男性の言われるがままに、私は置いてあった小さな子供用のフォークでトーストを食べた。


「おいしい。」


それは自然と私の口から発せられていた。


「良かった。」


私の感想に、パパは嬉しそうに微笑んだ。



何日か過ぎると、私は自分が誰なのか把握することができた。


私は「西園寺 陽葵」5歳。

保育園や幼稚園には通っておらず、常に屋敷の中で生活している。

パパと名乗る男性は、陽葵こと私のお父さん。

名前は「西園寺 柊吾(しゅうご)

年齢は38歳。

西園寺財閥の御曹司。

私はその御曹司の娘としてここに存在していた。

なぜそうなったのか分からないままだったけど、私はいつの間にか陽葵として、男性をパパと呼び、屋敷に仕える執事さんやメイドさん達に慣れていった。

慣れてしまえば、陽葵として生活することになんの不自由も感じない。

それどころか居心地の良さを実感する。

そして何よりも、この場所では私は若くして妻をなくしたパパの一人娘として、これまでに感じたことがない程の愛情を受けていた。

いじめられていた高校生の私からは想像もつかない優しさと温かさに、満たされる。

こんなに誰かから愛されることが気持ちいいなんて、すっかり忘れていた。

高校生の私は幼い頃に父親を病気で亡くし、母親一人に育てられていた。

決して裕福な生活ではなかったけど、母は私を大切に大切にしてくれた。

しかしそんな母も私が14歳の時に死んでしまった。

身寄りのなかった私は児童福祉施設に預けられ、唯一得意だった絵画で推薦を受け、それなりに名のある高校に通わせてもらっていた。


母が死んでから長らく、誰からも愛情を受けていなかった私は、いじめによりさらに幸せから遠退いていたのだ。

しかしこの西園寺家にはその幸せがあった。

そしてパパからの愛情は私の心を暖かい毛布で包んでくれていた。


とても幸せ。


ずっとこの幸せが続けば良い…。


私はそう思うようになっていた。



そんなある日、パパがある女性を屋敷に連れてきた。

新しい秘書だと言う。

しかし私はその秘書の女性を見て、身を固くした。


清楚な顔立ちに控えめな化粧をしたその秘書は、見た目から受ける印象には似合わない、短めのタイトスカートのスーツを着て、パパに媚を売るような仕草と態度をする。

そしてきいたことのある、猫なで声でパパに話しかける。

その声を聞いて、私の記憶の扉が開かれた。


「ブタさん、どうぞ!」


私の耳に高校生の北条南の声が甦る。


そう、パパが秘書として連れてきたのは、大人になった北条南だったのだ。



秘書として働く北条南は、常に屋敷に出入りしていた。

だから私ともよく、蜂合わせる。

「陽葵ちゃん、こんにちは。」

そう声を掛けられるだけで、体が恐怖で震えた。


北条南の目的はパパのように思えた。

パパに対する態度は、あからさまだった。

お得意の猫なで声を使い、嘘偽りの品の良さと柔らかい雰囲気を醸し出し、パパに接する。

その姿を毎日のように見せられていると、だんだんと彼女の目的が見えてきた。


そして私は確信した。

北条南は、パパと結婚したがっている。

この西園寺家に入り込もうとしている。


私は日に日に不安を募らせた。

この幸せが壊される不安を…。


パパの愛情がなくなったら…。


「そんなの絶対に嫌だ!」


私はやっと手に入れたのだ。

この幸せを。

それをまたあの女に潰され、壊されるなんて絶対に嫌だ。

パパの心があの女に犯される。

そんなことを想像するだけで、私の中で怒りの炎が燃え盛る。


「陽葵ちゃん。」


北条南は、私のことをそう呼ぶ。

と言うことは、私が高校生の「森永 優子」だとは夢にも思っていないはず。

自分が散々いじめ、自殺に追い込んだ私だとは…。




「お食事中失礼いたします。」


私とパパの昼食中に現れた北条南は、パパの隣に当たり前のように立った。

そして少し屈んでパパの顔に自分の顔を寄せ、髪を耳に掛け直す仕草をし、女をアピールしながら、用件を伝えている。

その事が私をイラつかせた。

手が震え、体が熱を持ち始める。


ガシャン!


