23話 回避
タイジュは崖の上にいた。タイジュの後ろでは、腰に大剣を下げたギルバートが、まるで護衛のように周りを警戒している。
崖からは、草原が見えていた。
ここは、タレース王国の北の国境。この草原より北は獣人種が住む土地だ。
隠れる場所のない広い草原は、誰かが侵入しようとすれば、すぐに見つかる。こうして長い間、この草原が国境の代わりになっていた。
しかし、いまこの草原には多くの人が集まっている。南からはタレース王国の騎士団、北からは獣人種の連合軍が、じわりじわりと距離をつめていた。
◇◆◇◆◇
南から進軍しているタレース王国騎士団の総大将は、デヴァルだ。いつもは出陣しないデヴァルだが、国王から直接任されたこの任務を重視して、騎士団を率いて、自らも戦場にやってきた。
これが上手くいけば、王にもっと引き立ててもらえる。デヴァルはそう確信していた。
デヴァルは野心家だ。王宮での地位が上がることこそ、全てだと思っている。
彼は、この獣人種との戦いに自信を持っていた。何年も前から時間をかけて、獣人種の一部をこちら側に引き込んである。獣人種連合軍の動きは、筒抜けだ。ゆえに負けるはずは無かった。
デヴァルは、後方にある作戦本部のテントの中で、ひとり笑っていた。
ソフィーナからは、バートン商店の店主が王宮に連行されたと連絡がきた。ギルバートはまだ捕まっていないが、それも時間の問題だろう。バートン商店の宝石は、デヴァルのものだ。
そして、この戦争に勝利すれば、王宮でのデヴァルの発言力がさらに大きくなる。デヴァルの最終目標は、娘を王妃にすることだ。本妻や愛人が産んだ娘はたくさんいる。そのどれかが、次の王に嫁げばいいと思っていた。そのためには、今の王に取り入ることが必要だ。
また一歩、目標に近付いた。それを思うと、デヴァルは笑いが止まらなかった。
「何を笑っているのです?」
デヴァルしかいないはずのテントに女の声がする。
「誰だ!」
「わたくしは、我が主の命によって、この戦争を止めるために来ました」
「戦争を止める?何を言っているのだね。そんなことは出来るはずがない」
「いいえ、出来ますよ。貴方が騎士団を連れて帰ればいいのです」
「ふははっ!そんなこと、ワシがすると思うかね?」
姿の見えない女が、冷ややかに笑う気配がする。
「では、帰りたくなるようにしてあげます。貴方には、自分がしてきたことを体験していただきます」
(なんだ?この女は何を言っているのだ?)
デヴァルが疑問に思っていると、突如、周りが真っ暗になり男たちが現れる。
「あんた達に恨みはないけど、これも仕事だ。死んでもらうぞ」
男はそう言うと、デヴァルの目の前で、体格の良い男性とまだ幼い男の子を斬り殺す。
「やめて!いや!やめて!」
その二人は自分にとって大切な存在。そんな二人が目の前で殺されている。やめろ!心が痛い!やめるんだ!そう叫んだつもりだが、自分の声ではなかった。
(これは!コレットの声!何だ?何が起こったのだ?)
デヴァルはいまコレットになっていた。
コレットの気持ちが流れ込んでくる。愛人となり、デヴァルの裏の顔を知って、おぞましさを感じる心の苦痛。奴隷の焼き印を押され、激しく暴行される身体の苦痛。コレットが感じた心と身体の痛みを、デヴァルは体験していた。
自分の肌が焼ける匂いにゾッとする。焼き印を押される痛みで気を失いそうになる。
コレットが受けたありとあらゆる苦痛を一気に体験したデヴァルは、心の中で泣き叫んでいた。
「あら、貴方は意外と痛みに弱いのですね。いたぶるのは好きでも、いたぶられるのは嫌いですか?すべて貴方が他人にしてきたことですよ。まだまだ終わりではありません。貴方の記憶の中にあるもの全部を体験していただきます」
(いやだ!もう止めてくれ!頼む!助けてくれ!)
「何を言っているのです。貴方は、助けてと言われて助けたことがありましたか?無いですよね?たっぷりありますから、楽しんでくださいね」
女の無慈悲な声がする。
そしてデヴァルは、考えることを放棄した…。
◇◆◇◆◇
「もうすぐ戦闘開始だというのに、デヴァルは何をしているのだ?」
「デヴァルめ!今回は上手く王に取り入って、総大将の座を手に入れたようだが、なぜワシらがヤツの下で働かなくてはならんのだ」
「そうだ。最近のデヴァルは、少し調子に乗っておる。ヤツの強引なやり方を不満に思う貴族も多い。このまま敗北すれば、皆、喜ぶのでは?」
「ハハハッ!それは面白いですな。何かあったときは、総大将であるデヴァル殿に責任をとってもらいましょう。もともと、この戦争の原因はデヴァル殿の騎士団のせいですしね」
作戦会議の時間だというのに、一向に前線本部に来ないデヴァルに対して、集められた貴族たちはそれぞれ不満を口にしていた。
「そうじゃ!デヴァルの騎士団の奴らが必要以上に獣人種を痛めつけるから、ここまで話が大きくなったのだ!」
「騎士団が獣人種を捕まえて虐げる。それに怒った獣人種が騎士団を襲う。戦闘で死者が出た騎士団は、さらに獣人種を捕まえて…。まさに堂々巡りですからね」
「タレース王が獣人種を下等な生き物だと言っているのは、表面上の国策だと貴族なら誰でも知っておる。それなのに、デヴァルはそれを、自分の野望のために利用したのだよ。まったく迷惑なヤツじゃ。ワシらを巻き込むとは!」
今回の戦争は、デヴァルが強引に始めたことだ。他の貴族はそれを不満に思っていて、何とか無傷で国に帰れないものかと思案していた。戦争は金がかかる。デヴァルだけで戦えばいいのだと、この場にいる貴族たちは思っていた。
そこに、デヴァルの様子がおかしいと報告が入る。
(正気を失っているようだと?毒でも盛られたか?でもこれで、デヴァルに全ての責任を押しつけて帰ることができるのでは?)
その場にいる多くの貴族は、そう考える。
ちょうどその時、獣人種の連合軍が後退し始めたとの連絡も入った。
貴族たちは、ニヤリと笑った。
こうして、戦闘が始まることなく、騎士団は南へと帰っていったのである。




