第4話 碧音
俺が家に着く時にはまだ夕食には程遠い時間だった。
家に着いても家に綾子がいることもなく、静かな部屋が心を落ち着かせたのだ。
その落ち着いた空間にいながら考え事をしていた。
……矢野碧音について、だ。
アイツを悪いやつだとは思わない。
今までアイツのような奴に会ったことはある。
だが、あれだけ嫌がって、それでも放課後に話しかけに来るアイツの事が俺は理解できなかった。
…会って2日の相手だ、一概に気にする事はないのだがアイツに言った言葉は酷いものだったのだろうと思い返す。
アイツは、今きっとあの景色を、桜の木を見に行っていることだろう。
今からでも行って謝る、それは間違いなく最善の選択なんだろう。
でも…
「……無理だよな」
結局、謝りに行けなかった。
人と関わりすぎると、ロクなことにならない。
それは、一年前に嫌というほど理解させられた。
……あぁ、この時期だ。
1年前のこの時期、過去の俺『達』は…
「……ふぅ」
一息つく。
それより先は思い出さなくていい。
今の俺は人と関わることをやめた。
関わるとして、最低限にすることを決めた。
だから…
「勉強でもするか」
結局、思い出したくない記憶から逃げるように、俺は勉強を始めるのだった…
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現在時刻は6時半。
勉強を始めて2時間といったところか、キリのいいところで終えて夕食を作ることにした。
時間の流れは早いもので、体感としては1時間近くしか勉強してないと思ってしまう。
だが、俺は普段勉強はあまりしていない。
だからか学校では平凡な成績をとることが多い。
まぁ、当然だろう。
日常的に勉強してる奴に比べて点数が低いのは当然のことだ。
点数が高いやつに嫉妬するやつがいるが、嫉妬するなら努力をしろよと内心で思ってしまう。
まぁ、声に出そうものならボコボコにされるんだろうが…
学校内じゃ、問題は起こさない。
俺はそれだけは心に決めている。
不慮の事故ならともかく、意図的に問題を起こそうとは思っていない。
まぁ、当然の思考といえばそうだが…
そんなことを考えながら夕食を作り始める。
今日は……無難にカレーにしよう、と冷蔵庫の中身を見て決めサクッと作る。
その最中、綾子が家に上がってきた。
合鍵を渡しているので入ってくることはいつでも可能だ。
「あれ?啓介、今日は早いわねぇ」
「色々あってな」
俺はいつも2時間ほどあの光景を見ている。
今日は碧音を避けるためにすぐ帰ってきたのだが…
「聞いたわよ、転校生に絡まれたんだってね!」
…噂にでもなっていたのか。
まぁ俺は碧音と話していないからネタになるようなこともないと思うが…
「あの子がアンタと何かしら接点があるんじゃないかって男女問わず大騒ぎよ」
荷物を置きながら綾子は言葉を続ける。
「色々な噂が今日一日で流れてるわ。アンタとあの子が知り合いだったり恋人関係だったり、本当に知りもしない関係なのか、はたまた知っているだけの関係なのか。挙げればキリはないけど、アンタなら心当たりはあるんじゃないかしら?」
確かに心当たりはある。
しかし言う必要はなかったのだ。
だがその結果学校中に噂に尾ひれがついてしまった。
綾子にだけでも言ってもいいんじゃないか…
いやダメだ、心を許そうと考えてはいけない。
コイツに悪気はないだろうが、コイツを心から許したつもりはない。
だから適当に濁すことにした。
「ったく、心当たりなんてねーよ。噂なんてもんは所詮噂だ。明日からアイツが関わって来なければ、噂なんて消えてくだろ」
「その言い方だとまるで、明日から関わってこないと分かってるみたいじゃない」
しまった、と思わず動揺してしまった。
その隙を綾子が見逃すはずもなく…
「アンタ、転校生と何か話したかしら?」
「……」
俺はだんまりしてしまう。
まさに綾子の言う通り、俺はアイツに関わるな、と言ってしまった。
しかも少しキレ気味で。
心の中で舌打ちをする。
…誤魔化しようがない、そう思った俺は少し話すことにした。
「確かに話したさ。ただ、お前も予想できるだろ?俺はアイツに関わるなと言った。それ以上は何も言ってない。」
そう、と綾子が言葉を返す。
それ以上聞いてこなかったのは綾子なりの優しさなのか、それとも俺が口を割らないと判断したか、俺には区別がつかなかった。
そうして無言で時間が過ぎ、夕食を作り終えた。
カレーを皿にすくってテーブルの上に置く。
食べ始めたあたりで思い出したかのように俺は綾子に話しかけた。
「食べ終わったら俺、例の桜見に行くから」
「はぁ?もう夜じゃない」
「お前みたいに襲われる心配はないからな」
「私は襲われたことないわよ!」
「もしもの話だよ、まぁそういうわけで行ってくるから」
俺は適当に返事をしていた。
綾子が外を歩いていたら確かに危ないだろう。
俺にも同じことは言えるかもしれないが、男性と女性では危険度は違う。
まぁ、どちらにせよ納得するだろうと判断した。
「んま、アンタが何処に行くとか勝手だけど帰ってきなさいよ?」
「流石に帰ってこないわけないさ、今日は30分も見れば帰る」
「そう、ならいいわ」
綾子からの許可を得た俺はカレーを急いで食べた。
別に綾子に嘘を言って長く見たいわけではなかった。
30分というのも嘘ではないし、夜なのだからこれくらいの時間で帰るのが普通だと俺も思っている。
…普通の考え方なら家から出ない、という正論は受けつけていない。
そんなこんなで食べ終わり、俺は家を出る。
行き慣れたあの場所、辺りが暗くても正確に場所を把握していた。
行く途中の森も迷いなく進める。
しかし、俺の心は何故か対照的に不安めいたものがあった。
辺りが暗いから、と適当に理由をつけ俺はあの景色を見に森を歩く。
そして俺は、その景色のある1本の桜、その光景を視界にとらえたのだった。
しかし、その景色に1人、昨日今日とで鮮明に覚えた、アイツがいたのだった…
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私は、啓介のことを知らない。
きっと彼はそう思っている。
そして彼も、私の事を知らない。
…いや、覚えていないのだろう。
昨日今日で出会った彼はあの頃と変わっていた。
体も一回り成長し、頼りがいのある背中をしていた。
きっとあの頃の事は私しか覚えていない。
そして私は、あの頃から現在に至るまで彼の事は忘れていない。
あの時の光景が目に浮かぶ。
まだ幼かった彼を見下ろして頭を撫でていたあの頃。
公園ではしゃいでいた10年前の、最近起こった出来事の様に思える光景が目に浮かんでいる。
しかし、今の彼は違う。
目の光は薄く、あんなに薄情な態度をとるとは思えなかった。
「綺麗な桜。でも、似つかわしくないわよね」
そう言葉を零す。
私が啓介と接する、その機会をくれた。
この木を通じて。
しかし、その桜の木が見せているものに、一切の現実味がない。
だが……決断が遅すぎたのかもしれない。
夜7時を回った。
もうすぐ啓介がここを訪れるだろう。
密かに喜びながらも、碧音という存在に嫉妬する。
だから、啓介がいない空間で私は言葉を紡ぐ。
「啓介、私は……何も変わらなかったのかしら」
と……