私は持っていたフォークを強くお皿にぶつけた。

それに驚いたパパと北条南がこちらを向いた。

「どうしたんだい?陽葵。」

パパは心配そうに俯いている私を覗き込んだ。

私は唇を震わせて呟いた。

「パパとのお食事中に、邪魔だわ。」

「え?」

よく聞こえなかったのか、北条南はキョトンとしている。

私はそんな彼女に向かって、大声で叫んだ。

「邪魔だって言ってるのよ!出ていってよ!オバサン!」

声が震えているのが分かった。

腹を立てると言うことは、こんなにも体が強ばり、なのに想像以上の声が出てしまうのだと私は初めて知った。


今まで、腹が立つと言うことは、無駄な事だと思っていた。

だって、私が腹を立てていたのは、いじめられた悔しさからだったから。

逆らいたいのに逆らえない自分の情けなさや、目の敵にしてくる北条南達に腹を立てても、勝ち目などないし、誰も助けてくれない。

そのうち私は、諦めてしまったのだ。

自分の感情を表に出すことを。

しかし今、私は何年ぶりかに気持ちを爆発させた。


(気持ちいい。)


目の前の北条南が、口を開けて私を見ている。

こんな子供に罵られた事がショックなのだろうか。

そのうち北条南は下唇を噛み出した。

悔しそうな表情。

そして、今度は私を睨んできた。

(出た!)

私はその瞬間を逃さずに、パパに言った。


「オバサンが私を睨んだわ!怖い!」

私はパパにしがみついた。


パパは後ろを振り返る。


そこには一歩出遅れて表情を直す北条南の姿があった。


「いえ、私は…。すみません。出直して参ります。」

そう言って北条南は、足早に去っていった。


その後ろ姿には焦りが感じられた。




私は自分の部屋のベッドに潜り込んで、昼間の北条南の悔しそうな顔を思い出していた。


(私にも出来たわ。あの女に、言ってやったわ。)


私の心と体はとても高揚していた。

今まで、北条南に勝ったことなど一度もない。

そんな私が、今日初めて、北条南にあんなに悔しそうな顔をさせることができた。

私の心臓はバクバクと激しく音を立てて、私をさらに興奮させる。


(他にも、やれるんじゃないかしら。)


ふと、そんな事を思った。


今の私には、パパがいる。

パパは私の味方。

怖いものなんてない。


私は、北条南に仕返しをするチャンスが来たのだと思うと、ワクワクしてなかなか眠れない夜を過ごしていた。



しかし次の日、北条南はいつもと変わらない笑みを浮かべながら、西園寺家に現れた。

私は彼女を見るなり、眉根を寄せた。

その私の態度に気付いた北条南が、両手を後ろにしながら、私に近付いてきた。


「陽葵ちゃん。」


私の名前を呼び、私の目線の高さまで体を屈めた。

「何か用?」

私は冷たく言い放つ。

「昨日はごめんね。睨んだつもりはなかったの。ただ、ビックリしちゃって。」

そんな言い訳の裏側には、私への媚を感じる。


(北条南が、私に媚びている。)


