60.命令と声
「クロー!」
後よりアンが俺の腰目がけ抱き付いてくる。その温かな感触に気が緩んだのか、俺の腹は気のない音を響かせた。それにより周囲は笑いに包まれる。格好はつかないが、さっきまでの殺伐とした空気が和んだのを思うと悪くない。
さてと、まだ多く町の人が残る今の内に聞きたいことを聞いておこう。
「なあ、あんたら何で…。」
疑問を投げかけようとしたとき、アンに手で制された。そうだな、俺が聞くことじゃない。
「ねえ、何で私を助けてくれたんですか?」
アンにとって至極当然の疑問。凄惨な過去の記憶からは彼らミルドの住民に助けてもらえるなど、欠片も考えられない。それが今日、こんなにもの人がアンの為騎士に刃を向けるとは…。一体何故?
狼狽える町の人々の中、自分がと、一人の老人がゆっくりと前に出てきた。
老人の話によるとこうだ。アンの母、シルビアはこのミルドの町で知らぬ者はいない程有名な娼婦であった。彼女は明るく、町往く人々に笑顔を振り撒き、幸せを齎す存在であった。そんな彼女に子供ができたという。町の皆は喜び、彼女に祝福の言葉を伝えた。
しかし、一つ疑問が浮かぶ、父親は誰かと。その答えは待たずして町中に広まった。父親はガイゼル=アースノー、この国の国王だと。そのニュースにまた町は喜びに包まれた。町に幸せを運んだあの娘がとびっきりの幸せをつかんだのだと。
だが、現実はそうはいかないものである。王は自分が娼婦との間に子をなしたことを良く思わなかったのだ。そして、この町に二つ命令を出した。一つは口外せぬよう箝口令を、そしてもう一つがこの親子に関わる事なかれというものだった。
王の命令に背くと何をされるか分かったものではない。町の人々は渋々従うしかなかったと言う訳だ。
そして今日町民の一人がアンを見たと言った言葉が町中を回った。一度町を去ったアンに今になって謝りたいと皆集まったそうだ。
「…そんなときアンジェリカ姫は騎士様達に襲われているのを見たわしらは助けたいと動いたのじゃよ。これっぽっちのことじゃ許してもらえるとは思わんが、何とかしたかったんじゃ。」
アンは話を聞き、目を閉じる。そして彼女の言葉は静かなこの場にはっきりと聞こえた。
「話は分かりました。だからといって全てを飲み込める訳じゃ無いですけど。でも、もし良かったら私と関わりを持ってくれたら嬉しいです。王の命令に背く訳ですけど…。」
彼女のその言葉の後、間を空けること無く声が上がった。彼女の言葉に応える声だ。次々と上がる声は留まる所を知らず、町中に響き渡る。
隣にいる彼女の目からは光るものが溢れていた。だがそれは悲しみのものではない。




