1話 秘密
『父さま!母さま!私のせいで2人は死んでしまった。この世界を守っていた父さまが死んだから、世界は滅びかけている。父さまの代わりに私が。───私が世界を守らなくては!』
長い金色の髪、不思議な色の瞳、白い肌、そしてとがった耳。ファンタジーの世界でしか見たことのない異世界のエルフの姫が泣いている。
父と母である王と王妃は何者かに殺された。そのきっかけを作ったのは自分だと、姫は自分を責めていた。
「だから自分が世界を救わなくてはいけない…」
思わずつぶやいた少年は、ハッと気付く。
(しまった!授業中だった…)
「榊 大樹くん。今度から寝言はもっと小さな声でお願いね。世界を救うのもいいけど、今は黒板の問題に困っている松本くんを救ってあげてほしいな。じゃ、代わりに榊くん、前に出て」
担任でもある数学の坂崎 圭子は、そう言ってクラスのみんなを笑わせた。
(はぁ、危ない危ない。優しい圭子先生の授業中で良かった。寝ぼけていたと勘違いしてくれたようだ。もっと気を付けないと、危ないヤツ認定されてしまうな)
タイジュは黒板の前に立つと、数学の問題を解く。
「はい、正解。榊くんは、やればできるんだから、もっと集中してね」
圭子先生の優しい言葉に苦笑いして席に戻る。
『やればできるんだから』とは、何度も言われている言葉だ。
(そう言われても…。何もしたくないからなぁ)
タイジュは、人より怠惰である。口癖は『メンドクセー』。できるなら息もしたくないと本気で思っているくらいだ。
(それに、良くもなく悪くもないってのが、学校生活を円満におくるコツだし…)
そう信じているタイジュは、それを実行していた。テストの順位は真ん中。通知表はオール3。
しかし、入ったばかりのこの高校は、県内でも有名な学力レベルの高い学校だった。中学の成績がオール3のタイジュに入れるはずのない高校だ。
「家から一番近い公立の高校を記念に受けてみたい」
私立高校が本命だと思っている中学の担任は、タイジュの願いを聞いてくれた。まさか担任も受かると思っていなかったのだろう。結果を知った担任は、今にも倒れそうだった。そりゃそうだ。中学の成績では受かるはずがないのだから。
(やっぱり家から近いってのは魅力だよな。歩いて10分。ここにして良かった。それに、勉強ばかりしているヤツが多いから、少しくらい変な行動をとっても、あからさまに指摘するヤツもいないし)
この高校にタイジュが受かったのは、まぐれではない。タイジュには秘密があった。合格できたのは、それのおかげなのだ。
(無事に授業も終わったし、さぁ、帰るかな)
部活もしていないタイジュは、授業が終わるとさっさと家に帰る。できるだけ、人付き合いを避けていた。これも、その秘密のせいだ。
(それにしても、最近またひどくなってるな。真剣にそういう病院に行った方がいいのだろうか…)
『タイジュ!何度言ったら分かるの?私はあなたの前世なの。このアースとは違う世界、エレメンテを治めていたエルフの王の娘。とある事情で転生を繰り返しているの。あなたは生まれてすぐに、この異世界アースに落ちてしまったのよ』
(あー、はいはい。それは何度も聞いたよ。オレが父さんと母さんに拾われたってのも知ってる。そこは矛盾してないな。でもな。異世界って言われてもなぁ)
『もう!しっかりしてよ!今度の身体がこんなに頼りないなんて。これではエレメンテを救うことなんか出来ないわ!』
(あー、わかった、わかった。だから、お前はしばらく黙ってろ。本格的にオレを危ないヤツにする気か?家に帰るまでは大人しくしてろよ。いいな、セシル!)
『仕方ないわね。黙っていてあげる。その代わり帰ったら、あの理論をもう少し形あるものにするから、付き合いなさいよ!』
(わかったよ)
タイジュは大きなため息をつく。
人には言えない秘密であり、悩みの原因はこれ。タイジュの中には、セシルという異世界の姫の人格が存在したのだ。
◇◆◇◆◇
タイジュの育ての親である榊夫妻は、地方都市から少し離れた田舎町で剣道場をやっている。その剣道場の横にある、大きな桜の木の根元に置き去りにされていた子供がタイジュだ。生後1週間くらいのタイジュは、粗末な布にくるまれて大きな声で泣いていたらしい。
それを見つけたのが、榊夫妻だった。結婚5年目。子供が出来ないことに悩んでいた夫婦は、引き取りたいと願い出た。親が見つからなかったタイジュは、そのまま榊夫妻に育てられたのだ。その2年後、榊夫妻には本当の子供が生まれたのだが、夫婦はどちらの子供も分け隔てなく育てた。
(良い親だよなぁ。オレが養子だってことも隠さずに話してくれたし、本当の子供である弟が生まれても、優しく厳しく育ててくれてるし。今までの親の中でも最高クラスの親だな!)
タイジュが自分は普通の人とは違うようだと気付いたのは、3才くらいの時だった。見たことも聞いたこともない内容を思い出すようになったのだ。夢だと思っていたため親にも話したことがあるが、どうやらこの世界のことではないと理解したところで、話すのをやめた。
その記憶の中では、自分は男だったり女だったりで人生をおくり、死んでいった。どうしてこんなに様々な人の記憶が事細かに思い出されるのだろうと不思議だったが、ある日、決定的な記憶がよみがえる。
その記憶の中では、タイジュは異世界の王様の娘だった。名前をセシルと言う。そのセシルが急に話しかけてきた。
『あなたが今度の私の身体ね。世界を救うためにやってもらうことがあるから、頑張るのよ!』
この時、タイジュは5才。何のことかは分からないが、この事を他人に話せば変なヤツと思われてしまうということだけは、とても理解していた。
(どうやら、このセシルはオレの前世らしい。しかも、何度も転生を繰り返しているため、いろいろな人物の記憶もあるんだな。しかし、こんなことを周りに話すことはできない。危ないヤツだと思われて、孤立してしまった人物の記憶もある。とにかく、目立たないように普通に生きよう!)
すべてを理解し受け入れたタイジュは、この時から目立たないように、勉強も運動も普通になるように努力してきたのだ。
セシルという異世界の姫は何度も転生をしているため、膨大な知識と経験があった。しかし、それは異世界の知識。この世界では通用しないものもある。だからタイジュは、小さい頃からあらゆる分野の本を読みまくった。
異世界では、知識は特別なものである。誰かに教えてもらうものではなく、自ら学ぶものなのだ。その記憶があるタイジュは、毎日近くの図書館に通った。そのため、小学校を卒業する時には、大学に入れるくらいの知識を得ていた。
タイジュが県内屈指の高校に合格できたのは、これのおかげだ。しかし、それを周りには悟られないようにしていた。
『目立たないように普通に生きる!』は、見事に成功し、両親や学校の先生、友達も、タイジュのことを普通の子供だと思っていた。たった一人を除いて。