なんだかいい気分だった。


今まで、散々こけにされてきた。

なのに今、私に気に入られようとしている。


そう思うと、自然と口の端が上がってしまう。

そんな私の表情が微笑みにでも見えたのか、北条南は嬉そうに話し掛けてくる。


「あのね。仲直りの印に、これ、買ってきたの。良かったら貰って。」


そう言って北条南は、後ろにしていた両手を前に出した。

そこには、私の部屋に置いてあるクマのぬいぐるみと同じデザインのキーホルダーがあった。


それを見た瞬間、私はある衝動にかられ、それを実行に移した。


「あっ!これ!死んだママがくれたぬいぐるみと同じだ!」

私は嬉しそうにキーホルダーに手を伸ばし、掴み損ねた振りをした。


チャランチャランと軽い音を立てて、キーホルダーが廊下の床に落ちた。


そのキーホルダーを北条南が拾おうと手を伸ばしたところに、私は思いっきり自分の右足を落とした。


「痛い!」


北条南が短く声をあげた。

そして急いで私の足から逃れようと手を引っ込めるために私の体を押した。

5歳の軽い私の体は後ろ向きにひっくり返り、そのまま床にお尻を付けた。


「痛い!」


今度は私が声をあげる番だ。

私はここぞとばかりに、大声で泣いた。

その泣き声を聞き付けて、執事の桜井さん、メイドの田中さん達が来てくれた。

「どうされたのです?」

桜井さんは、私と北条南を交互に見た。

すかさず私は訴えた。


「私が秘書さんから貰ったキーホルダーを落としたから、秘書さんが怒って私を押したの!」


そして、さらに大声で泣き叫んだ。


私の発言を裏付けるように、床にはキーホルダーが落ちたまま。

それを見た桜井さんと田中さんは、疑惑の目を北条南に向けた。


「ち、違います。私は…。」


北条南が何かを言い掛けた。


その時、私の頭の中にある記憶がフラッシュバックした。


テストの日。

私は横の席のクラスメイトの答えをカンニングしたと、北条南に貶められた事があった。

私は成績には自信があった。

だから、カンニングなどする必要もない。

なのに北条南は嘘の申告を先生にして、私はそのテストを赤点にされた。

その時に、私が「違う」と訴えようとした瞬間、北条南とその取り巻きが口々に言ったのだ。


「森永さん、キョロキョロしてたの、私も見ました。」

「もしかして、今までもカンニングで良い成績を取ってきたんじゃない?」

「サイテーじゃん。」

「先生!森永さんと一緒にテストを受けるの怖いです。」


教師は理事の孫である、北条南に従い、私はクラスを追い出され、廊下でテストを受ける羽目になった。



(私は声すら上げさせて貰えなかった!)

その時の悔しさが甦った。

だから私はその時の悔しさを、子供の陽葵として、体現した。


「怖かったよ!もう、嫌だよ!秘書さん嫌い!」

その言葉は嘘じゃない。

あの時の悔しさを込めた叫びなのだから。


「北条さん。相手は子供ですよ。怒っても仕方がないでしょう。」

桜井さんは呆れながら怒っていた。

メイドの田中さんは、私を守るように抱き締めてくれた。


そんな二人に、何も言えなくなったのか、北条南は「申し訳ありません。」とだけ言って、西園寺家から出ていった。




その日の夜も、興奮してなかなか眠れなかった。


(信じて貰えない悔しさを味わわせてやったわ。)




その後、北条南は西園寺家に来なかった。


その理由をパパに聞いてみた。

するとパパは深刻な表情をしながら、答えてくれた。


「彼女はあまりこの家には向いていないのかも知れないと思ってね。陽葵も怖がっていたし、桜井さん達からも良い話しは聞かないしね。だから、秘書を家に入れるのはやめようと思ったんだ。」

そのパパの口ぶりだと、北条南は会社ではまだパパの秘書をしている様子だ。

きっと、北条家からお願いでもされたのだろう。


(まだ、パパの側にいるのね。)


私はそう思いながら、親指の爪を噛んでいた。




ある日の夜。

私はオレンジ色の可愛いドレスを着せられて、パパと二人でお出掛けをした。

大きなリムジンで向かったのは、西園寺家と肩を並べる財閥の一つ、大河内家。

そこのお祖父様が開かれた企業が60周年を迎え、盛大にパーティーが行われていた。

「私もついてきて良かったの?」

あまりに大きなイベントに私は気後れしてしまい、パパに確認したくなった。

するとパパは温かい手を私の頭に乗せて、優しく微笑んだ。

「大河内のお祖父様が、お前に会いたがっているんだよ。」

「私に?」

パパはそう言ってまた微笑んだ。



パーティーにはたくさんの招待客が集まっていた。

その中に、聞き慣れた猫なで声を発見するのには、時間は掛からなかった。


北条南はたくさんの男達に囲まれて、満更でも無さそうに笑っている。


(浅ましい女。)


パパだけてはなく、他の男達にも色目を使っている。


そんな北条南を目の端で見ながら、私は大河内家のお祖父様の席にパパと向かった。



大河内さんは90歳を越えるお祖父様。

若い頃から研究に没頭し、自らが開発した医療用のロボットは、世界でも活躍している。

人間の手では届かない、細やかな手術が行え、助かる見込みの薄い患者さんを救っている事は、世界に知られていた。


大河内さんは私を見るなり、目を潤ませ、皺だらけの手を伸ばしてきた。

その姿は、愛する者への想いが溢れている。


「よく来てくれたね。」

大河内さんは私の小さな手を両手で包み込みながら、微笑んだ。

しかしなぜ、大河内さんは私に会って、こんなにも嬉そうなのだろうか?


