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morning glory

作者: 卅日 丰

 シャーペンノックの音が、孤独な部屋に満ちる。

 目の前には未だ白紙のノートがあるのみ。散らばった消しゴムのカスや破った跡もあり、新品ままではない。されどページはどこまでも真っ新である。

 芯を出しては押し込んでを繰り返す。

 意味のある作業ではない。

 ただ、ペンを握り紙に向き合っている状態を作り出さなければ、物語を作り出すことを止めてしまうと自覚しているのである。

 筆が乗らずともこうして頭を捻っていれば、道が開けると思っているのだが……。

 シャー芯を押し付けた汚ればかり増えていく。……焦燥感ばかりが増していく。

 『書きたい』が『書かなきゃ』に変わったのはいつからだったか。

 純粋に楽しんでいたはずなのに。読者から反応があることが嬉しかった筈なのに。

 今ではもう期待や要求が重たくて仕方ない。

 なのに、見放されることにも怯えて。

 もっと面白いものを、早く、早く。まるでチキンレース。

 それでまるで進捗していない現状が何とも無様。


 今度の企画のテーマは『七夕』だというのに、もはや日時は7月7日の夕暮れ時。

 締め切りは15日だし、投稿はeメール式だから更にギリギリでもレギュレーション上では問題はない。

 が、やはり年中行事だけあって日付に合わせた投稿というものは価値がある。既にそういった本日付の投稿が出始め、案の定目立っているため出遅れた感が強い。

 かといって、間に合わせる算段など立っていない。

 ネタ出しのために関連語句を再度調べ振り返る。

 織姫と彦星。琴座α星ベガと鷲座α星アルタイル。ついでに、デネブは白鳥座とか。

 星合、天ノ川、カササギの橋渡しなどなど。

 カササギの学名がPicapicaであり、人語解さぬ電気ねずみでも発音できるとか無駄知識ばかり増える。朝顔が別名牽牛花で、七夕にも所縁があるとかへぇと思えることも沢山だ。

 だが一向に小説に書き上げられるほどのストーリーは生まれない。ちょっと思い付いても陳腐なものにしかならない予感がして、書き出す前に没にする。

 これをもう何度繰り返したやら解らない。毎度頭を捻って苦しむ。

 投げ出してしまえば楽なのだろうか。

 所詮は個人の趣味なのだ。学校の宿題や仕事とは違う。やらなかったところで回りは責めたりしないだろう。


 ただ、自分でやると決めたことさえ諦めてしまうようではいけないのだと分かっている。

 なればこそ、こうして頭を抱えつつも机に向かう。向かうしか、ない。




「いっくーん! お外にご飯食べいこー?」


 ノックも無しに部屋に飛び込んできた女性が脈絡なしに宣う。

 慣れたくもないのに慣れてしまっているが、頭は痛い。


「……姉さん。思春期男子の部屋に突然入ってくるの嫌われるって言ってるじゃん」


 僕はそんな彼女にいつも通り苦言を呈す。

 たとえ姉弟だとしても、プライベート空間にずかずかと踏み込んでくるのはいかがなものかと思うのだが。

 しかし何度言っても直らないのだから困ったものだ。

 今回もまたあっけらかんと、


「大丈夫よ? いっくんの水鉄砲ならおしめ替えるときにさんざん見たもの」

「ちょっと待て、何の話をしている?」

「気まずく思うことないって話よ? もしマスタべ――」

「よしわかった。それ以上言う必要はない。大体、しないから。まず。」

「えー? だっていっ君のベッドの下に」

「なにもないよ!? 実際見てもいいけど、ない腹を探られたくはないよ!?」


 ナニの話をしてるんだよ、全く。先程までとは別の理由で頭を抱えてしまう。

 その間に、言質を得たとばかりに姉はベッドの下を覗きに行ってしまう。


「あれー? 本当になんもないね。埃もない。お姉ちゃん、感心感心」

 

