2話 迎え
「兄ちゃん、金を稼ぐためにはどうしたらいい?」
高校から歩いて10分。家に着くと、タイジュを待ち構えていたかのように、弟の匠が唐突な問いをしてきた。タイジュは一瞬思考が停止する。
「───急にどうした?」
高校から帰ってきてすぐに、中学生の弟からこんな質問をされたら、多くの人は驚くだろう。しかし弟のタクミは、いつも突飛もないことを言い出すので、慣れているタイジュはすぐに正気にかえる。
「ほら、僕の学校って学校祭でバザーがあるでしょ?僕、2年の実行委員長になったんだ。学年対抗で競ってるんだけど、3年生に勝ちたいんだよ!」
普通の公立中学校にいったオレとは違い、成績優秀なタクミは私立の中学校に行っている。タクミが通っているのは、全国でも有名な私立中学だ。その学校では、生徒の自立を促すために様々なことを生徒主導でやらせていた。
(たしか毎年、経験のある3年生が勝っていたな。2年生が勝つなんて、かなり難しいと思うけど)
「なんでいつも聞くんだ?オレは普通の成績だぞ。いつもテストで満点近いタクミに、教えることなんてないよ」
「なに言ってんの?兄ちゃんが本気出せば、何でも出来るくせに」
普通になるよう努力をしているタイジュだが、タクミにだけはバレているようだった。いつもこうして、何かと頼ってくる。
(タクミはいつもこれだ。困ったヤツだな)
『タクミは、小さい頃から一番長く一緒にいるのよ。いくら普通にしようとしても、バレてると思うわ。諦めなさい』
セシルの指摘に、タイジュはため息をつきながら、返事をする。
「はぁ…。で。競うのは、収益と利益、どっちだ?」
「収益?利益?何それ?」
「実行委員長がそんなことじゃ困るな。収益は売上のこと、利益は儲けのこと。収益から費用を差し引いたものが利益だよ。費用ってのは、人件費とか材料費のことだ」
「おぉ!さすがは兄ちゃん!」
「儲かった金額を競うなら原価が0円のものを売るのがいいし、売上金を競うなら付加価値が高いものを売るのがいいぞ」
「バザーだから、人件費は0円。それなら家から持ち寄ったタダの品を売れば、まるまる利益ってことだね?それは分かったけど、付加価値が高いものってどういうこと?」
「例えばここに、オレの食いかけのアイスがある。もうひとつ、タクミが大好きなアイドルの食べ掛けアイスがあったとしたら、どっちが欲しい?」
タイジュは冷凍庫から出して一口かじったアイスを差し出して、タクミに聞く。
「食べかけなんて、いらないよ!でもアイドルの食べかけなら、マニアックなファンが欲しがるかも!」
「そういうことだ。絶対売れなさそうな品物でも、何かの価値をつけると売れる。ただのTシャツとアイドルのサイン入りTシャツ、どっちが高く売れると思う?たしか、お前のクラスの田所くんのお姉さんはアイドルグループの一員だったはず」
「兄ちゃん、なぜそれを?田所は、そのことを秘密にしてるのに…」
「ふふん、情報は価値あるものだ。知っているということが武器になる。知識は無いよりあった方がいい。だから学ぶのだ!分かったか?タクミ!」
「さすがは兄ちゃん!どうしたらいいかが、ぼんやりと分かってきた。『情報には価値がある』、だね!他の人が教えてくれないことを教えてくれるから、いつも兄ちゃんに聞いちゃうんだよなぁ。またお願いね!」
タイジュの話がヒントになったようだ。何かを思い付いたタクミは、さっそく友達に連絡している。
「───あっ、そうだ。兄ちゃん、明日の誕生日。何か食べたいものあるかって、母さんが聞いてたよ!」
(そうだった。明日は誕生日、オレが拾われた日だ。母さんは毎年、オレの好きなものを作ってくれる。ホント、良い母親だよなぁ)
「特にないよ。母さんにはいつものでいいって言っておいて」
「わかった!あと、父さんが、後で道場に来てくれって言ってた。手伝ってほしいみたいだよ」
タクミはそう言うと、さっさと自室へ戻る。
(父さんが呼んでる?また稽古を手伝わせるつもりだな。メンドクセーなぁ。行きたくない…)
『もう、タイジュは本当に怠惰ね。それにしても、商人だったバートンの記憶も鮮明によみがえってるようね』
セシルは転生を繰り返して、いろいろな人生をおくっている。その中の一人がバートンだ。タイジュのすぐ前の人物はドゥグルといって、ドワーフ族の職人の男だった。そのドゥグルの前がバートンという人物だ。
彼はヒト種の男で、親から継いだ店を持っていた。それをセシルの知識と経験を生かして、どんどん大きくして、バートン商会という大きな店にした。だから、タイジュには商売がどういうものなのかが分かっているのだ。
(バートンの記憶によると、異世界エレメンテは中世ヨーロッパの文化レベルで、王様や貴族がいて、商人や農民がいる。物を運ぶのは馬車だし、畑を耕すのは人だ。たしかバートンの商会は、違う場所で仕入れたものを他の場所で売る、ということをしていたな。売る場所が違えば価値も違う。バートンの商会は、安く仕入れたものを高く売ることでかなりの儲けを出していた。上手くいっていたのは、セシルの知識と経験のおかげだろ?)