私は不思議に思い、パパを見た。

すると、パパは少し寂しそうな顔をしたのだ。


私の心臓がバクバクと音を立て始めた。



「陽葵、大河内さんはお前の本当のお父さんだよ。」


「え?」


「陽葵は大河内さんが作った、アンドロイドなんだ。」



私はパパの言葉の意味が分からず、ただ目の前で微笑んでいるお祖父様を見つめていた。


(お父さん?…アンドロイド?…)


「大河内さんは、ママのお祖父様だ。ママは10年前に亡くなった。パパと結婚をしてすぐの頃だったんだ。だから、パパはママが亡くなった事を認められなかった。

そんな時、大河内さんが僕に一体のアンドロイドを与えてくれた。そのアンドロイドはママの幼い頃を再現した陽葵、お前だったんだ。」


「私が…ロボット?…」

すると、大河内のお祖父様が口を開いた。

「あの頃は大人のアンドロイドを作れるほどの技術がまだなかった。だから、君のママの子供の頃を再現するのが精一杯でね。西園寺さんの悲しみはとても深くて…それを私は救いたかった。せめて、子供の姿でも、西園寺さんの心を癒せたらと思ったんだよ。」

お祖父様の優しい眼差しが私との再会を喜んでいる理由が分かった気がした。

お祖父様は私の中に、幼い日のママを投影していた。

だから、こんなにも再会を喜んでくれるのだと。


しかし私にはまだ、信じられなかった。

お祖父様が私の手を自然と離したので、私はパパに向き直った。


「でも、私の体は、人間だわ。…こうやって、お話もするし、お食事だって食べられる…。」


「大河内さんが開発されたアンドロイドは、人間を忠実に再現している。外見や生活仕様は人間と何も変わらない。」


「でも!」

私は信じられなくて、大きく声をあげた。

するとパパは少し厳しい表情で私をたしなめた。


「それだよ。君のその人間らしい感情表現が、アンドロイドの陽葵にはなかった。なのにある日突然君は、激しい感情を見せるようになった。」


今度はパパから私に疑問が投げ掛けられた。


「陽葵、君の中に、誰がいるの?」


パパは私が陽葵ではないことに気付いたのだ。


私の心音は、バクバクと速度を上げていたが、私の中の悲しみと言う感情が、それをおさめてくれた。


きっと、パパは私が邪魔なのだ。


愛する妻の幼い頃の姿に、見ず知らずの私が入り込んだから…。

だから、あんなに悲しそうな顔をしているのだ。


そう思うと、私のお得意の諦めが顔を出した。


パパに必要なのは陽葵。


私ではない。


当然の事だ。


でも、私には陽葵からどうすれば抜け出せるのか分からない。

そんな事、考えたこともなかったのだから…。



「陽葵、君の本当の名前を教えてくれないか?」

大河内さんが再び私の小さな手を握った。


私は答えなければいけないと感じた。

こんなに優しい大河内さんとパパに嘘をついてはいけないと。

「私は、森永優子。高校二年生です。でも屋上から飛び降りて死んだはずなんです。…なのに、目が覚めたら、陽葵になっていて…。」


私は罪人の様な気分だった。

陽葵になってしまった事への罪の意識を感じた。

パパの思い出を汚してしまったような申し訳ない気持ちだ。


「森永…優子…。」


私の本当の名前をなぜか、パパは繰り返して口にした。


私はパパを見た。

すると、パパの表情は驚きに満ちていた。


「森永優子。…西園寺さん、これは神が与えた奇跡かも知れないね。」

大河内さんはそう言うと、近くにいた執事さんに耳打ちをした。

少しすると、執事さんは小さな写真を数枚手に戻ってきた。

その写真を一度、微笑みながら見ていた大河内さんは、私にその中の一枚を見せてくれた。


そこには、幼い陽葵…つまり、ママの幼い頃の姿と、私の同じくらいの年齢の女の子が微笑んでいた。

「これは、ママの子供の頃の写真だ。そして、横に映っているのが、ママのお姉さんだ。お姉さんは20歳の時、森永さんと言う男性との間に子供が出来、結婚して、大河内の名を捨てたんだ。」