 こんな姉がいて思春期御用達の本なんて手にする勇気はない。絶対からかわれる。




「で? 外食……いくの?」


 変な方向に行った話を軌道修正するために、確認という態で質問する。

 そこには冗談だと言って欲しい、という願いがこもっている。なぜなら、


「外、めっちゃ雨降ってるっぽいんだけど?」


 窓の外を見るまでもなく、ザンザン降りなのが音で分かるからだ。

 こんな時に外に出ようなど何を考えているのやら。


「しょうがないでしょ。食材切らしてるもん」

「……マジで?」

「マジです」


 衝撃の事実を聞かされた。もう夕餉の時間も近いのに。


「姉さんが買ってくればいいんじゃ」

「お姉ちゃんだけ苦労するのは嫌でーす」


 道連れかよ。


「じゃあ父さんは?」

「さっき電話あったけど、今日は帰って来れないそうよ? 電車が止まって出張先から戻れないんだって」


 父に買ってきてもらうことを期待したが駄目らしい。家は父子家庭なので、そうなると必然決定権は姉に渡る。

 車の運転ができるのが姉だけだからだ。

 まさかこんな天気の中徒歩で食料調達なんて出来ない。

 早く出かけたくてそわそわしている姉を一度部屋から追い出して、僕は渋々出かける準備を整えた。




「どこ行きたい?」

「どこでも」


 姉の車に乗り、希望が特にないことを伝えると、十数分ほどで普段からよく利用するファミレスに着く。

 適当なものを頼んで、適当に腹を満たす。普通に美味しいのが凄いと思う。



「いっ君、短冊何書いた?」


 頼んだものを食べ終えて食休みをしていると、徐に姉が問いかけてきた。


「書いてないよ」


 端的に答える。高校生になってまで書くものでもないだろうと思うのだが。


「え……? なんで……? 今日何の日か分かってる……?」


 対して姉は信じられない者でも見るように目を丸くして驚く。

 その態度に、僕の方が逆に驚いてしまう。


「だって七夕だよ!? 自分で叶えられない願いをお星さまに託してもいい日だよ!?」

「……そんなの迷信だろ?」

「そんなんじゃ駄目だよ! しっかり願わないと叶うものも叶わないんだからね!?」


 姉は訳の分からない説教を始め、僕に白紙の短冊とペンを渡してきた。


「はい。お願いごと書いて」


 なんだこの強引さは。

 なんでそんなに七夕にご執心なのかは知らないけれど、同やら書かないで済ますという選択肢は与えられていないらしい。

 書かないままペンを置こうとするとめっちゃ睨んでくる。

 怖くはない。ただ凄く面倒臭い予感がする。


 ……いいや。どうせ何を書いても一緒だ。


 そう思って適当にペンを走らせる。


「『姉さんにいい男性が見つかりますように』? あらまあ!」


 姉は頬に手を当てにやにや笑いでこっちを見てくる。

 ちょっとイラッと来るが、ここには皮肉が籠っている。

 早く身を固めて落ち着きを持てというもの。それともう一つ。


「どうせ今日は雨だろうに」


 天候の話を出して馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。




 七夕の日の雨には催涙雨という特別な呼び名がある。


 これは、七夕伝説において雨が降ると天乃川を渡るためのカササギが現れず、別たれた恋人が会えないために流す涙になぞらえているという。