『バートンに転生するまで、私はいろいろな国の人に転生してたわ。国が違えば、売れる物は違う。私はその知識を生かしただけよ』
(情報にも価値がある。使い方次第ってことだな。───それにしても、オレの妄想にしては設定が細かいよなぁ)
じつはタイジュは、このセシルのことも変な記憶のことも、悪い病気だと思っていた。図書館で本ばかり読んでいたのは、この病気を治す方法を探すためでもあった。
(妄想性障害?統合失調症?とにかく、妄想と会話しているオレは、どこか悪いのだろう…。でも特に困ってないしな。それどころか、この知識は役に立つ)
『タイジュってば、まだ病気だと思っているの?』
(そりゃそうだろ?ここは日本。エレメンテなんて世界は知らないし、見たことも聞いたこともない。人はそれを妄想と言う)
『エレメンテは、この日本がある地球とは違う時空にあるのよ。宇宙にある惑星は信じるのに、異世界は信じられないってどういうこと?』
(惑星は望遠鏡で見えるから信じられる。異世界は見えないから信じられない)
『まったく頑固なんだから…』
タイジュはセシルのことを妄想だと思っている。が、生活には特に困っていないので、真剣に何とかしようとは思っていなかった。しかし、周りから変なヤツだと思われて、メンドーなことに巻き込まれるのは困る。だから、ひっそり暮らすことがタイジュの夢であった。
(とにかく『目立たないように普通に生きる!』が目標なんだから、邪魔するなよ!)
『邪魔なんてしないけど…。それにしても今回は迎えが遅いわね』
セシルのつぶやきは、タイジュには認識されていないようだった。
◇◆◇◆◇
剣道場は、榊家から歩いて5分くらいの場所にあった。剣道場の裏山は、春夏秋冬それぞれの見頃がある山で、春は桜だ。タイジュはそれを見るのが好きだった。面倒だと思いながらも、父親の稽古を手伝うのは、これを見たいからという理由もあった。
(しかし、今年は裏山の桜が早く散ったなぁ。残念。でも道場の横の桜は遅咲きだから、今が見頃!桜ってのは、何でこんなにいいのかねぇ。オレ、日本人で良かった!)
稽古終わりに父親に頼まれた道場の片付けをしながら、タイジュは桜を堪能する。
(花びらが散るのも風情があっていいよなぁ)
『ちょっとタイジュ。ボーッとしてないで、早く片付けなさいよ』
(いいだろ?もうここにはオレしかいない。父さんは町内の会合があるからって、オレに任せて帰ったし。生徒さんもみんな帰ったし)
『私は花びらが散るのは好きじゃないのよ。血が舞っているようで…』
セシルのいた異世界エレメンテは、平和な世界ではない。いつもどこかの国で戦争が勃発し、いつもどこかで人が死んでいた。戦争に巻き込まれて死んだ記憶もある。
(なんでエレメンテでは、戦争が多いんだ?)
『エレメンテには、ヒト種以外に獣人種、妖精種、精霊種っていう種族が違う者たちが住んでいて、種族間で争いをしているの。それに、ヒト種は、ヒト同士で領土争いとかしてるわ。だから、常にどこかで戦争をしてる。この地球と同じよ』
(日本は、戦争を経験していない人が多くなって実感がないけど、世界ではどこかで内紛やテロがおこっている)
『どこでも同じよ。利害や価値観の相違で争いになる。平和な世界なんて、長くは続かないわ…』
セシルはエレメンテを治めていた精霊王の娘だ。精霊王は強大なチカラで世界を守っていた。しかし、それを知らない無知で傲慢なヒト種の企みによって、殺された。それからエレメンテは、崩壊へと向かっている。
セシルは、父親が殺されたのは自分のせいだと思っている。だから、父親に代わってエレメンテを救うつもりなのだ。
(セシルの気持ちも分かる。手伝ってやりたいけど、妄想の世界の話だからなぁ)
タイジュは、道場の片付けを手際よく終わらせると、戸締まりを確認して、最後に道場の横の桜の樹を見る。
「今年もキレイに咲いたな。来年も期待してるぞ」
そうつぶやいたタイジュの言葉に、返事をする人物がいた。
「来年の桜は見れないよ。これで見納め!」
タイジュは声が聞こえた方向───桜の大木の後ろから現れた人物を見て驚く。
(《彼女》だ!どうしてオレの妄想の中の人物がここに?)
《彼女》は、すべての記憶に出てくる特別な存在。《彼女》は、セシルが転生する度に見つけ出して、迎えにきてくれていた。
その《彼女》が現れた。
「どうした?変な顔してるな。ボクの名前、忘れた?」
《彼女》は、からかうように聞いてくる。オレは記憶の中にある《彼女》の名前を呼ぶ。
「いや、覚えているよ。ソラ、だよな……」
「なんだ。ちゃんと覚えてるじゃないか!」
異世界最強のドラゴンは、そう言って嬉しそうに笑ったのだった。