お祖父様の説明に、私は目を丸くする。

「若すぎる妊娠が、両親には理解してもらえず、家を飛び出したんだよ。それからは連絡も取り合えなくてね…でも、ちゃんと君を育てていたんだね。」

大河内さんは私を優しく引き寄せ、抱き締めた。

とても温かい腕の中だった。

私は抱き締められながら、もう一度写真を見た。


「少し、似ているわ。」


私は写真の中の母に、自分の痕跡を見つけた。


どことなく似ている気がする。


しかしはっきりと似ているとは言いきれない部分もあった。

それは写真の中の母が、幸せそうに笑っているからだ。

私は自分が笑った顔など、もう思い出せない。

そのくらい、笑っていなかった。

幸せではなかった。


「聞いてもいいかな?」

パパが重たくなっていた口を開いた。

「君はどうして自殺を?」

その質問には答えなくてはいけない気がした。

陽葵の中に私は勝手に入り込み、パパをかきみだしたのだから、せめてもの罪滅ぼしに。


私は、パパと大河内さんに全てを話した。

父が亡くなってからの事を全部。

そして、いじめられてきた事も。


パパと大河内さんは黙って全てを聞いてくれた。

時折頷き、驚きの表情を見せ、悲しみに目を曇らせながら。


「君は…。」

パパは言葉を詰まらせた。

そして今度はパパが私を引き寄せた。

「よく、頑張ったね。」

私を強く抱き締めながら、パパが囁いた。


パパの言葉が、私の芯に響き続けている。


<よく、頑張ったね>


そんな言葉、誰も言ってくれなかった。

どんなに耐えていても、誰も認めてはくれなかった。


私の目からたくさんの涙が流れた。


「辛かったの。…逃げたかったの…。怖かったの…。」


私の言葉一つ一つにパパは頷いてくれた。


私とパパを大河内さんは優しい瞳で見つめていた。



パーティーも終盤に差し掛かる頃、大河内さんは挨拶をするため、マイクの前に立った。

そんな大河内さんの姿を私もパパも、近くの椅子に座り、見ていた。

そして、大河内さんの挨拶が始まった。


「皆様、本日は私の記念日に御越しいただき、ありがとうございます。私がこの企業を興して、はや60年。時はあっという間に過ぎて参りました。」


大河内さんの声はとても優しく心地が良い。

会場にいた皆がその声に引き付けられていた。


「私が医療に興味を持ちましたのは、幼少期に遡ります。私の父は、戦後間もない下町によく足を運んでおり、私も連れていかれたのです。父はよく申しておりました。<貧しき中に、本当の姿がある。>と。それは、貧しい生活を強いられている人達から、今必要な物を学べ、と言う意味だったのでしょう。」


大河内さんの話に私はとても興味を持った。

大河内さんは、辛い時代をちゃんと知っている。

だからこそ、医療用ロボットという、偉大な開発を成功させたのだ。


そんな大河内さんの話を、退屈そうに聞いている者がいた。

時折、周りを見ては飲み物に口をつけ、立ったままだからか、体の重心を左右交互に変えながら、話の終わりを待っている。

その姿は、大河内さんの話に聞き入っている人達が多い中、とても目についた。


「下町では、食べるものがなく、お腹を空かせた子供たちは何を食べていたと思いますか?」


大河内さんの問いに、皆がいろんな想像をめぐられる。


「河川敷にいき、焼け野原になっていた土地に少しばかり草が生えている場所を見つけ、そこで飛び回っているバッタや、夏の終わりでしたので、木の下に落ちた蝉の死骸等を拾って口にしていたのです。」


その言葉に私は絶句した。

すると大河内さんは、ある人物の名前を呼んだ。


「北条さん。北条南さん。」


大河内さんが呼んだのは先程から退屈そうにしていた、北条南だった。

突然名前を呼ばれ、焦った北条南は辺りをキョロキョロとして、戸惑いながら大河内さんに笑って見せた。


「あなたは蝉を口にした事がありますか?どんな味かご存じだったのですか?私は一度、下町の子供達がしているように、蝉の死骸を口に入れたことがあります。とても噛めるものではありませんでした。異臭と舌触りで私はギブアップでした。しかし、下町の子供達は、それすらも食べられてしまうほど、お腹を空かせていたのです。あなたがいじめてきた森永優子さんは、そんなにお腹を空かせているように見えましたか?だから、蝉を食べさせようとしたのですか?違いますよね?あなたの支配欲を満たすために、強要したのでしょう?」