 正直僕みたいな非リアからすればざまあと言いたくなるような話だが、一つ看過し辛い問題もある。催涙雨の降る七夕では短冊の願いが叶わないという話だ。

 まだ信じていた小さい頃は、この日の天気に一喜一憂したものだった。

 が、今はそれを逆手に取って「姉さんに彼氏なんてできるわけがない」という嘲弄を送ったわけだ。


 ……皮肉は通じてないようで、照れてくねくねしてるけど。




 会計を済ませて車に戻る。

 雨は弱まる気配を見せない。これ、低い土地は冠水したりするんじゃないだろうか。

 どうでもいいこと考えながらぼんやりと座席に身を預ける。


「じゃあ、発進するよー」

「うん……」


 呑気な声に曖昧に返事をし、加速感とかかるGに身を委ね、




 すぐに違和感を覚えた。


「ちょっと加速し過ぎじゃない?」


 往路と復路で速度感が違う。さっきはこんなに速くなかったはず。

 疑問をぶつけるも、姉はというと、


「いえーい。法定速度守って安全に飛ばしていくぜー」


 ノリノリである。


「いやいや、おかしいって。安全に飛ばすとか訳分かんないし!」


 それに、


「こっち家の方向じゃないでしょ!? どこ向かってんの!?」


 暗くて解り辛いが、窓の向こうに流れる景色はどう見ても家から離れる方向なのである。


「えー? でもさっきどこ行きたい? って聞いたらどこでも、って」

「そういう意味じゃないじゃん!! ってかホントどこ向かってんの!?」

「……西?」


 なんで疑問形なんだよ。




 自称にして安全運転で飛ばしている車に揺られ小一時間。ワイパーを忙しなく動かし続ける車は、未だどことも知らぬ場所を目指し走り続けていた。


「本当、どこ行くつもり? もう夜も更けちゃうけど」


 窓の外の風景は完全に見知らぬ場所だ。果たして今すぐ引き返したとしても本日中に帰れるのかどうか。引き返すつもりも毛頭なさそうな様子に溜息を吐く。


「大丈夫よ。お姉ちゃん、ちゃんと夕方までお昼寝してたから、眠気で事故ったりとかはないはずよ」

「なにその計画性。姉さん、仕事は?」

「ゆーきゅーしょーかちゅーよ。明後日までね」

「なんでまたこんな中途半端な時期に?」


 しかもただの平日に。何かあっただろうか。


「何度も言ってるでしょ? 七夕があるからよ」


 姉はあっけらかんと言う。それがどうも信じがたいのだが。


 ……こんな夜半に弟とはいえ高校生を強制連行している姉ならやりかねないと思えるのが嫌だ。


 そしてふと嫌な予感も覚えてしまう。


「僕はいつ帰れるんだ?」


 学生に有給はない。朝までに帰れなければ、遅刻やら欠席やらの扱いになるだろう。


「一日くらいいいでしょ? テストとかでもないし、皆勤賞は既に逃してたじゃない」


「そりゃそうだけど…… 待て、なぜ僕の学校事情を把握している?」

「お姉ちゃんにはお見通しでーす」


 うざい。


「まだまだ走ると思うから、眠いなら寝ててもいいよ?」


「おい、本当にどこまで行くつもりなんだ」


「雲の向こうまで!!」

「どこだよ!?」

「……西?」


 だからなんで疑問形なんだよ。目的地決まってるんじゃないのか。

 こんなんじゃ不安でおちおち寝られない。

 と思っていたがしかし、闇と雨音に包まれた変わり映えのない風景を見ている内、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。




 気付けば僕はかつての記憶を夢に見ていた。


 母がまだ生きていた頃、好きで書いた小説ともいえない作品を盛大に褒められたこと。

 身体が弱かった母に喜んでもらいたくて、書き上げた作品はまず母に見せることを約束したこと。その代わり、母が僕の一番のファンであり続けると約束したこと。

 とても暖かく、前向きな気持ちで作品に向き合っていたことも思い出す。


 そして同時に、母を喪ったときの喪失感も。


 それを思い出した所為か、夢の場面は移り変わり、葬式場と喪服の集団が映される。

 まだ小学生だった僕は酷く泣いていて、周りの大人たちを困らせていた。

 母が亡くなったことが抱えきれなくて、それからもしばらく塞ぎ込んでいたことを覚えている。

 何も手につかずどうしようもなくなっていた僕をかつての姉もまた強引に遠くへと連れ出して行って、それで――




「抜けたぁー!!」


 姉が唐突に上げた大声で夢の中から引っ張り出された。


 なにがあったのかと寝ぼけ眼を擦りつつ前を見て。




 目に飛び込んできた風景に、今度は目を見開いて固まってしまう。




「すげぇ……」


 視界に明瞭に飛び込んできたのは、まさしく満天と表現するにふさわしい星空。


 雨上がりの澄んだ空気のお蔭だろうか。


 天乃川も、それを挟んで輝く二つの一等星もくっきりと浮かび上がっていて、溜息が出てしまいそう。




「どう? 七夕の夜空よ」


 声を掛けられて初めて、夢中で宙を見上げてしまっていたことに気付いた。


 はっとして振り向くと得意げに笑いながらも前を向いたままの姉。

 運転中なのだから当然ではあるが、顔を見られてなかったことにほっとする。


「これだけ晴れていれば、お願いも届きそうでしょ?」


 続けられた言葉を聞き、今度はこっちが身を捩る番だった。

 あんなこと書くんじゃなかった。いや、こんな強行軍予想できるわけないんだから仕方ないだろう。


「……そういう姉さんは短冊に何書いたのさ」


 恥ずかしいのを誤魔化すためではあったが、純粋に気にもなったので話題に挙げた。

 そういえば聞いてなかったな、と。


「ダッシュボード開けてみなよ」


 姉はそれを予想していたのかどうなのか、そう告げてくる。

 言われた通りの場所を探してみると、確かに長方形の紙が入っていて。

 携帯のライトで照らして文面を確認し、息を呑む。


 『いっ君の悩みが解決しますよーに』


 丸っこい字で書かれていたのは、姉自信に利するわけでもない願いだった。




「『止まない雨はない』なんて名言風にいう人は多いと思う。でもそれ以前に、まず降ってない場所は絶対あるはずなんだから、そういう場所に移動するのもありなんじゃないかとお姉ちゃんは思います」




 姉は変わらず前を見ながら訥々と語る。

 向けられた言葉はとても暖かな響きを持っていた。


「いっ君が真剣に小説に向き合っているのは知っているつもり。でも、それで苦しむくらいなら辞めちゃったって構わないと思うの。

 ……ううん、完全に辞める必要もないのよ。ただ一度離れて見れば、見えるものも変わってくるわ」




「大丈夫よ。空白期間でも、今後作品が出なかったとしても、私はいっ君の一番のファンだから」




 ……生きている中では、だけどね。


 仄かな寂しさと共に付け加えられた言葉には、死者を悼む響きが入っていた。


 母が亡くなって塞ぎ込んでしまった僕を、姉は気晴らしのためにと旅行に連れていき、それでもくよくよしている僕を叱咤して、約束をしてくれたのだった。

 母さんとした約束を引き継ぐと。僕のことを、一番傍で応援してくれるのだと。


 しかし僕は再び書き始めるようになった後も、姉には作品を見せることはなかった。


 なのに姉は覚えていたのかという嬉しさと、自分は忘れていたことへの羞恥が同時に襲ってくる。

 姉はそんな僕を優しい目で見つめてきた。




 車は、いつの間にか止まっていた。




 どうやら本当に夜通し走っていたらしく、空はいつの間にか白んでいた。


「カーナビで調べたからここで合ってるはずよ」


 姉に促されて、車を降りる。どうやら雨雲を抜けるため闇雲に『西』を目指していたわけではなかったらしい。

 しかし何も聞いていないため、合ってると言われても何のことなのやら解らない。

 俄かに不安を抱きつつも、うきうき顔で駆けていく姉の背中を追うしかない。


「あは。やったね、間に合ったみたい。ほらほらいっ君、見て見て」


 言われるがままの方向を見れば、朝ぼらけの中、タイムラプスのように青、紫、空色の三色が今まさに開き始めていた。


「……あさがお、か」

「ね。綺麗でしょ? 願い叶いそうじゃない?」


 普段はしぼんでいるものの朝という時間を感じて花開く特性を持つそれは、牽牛花とも呼ばれ、七夕に関連付けて考えられることもある。

 七夕の直後の開花は、星同士の逢瀬が終わった証である、というものだ。


「随分粋なことしてくれるね、姉さん」


 呟く。胸の内には完敗の念と衝動が渦巻いていた。




『書かなきゃ』




 それは昨日までの苦しいものでは断じてなく。

 しかし胸の内を焦がす焦燥感はより強い。

 今はただペンを持ってノートに向かいたい心境だった。


「帰ろう」


 短く告げた言葉に姉は何も言わず頷きを返し車に向かってくれる。




 空はどこまでも晴れ渡っていた。

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