大河内さんの問いに、北条南は何も答えられず、ただ口をパクパクとさせていた。


「あなたがしたことは、戦後の子供達を侮辱し、一人のクラスメイトを傷付けた。そして、彼女は死を選んだのです。その事の重大さを、あなたは知るべきだ。」


大河内さんは強く強く、北条南に訴えた。

その瞳からは、怒りすらも感じられた。

そんな大河内さんの言葉に、その会場にいたみんなの視線が、北条南に向けられた。

その目の意味は様々だ。

驚き、嫌悪感、恐怖…様々な感情が北条南に注がれる。


「北条南さん。あなたはこれから罪を償うべきです。」


大河内さんの言葉は、周りにいた全ての人を頷かせた。


北条南は、どうすることも出来ずに、顔を覆い隠しながら、会場から逃げていった。


そして、大河内さんはこう締めくくった。


「世の中の人々が少しでも救われるよう、これからも精進して参ります。」


会場は暖かい拍手に包まれた。



パーティーの帰り、大河内さんは私に言った。


「また会いに来てくれるかな?」


私はその言葉にYESと答えて良いのか分からなかった。

なぜなら、それはパパの了解がいると思ったからだ。

パパは私をこれからも側に置いてくれるのだろうか?


だから私は、大河内さんに「ありがとうございます。」とだけ言って、リムジンに乗った。



リムジンの中は静かだった。


パパと二人だけで何を話せば良いか分からなかった。

私が陽葵ではないことをパパは許してはくれないかもしれない。

そんな不安があった。


先程は私を抱き締めてくれたが、それは可哀想な過去の私のためだと思えた。

同情してくれたのだと。

だとしても、私は嬉しかった、癒された。

同情でも、私の気持ちに寄り添ってくれたのだから。


「ありがとう。」

ふと、私の口からそんな言葉が出てきた。

パパは不思議そうに私を見ている。

「頑張ったねって言ってくれて、嬉しかったです。」

私はいつの間にか敬語になっていた。

意識せずに出た話し方になんの違和感もなかった。

だって、私は森永優子なんだから。


パパは私の言葉の意図を理解して、私の頭をポンポンと撫でてくれた。


「私、どうしたら良いのでしょう?私はこの体から出ていく方法を知りません。」

早くこの体を元に戻さなければと、私は焦っていた。


「出ていかなくても、このままで良いじゃないか。」


パパは、そう言って微笑んでいる。


私はパパが言った言葉がまだ、消化できず、ただパパの顔を眺めた。


「それに、急に敬語は止めてくれ。君は私の娘、陽葵なんだから。」


私は思わず、大きく息を吸った。

瞬きが出来なかった。


そして、なんとか言葉を絞り出した。


「このままで…良いの?。私は…。」


返事の代わりに、温かいパパの手が私の頬に添えられた。

その手は、いつの間にか流れていた私の涙を拭ってくれていた。


パパは私を抱き締めてくれた。


「最初は驚いたよ。アンドロイドの陽葵には、感情の昂りなんてないはずだったんだから。でも、嬉しかったんだ。」

パパが優しく語る。

「陽葵が感情をぶつけるのを見て、聞いて、本当の子供みたいで。森永優子が、陽葵に命を与えてくれたんだね。ありがとう。」

そう言ってパパは抱き締める腕に力を込めた。


パパは怒ってなんかいなかった。


陽葵の中の私を許してくれている。


そして、ありがとうと言ってくれた。


私の存在に…。




私、森永優子が陽葵として生活をして一年が過ぎた。

この一年間で様々な事が分かり、そして起こった。


まず、私は相変わらず陽葵としてパパと生活している。

陽葵がアンドロイドであることは、執事の桜井さんもメイドの田中さんも知っていた。

だから、二人とも泣き叫んだ私を見て驚き、それをパパに報告したのだと言う。

その事もあり、以前から陽葵の中の私に気付き始めていたパパは、生みの親である、大河内さんに相談したのだとか。

大河内さんは、一度私に会ってみたいと言い、私はあのパーティー会場へ招かれたのだ。


陽葵の姿と、私の話を聞いて、不思議な体験だとは思うものの、大河内さんは私を信じてくれた。


パパは言っていた。


「大河内さんは、アンドロイドに感情を持たせることは、不可能であり、可能になってはいけないとお考えだ。大河内さんの目指すアンドロイドとは、人間の助けになる存在。私のような悲しみを背負った人間を救えるような存在であって欲しいと。」

「じゃあ、私は大河内さんの目指すアンドロイドにはなれなかったわね。」

私は悲しくなった。

「違うよ、陽葵。君は陽葵というアンドロイドに、命を与えたんだよ。それは感情を持たせることよりもずっとずっと不可能な事だ。それを君は可能にしたんだよ。」

その言葉は、私を深く深く満たしてくれた。

私の存在を認めてくれた喜びと共に…。




また、私はずっと5歳のままだから、世間に出ることは出来ない。

世の中には存在しない。

でも、一度は絶ってしまった命。

それくらいなんでもない。

この西園寺家の屋敷では、私は存在している。

陽葵の中に森永優子がいると分かっても、パパも執事の桜井さんもメイドの田中さんも、何も変わらず接してくれる。

だから、私もパパの陽葵でいることに決めたのだ。

そして時折、大河内さんとも会っている。

ご一緒にお食事をする機会も、大河内さんのお屋敷で過ごす時間もある。

私の存在を認めてくれる人々との生活は、私を満たしてくれていた。


そんな幸せが、私にある事を思い出させた。


それは、大河内さんのパーティー会場で、大河内さんにお叱りを受けた、北条南の事だ。


彼女はどうしているのか?

あれだけのパーティー会場で自分の悪事をばらされて、平気なはずがない。

まさか、私と同じ様に、死を選んではいないのだろうかと不安になったのだ。

そんな事を思えるのも、私が幸せになれたからこそ、心に余裕が出来たのだと思う。


「大丈夫だよ。彼女は今、ご両親がおられる海外で、ボランティア活動に携わっているよ。」

「ボランティア?」

パパが教えてくれた。

「大河内さんが北条家のご両親に提案されたんだ。彼女には償わなければいけない事があるとね。」


北条南のご両親は、彼女が幼い頃から海外を飛び回っている実業家。

子供の頃から親と離れていた北条南は寂しさから、人を羨ましがり、それがいつしか憎しみに変わり、いじめという形で発散されていた。


「羨ましい?」

「彼女はね、親もいない君の優秀さに嫉妬したんだ。自分より恵まれていない君が、自分より上にいる気がして、悔しかったんだろう。」

それは私にもなんとなく理解できた。

母親も亡くなって身寄りのない私は惨めだと、自分で思っていたから。

世間とは違うことに、私自身が違和感を持ち、劣等感として感じてしまっていた。

だからこそ、自分が頑張らなければと勉強に打ち込めもした。

「彼女は、君のように才能に恵まれたかったんだよ。」

「才能?」

パパは優しく頷いた。

そして、私の肩を抱き寄せてこう言った。


「陽葵、絵を描いてくれないか?家族の肖像画を。」

私は突然の提案に驚き、パパを見上げた。


「私と陽葵と、ママ。そして、森永優子とそのご両親が一堂にかえした、記念すべき、肖像画を。」


パパの提案に私の心が、興奮で膨らんでいくのが分かる。


「森永優子が描く、最高の家族の肖像画を見てみたいんだ。」


私は大きく息を吸い、そして、言葉と共に息を吐いた。


「私、自信があるわ。きっと最高の絵を描いて見せる。」


そう答えながら私の心臓はバクバクと音を立てた。


北条南をやり込めた時と似た興奮。


でもそれは全く別物の気持ち良さがあった。

北条南の悔しそうにしている顔に優越感を得ていたあの時は、気持ちが良いのになんだか、ほの暗かった。

だけど、今は違う。

パパの願い通りに家族の肖像画を描けたらきっと、心の底から喜びが沸き上がると思える。


北条南が、ボランティアで何かを感じてくれればそれでいい。

それが、私の、森永優子の死を無駄にしないことになる。

私が存在していた意味がある。


そして家族の肖像画を描ききることで、私はきっとさらに幸せを手にするんだ。


だって今の私には思い出せる。


大河内さんが見せてくれた写真の中の母のように、幸せに笑っている自分の顔が…。


アンドロイドの陽葵はいつまで、存在できるのか分からない。

生みの親の大河内さんもご高齢だから、その技術を受け継げる人がいない今、私は永遠ではない。


だからこそ、描きたい。

私たち家族が幸せに笑っている肖像画を。

それはきっと、未来永劫、この西園寺家に遺されるのだから…。


長めになってしまいましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